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政治・選挙・NHK165を起動しました
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投稿者 管理 日時 2014 年 5 月 04 日 04:05:02:
 

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01. 罵愚 2014年5月04日 05:36:06 : /bmsqcIot4voM : E2OdyHnF5o
 5月2日のプライムニュースは「立憲主義とは何なのか? 憲法論を議論する」と題して、石川健治東大教授が説明していた。それは「憲法には政治理念、国家目標が書かれていて、ときの権力者がそれから逸脱した政治にはしるのを防止している」というもので、安倍政権の解釈改憲を批判していた。
 このときの「政治理念、国家目標」とは平和憲法の主権在民、基本的人権、自由と平等、国際平和主義といったものだと思う。解釈改憲の集団的自衛権の解禁はこの憲法の国際平和主義に反するから認められないという意見だった。ワイマール憲法下でナチスが台頭したドイツの経験を踏まえて、理路整然とした、ご意見だと納得した。
 番組は既成の平和憲法を前提にして、立憲主義の立場から解釈改憲を話題にしているので、国際平和主義そのものへの疑問はあらかじめ封殺されて議論がはじまり、終わっていた。はたして、この憲法の「主権在民、基本的人権、自由と平等、国際平和主義」といった「政治理念、国家目標」が日本にとってふさわしいもののなのか? 日本人が自主的に選んだり、つくったものなのか? 日本の歴史や民族の伝統に根差したものなのか? 占領期に押しつけられた事実を無視していいのか? などの、立憲主義以前の平和憲法制定過程に対する疑問を、あらかじめ解決しておかなければならなかったのに、プライムニュースは、みごとにこれを回避していた。

[12削除理由]:アラシ
02. 罵愚 2014年5月04日 06:26:37 : /bmsqcIot4voM : E2OdyHnF5o
 国には国家の成り立ちとか、民族の伝統、宗教とかの価値観、理念、伝統があって、一時的な熱狂に突き動かされた、あるいはだまされた民衆の暴走によって、あらぬ方向に暴走するのを防ぐためにも、憲法改定手続きは重いほうがいいというのが立憲主義で、それは手続き論なんだな。
 そのうえで石川健治東大教授は、憲法は、その理念はグローバルなもので、国際社会にも受け入れられるといっていた。各国の憲法には普遍的な価値がふくまれていて、国際社会に通用するグローバルな理念がふくまれているという意味のことをいっていた。
 これって、決定的にまちがっていて、たとえば日本の国際平和主義が人類共通の理念だったら、なにも日本国憲法は必要ない。国連憲章に書いておけば、日本国憲法は無用の長物になる。むしろ、日本の空想的平和主義は、国際社会では異端の現実が改憲の理由であって、石川健治東大教授のこの発言は、かれが理論武装した戦後売国左翼にすぎないことを立証していた。

[12削除理由]:アラシ
03. 罵愚 2014年5月05日 05:51:25 : /bmsqcIot4voM : E2OdyHnF5o
 石川健治東大教授の説明によれば立憲主義とは、その国の国家目標とか政治理念にもとづいた憲法を前提にしていて、したがってその理念に違反した方向への憲法改正を予防する目的で、通常の法律のような多数決原理よりは重い条件がつけられて当然というものであった。もしもそうだとすれば、立憲主義そのもがファシズムや全体主義と同義になりかねない危険なものだとわたしは思う。憲法と理念の祖語は憲法改正でも起きるが、同時に理念の変化でも起こりうる。改正手続きに重い条件をつけるのは、憲法が理念の変化に追いつけない状況の原因にもなりうる。
 そのうえでこの国の平和憲法の場合、それが制定された時点で、そもそもこの国の国家目標なり政治理念に立脚していたものか、どうかの疑念がある。アメリカの占領下、押しつけられた憲法制定過程が立憲主義に違反していないのだろうかの疑問だな。じっさい、当時の議会は、まったくちがう従前の帝国憲法のコピーをGHQに提出している。

[12削除理由]:アラシ
04. 罵愚 2014年5月05日 18:18:17 : /bmsqcIot4voM : E2OdyHnF5o
 これまで、歴史や理念に準拠した憲法であるべきところが、日本の平和憲法は占領軍に押しつけられた憲法だから、立憲主義によって憲法改正を否定する石川健治東大教授の発言には無理があることを説明してきた。
 戦後の日本は、石川健治東大教授の説明とは反対に、むしろ平和憲法の骨格にある諸原則…皇室の伝統の形骸化、非武装平和、主権在民、基本的人権が国家理念として形成されてきた。理念があって憲法がそれを具体的に示したのではなく、憲法が占領軍によって押しつけられて、その内容が国家理念になってきたのだ。理念と憲法の形成過程が石川健治東大教授の説明とは逆転しているんだな。
 そこであらためて、憲法改正論の本質は、憲法改正ではなくって、日本の国家理念…敗戦によって霧散してしまったこの国の国家理念とはなんだろうか? とか、それが時代遅れで、いまさら使いものにならないとしたら、これからの国家理念とはなんだろうか? といった疑問に突き当たる。
 それは憲法改正ではなく、理念探しだな。ふるい人はそれを“国体”と呼ぶが、現代人の話題にするときにはナショナルアイデンティティと呼んだほうが、議論が活発になるかもしれない。憲法改正論議は、日本人のナショナルアイデンティティとはなんだろうか? の話題からはじめるべきかもしれない。

[12削除理由]:アラシ
05. 罵愚 2014年5月06日 04:24:21 : /bmsqcIot4voM : E2OdyHnF5o
 「はじめにナショナルアイデンティティありき」で立憲デモクラシーははじまる。基層部分にナショナルアイデンティティがあって、そのうえに憲法が制定されている。そしてさらに憲法のうえに統治政権が構築される…ここまでで三層構造で説明したうえで、したがって統治政権による憲法改正はナショナルアイデンティティを傷つけるようなものであってはならない。ナショナルアイデンティティを否定する憲法改正はナチスドイツのような悲劇をもたらす、というのが立憲デモクラシーらしい。
 しかし、この説明には無理があって、戦後日本の場合、ナショナルアイデンティティの代わりに占領政策があって、スムーズに占領政策を実行する目的で平和憲法が施行された。9条平和、非武装平和、戦後民主主義は日本のナショナルアイデンティティではない。GHQの占領政策だ。
 そこで、それでは日本のナショナルアイデンティティとはなんだったのだろうか? 敗戦で見失った日本のルーツ探しが終わらなければ立憲デモクラシーははじまらないのではないのだろうか? の疑問が石川健治東京大学教授たちに手向けられるわけだ。三層構造の基層部分が戦後民主主義でなかったなら、安倍首相が提唱する憲法改正は、むしろ立憲デモクラシーの趣意に合致したものだろう。
立憲デモクラシーに立脚した安倍首相の憲法改正

[12削除理由]:アラシ

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