01. 2014年5月01日 12:43:34
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>アジア自らの手で東アジア集団安全保障体制を構築しなければならない鳩山を思い出す 口だけでは、中国どころか、朝鮮にすら、良いように食い物にされるだけだろうなw http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/40574 JBpress>日本再生>国防 [国防] 日本は弱い、その自覚がなければ中国に負ける 集団的自衛権の行使はなぜ必要なのか 2014年05月01日(Thu) 織田 邦男 4月23日、バラク・オバマ米大統領が国賓として訪日した。25日に発表された日米共同声明では、日米同盟に関し次のように意義を強調している。
「日米同盟は,地域の平和と安全の礎であり、グローバルな協力の基盤である。国際協調主義に基づく『積極的平和主義』という日本の政策と米国のアジア太平洋地域へのリバランスは、共に、平和で繁栄したアジア太平洋を確かなものにしていくために同盟が主導的な役割を果たすことに寄与する」 置き去りにされている集団的自衛権の本質論議 TPP「進展あった」と米高官、農業分野で「道筋」に言及 安倍首相と記者会見するオバマ大統領〔AFPBB News〕 防空識別圏の設定など、東・南シナ海で緊張を高めている中国の行動については、強い懸念を共有し、力による現状変更に反対することで一致した。 特に日本側にとっては、米国が日米安全保障条約の下、尖閣諸島を含めた日本の施政下にあるすべての領域でコミットメントを果たすことを大統領が明言したことは大きな成果であった。また集団的自衛権行使に関しても、日本が検討していることを歓迎、支持するとした意義は大きい。 今後急がねばならないのは、共同声明を具現化である。まずは、今年末までに予定されている日米防衛協力の指針(ガイドライン)の改定であろう。そこで核心となるのが集団的自衛権行使の問題である。これを前提とした改定でなければ、中国に対する有効な抑止力とはなり得ず、日米共同声明の政治的意義は半減する。 現在までの国内議論を見る限り、枝葉末節の議論に終始し、本質論が忘れ去られているように思える。議論の中心が憲法解釈変更の是非になっているが、これは手段の議論に過ぎない。現在の安全保障環境をどうとらえ、なぜ集団的自衛権行使が必要なのかという本質的な議論が置き去りにされている。 与党である公明党代表の山口那津男氏は一貫して集団的自衛権には慎重である。「解釈変更は、憲法精神にもとる」と述べ「これまで否定してきた政府の考え方と整合性があるのか」と否定的見解を示す。 だが、現下の安全保障環境において「集団的自衛権行使」が必要なのか否なのかについて、彼が語るのを聞いた覚えがない。 報道によると、オバマ大統領訪日前の21日、民主党の小西洋之参院議員や社民党の吉田忠智党首ら両党の有志19人は在日米大使館を通じてオバマ大統領に対し「集団的自衛権行使を可能とする憲法の解釈変更は、日本の立憲主義や法の支配の存立に関わる問題だ」と訴える書簡を送ったという。 小西氏は記者会見で「憲法9条に解釈変更の余地はない。法律の専門家であるオバマ大統領に賢明なご高配を賜りたい」と述べたという。この報道に違和感を覚えたのは筆者だけではあるまい。 国際的に認められた自衛権行使について、自国でどう扱うかは国の主体的選択の問題である。自国の憲法解釈について他国の指導者に「高配」を依頼するという卑屈さ、非常識さ、そして当事者意識の希薄さについては、暗澹たる気分にさせられる。 彼らのマインドでは、日本はいまだにマッカーサー統治下にあるのかもしれない。「高配」を訴える非常識さについてはともかく、彼らも集団的自衛権の必要性について論じているわけではない。 昨年5月、日本弁護士連合も集団的自衛権行使容認に対して反対の声明を出している。 「自国が直接攻撃されていない場合には集団的自衛権の行使は許されないとする確立した政府解釈は、憲法尊重擁護義務(憲法第99条)を課されている国務大臣や国会議員によってみだりに変更されるべきではない。また、下位にある法律によって憲法の解釈を変更することは、憲法に違反する法律や政府の行為を無効とし(憲法第98条)、政府や国会が憲法に制約されるという立憲主義に反するものであって、到底許されない」 中国と韓国で世論調査した朝日新聞 中国空母、艦載機の発着艦試験に成功 空母・遼寧に着艦する中国の戦闘機J-15〔AFPBB News〕 これも単なる法律論であり、なぜ集団的自衛権行使が必要でないかを述べているわけではない。 反対派メディアの急先鋒、朝日新聞はこともあろうに、中国と韓国で日本の集団的自衛権について世論調査を実施した。「泥棒」に対し、「戸締りを厳重にすることに賛成か」と問うようなものであり、またぞろ外国勢力を使って反対の空気を作り出そうとする「御注進ジャーナリズム」には嘆息が漏れる。 集団的自衛権不行使の立場を維持する方がよいとの回答は、 中国で回答者の95%、韓国では85%に達したという。調査の意義は認められないが、必要性の有無を問うているところは皮肉なものだ。 このようにメディアを含めた国内の議論は、核心が置き去りにされており、皮相を漂ったまま成熟しない。議論の未成熟さを反映してか、テレビではコメンテーターが「集団的自衛権行使容認というのは、『戦争をできる国』にすることです」などと平気で言い出す始末である。 4月上旬、自民党の河井克行前衆院外務委員長が訪米した際、米下院のマケオン軍事委員長(共和党)は、安倍政権の集団的自衛権行使容認の努力について「中国の動きへの懸念、米政府の国防費削減もあり、首相の取り組みを強く支持している」と伝えた。 「中国の動きへの懸念、米政府の国防費削減」という米国の立場を明確にした上でこれを支持したわけだが、日本で一番欠けているのは、日本の立場でなぜそれが必要なのかという具体的な本質論議なのだ。 昨年12月に公表された国家安全保障戦略(以下「NSS」)でも述べているように「日本の平和と安全は一国では確保」できない。力を背景にした現状変更を試みる中国と対峙するのに、残念ではあるが日本一国では対応できない。この事実はしっかりと押さえておかなければならない。安全保障は、何より冷静に「弱さを自覚」することが第一歩である。 日本は核も攻撃力も持たない。情報分野もほとんど米国頼りである。貿易立国日本の生命線であるシーレーンも事実上、米海軍第7艦隊に守られている。自衛隊の装備はほとんどが米国の軍事技術に依存している。この是非善悪は別として、現状は日米同盟に頼らざるを得ない。 他方、中国は経済力でも米国との差を急速に縮めてきた。2020年代後半には中国は米国の国内総生産(GDP)を追い抜くという説もある。軍事力増強も著しい。この20年でも軍事費は7倍強に拡大した。「富国強軍」をスローガンに軍拡を続ければ、2020年代には米中が拮抗するという。 中国は「力の信奉者」である。相手が弱ければ強く出るし、強い相手であれば静かに時を待つ。相手が強いと下手に出、弱みを見せると力をむき出しに強面に出る。現段階では、米国は依然強力な軍事力を保有しており、中国が最も避けたいのは米国とことを構えることである。 国際問題への関心を薄めつつある米国 シリア政府軍、キリスト教徒の町マアルーラを奪還 戦闘で破壊されたシリア・マアルーラのホテル(2014年4月14日撮影)〔AFPBB News〕 米国の関与は、アジアの平和と安定に欠かせない。中国の挑戦的な行動を阻止できるのは米国しかいない。だが、もはや米国でも一国では手に余るのも事実である。 最大の問題点は米国が国際問題に関心を失いつつあることだ。オバマ大統領はこれまで内政に終始してきた。歴代大統領に比して国際問題に関心が薄い。昨年来、オバマ大統領は、米国はもはや「世界の警察官」ではないと繰り返し述べている。 シリアの内戦では、アサド政権が化学兵器使用という「レッドライン」を超えた。だが、オバマ大統領は武力行使権限を議会に丸投げにし、挙句の果てにはロシアの助け舟に便乗して軍事介入を避けた。 イランとは核開発の透明性向上の代わりに制裁の一部を緩和することで合意した。イラン寄りの妥協案にイスラエル、サウジアラビア、カタール、オマーンなどは失望し、中東における米国の威信は地に墜ちた。 リビアやマリの内戦でも及び腰であり、「背後から導く(leading from behind)」と述べている。ウクライナ問題では早々に「軍事力行使はしない」と述べてしまった。もはや戦後世界を率いてきた矜持は感じられない。 中国は力を発揮する意欲に欠ける米国の足元を見透かし、ジリジリと既成事実を積み重ねている。昨年12月、東シナ海上空に防空識別圏という名の管轄空域を設定した。公海上の飛行の自由を保障する国際法の明らかな違反である。 今年1月には、南シナ海で勝手に設定した海域で、外国漁船に対し操業許可申請を義務づける独善的な規則を施行した。米国のラッセル国務次官補は「挑発的であり、潜在的に危険な行為だ」と懸念を表明した。だが、オバマ政権の腰の定まらぬ対中姿勢を見透かした中国には馬耳東風である。 同月、人権活動家許志永氏が公共秩序騒乱罪で起訴され、懲役4年の実刑判決が下った。ロック駐中国米大使は「許氏らの起訴は、当局の腐敗を明らかにし、平和的に意見を表明しようとしたことへの報復だ」と中国を批判した。だが中国は全く意に介さず、わずか5日間の審理で判決を出した。 判決に対し米国務省のサキ報道官が「米国は深く失望している」と表明した直後、今度は人権活動家胡佳氏を連行、拘束した。許志永氏やウイグル族学者イリハム・トフティ氏らをネット上で取り上げたことが原因という。米国の懸念や不快感など、馬の耳に念仏ほどの効果もない。 このままでは米軍の介入を招かないで尖閣を奪取することが可能だと中国が信じ込む危険性がある。こういった背景が今回の「尖閣諸島を含めた日本の施政下にある全ての領域でコミットメントを果たす」というオバマ発言につながったのだろう。 今後はこの共同宣言を目に見える形で具現化していくことが急務である。中国の高官は「中国にとって最も都合のいい日米同盟は、ここぞという絶妙の瞬間に同盟が機能しないことだ」と語っている。中国に対する最大の抑止は、日米同盟が「絶妙の瞬間」に機能するところを目に見える形で示すことなのだ。 巻き込まれないから、米国を巻き込む戦略へ 米国防戦略指針(2012年)にもあるように、アジアの平和と安定は米国にとっても国益である。米国が内向きになっているのは、テロとの長い戦いによる厭戦気分と同時に、同盟の負担を負いきれぬ財政事情があるからだ。ならば負担や役割を日本が分かち合うことだ。日米が負担や犠牲を分かち合って中国に立ち向かうしかない。 外交に関心を失いつつある米国に対し、中国への関与政策の意志を持たせることは日本の国益そのものである。そのためには集団的自衛権行使を認め、米国を巻き込むことが欠かせない。 近すぎると「巻き込まれ」、遠すぎると「捨てられる」という「同盟のジレンマ」がある。60年安保闘争以来、米国の戦略に「巻き込まれる」ことをいかに避けるかが国会での論議の的だった。だが、現在は内向きになる超大国米国をいかに「巻き込む」かという知恵が日本に求められている。 ロバート・ゲーツ元国防長官は離任の際、「国防に力を入れる気力も能力もない同盟国を支援するために貴重な資源を割く意欲や忍耐は次第に減退していく」と本音を語った。米国を「巻き込む」には「米国の意欲や忍耐」を減退させない日本の努力が必要である。これまでのような米国の負担を前提にした安全保障はもはや成り立たない。 今年3月、米国防総省は「4年ごとの国防計画の見直し(2014QDR)」を公表した。その中で「豪州、日本、韓国、フィリピン、タイとの同盟強化がリバランスの中心」と述べている。相対的に力の陰りが見える米国は、もはや同盟国の支援なく世界秩序を維持することはできない。 中国の「無頼漢」化を抑止して、東アジアの平和と安定を保つためには、日米同盟の緊密化が鍵となる。日本が米国と強力なタッグマッチを組んで中国に対峙するには、集団的自衛権の行使容認は待ったなしなのである。 1998年のテポドン騒動の時、日本海で警戒に当たる米海軍のイージス艦に対し、ロシアの偵察機が大挙して接近してきた。イージス艦は弾道ミサイルモードにレーダーを切り替えると、接近する航空機を探知する能力は低下する。この時、米軍から航空自衛隊に対し上空警戒の要請があったと聞く。 これに対し防衛省は、集団的自衛権に抵触する可能性もあり、小田原評定で遅疑逡巡した。米軍は痺れを切らし、三沢の米空軍F16を離陸させて自前で対処したという。日本を守るために警戒に当たる米海軍イージス艦の支援もできない。これでは同盟と言えない。米国も嫌気がさすに違いない。 次のような事例は明日にでも起こり得る。朝鮮半島有事が勃発すれば、米国政府が真っ先にやることは約22万人に及ぶ在韓米人非戦闘員(婦女子)の避難である。米国は軍用機、チャーター機、民間航空機などをピストン輸送させ、総力を挙げて至短時間に朝鮮半島から日本に避難させる計画だ。 東日本大震災の際にも、放射能被害を避けるため、関東一円の米軍人家族をハワイ以東に避難させた。在日米軍基地から婦女子があっという間にいなくなった事実はあまり知られていない。 日本海には米人非戦闘員(婦女子)を乗せた航空機が数珠つなぎになるだろう。当然、自衛隊も警戒態勢を上げる。日本海には武装した空自F15戦闘機が空中哨戒を実施しているはずだ。その時、日本海を飛行する米輸送機の後方に接近する北朝鮮空軍MIG-29戦闘機を空自F15が発見したとしよう。 米民間人を見殺したその瞬間、崩壊する日米同盟 米国は空自F15がMIG-29を撃墜して、米人婦女子を護ってくれると信じているだろう。空自の能力からすると十分可能だ。だが、空自パイロットはMIG-29を撃墜し、米人婦女子を守ることはできない。平時にあって公海上空を飛行する米軍輸送機を守るための行動は、集団的自衛権に該当し、禁じられているからだ。 空自F15がそこにいるにもかかわらず、米人婦女子が撃墜されるのを手をこまねいて見ていたとしたら間違いなくその瞬間に日米同盟は崩壊する。筆者が現役の頃、怖れていた地獄のシナリオの1つである。 ミサイル防衛もそうだ。2012年12月、北朝鮮は人工衛星打ち上げと称し、ミサイルを打ち上げた。米国にも届く核ミサイルとなる可能性がある。自衛隊は我が国に飛来する弾道弾ミサイルは破壊できる。だが、米国に飛来する弾道弾ミサイルは集団的自衛権に抵触するから撃ち落とすことはできない。 北朝鮮から米本土に撃たれたミサイルは、カムチャッカ半島からベーリング海方面を飛行するため、日本からは物理的に迎撃することはできない。だが、グアムやハワイに撃たれたミサイルは日本の本土上空を飛行する。幸か不幸か現在の自衛隊はその迎撃能力を有しない。だが日米共同開発中の弾道弾迎撃ミサイルが完成すれば、これを迎撃できる可能性が出てくる。 もしハワイやグアムに撃たれた弾道弾ミサイルを発見し、迎撃が可能であるにもかかわらず、集団的自衛権を理由に迎撃しなかったならどうなるか。結末は誰にでも容易に想像がつく。 ハワイやグアムに撃たれるときは、日本の領域にも当然撃たれるだろうから、その時は個別的自衛権で対応できると主張する元高級官僚がいる。いかにも苦し紛れの乱暴な論法であり、危険な発想でもある。 この論法だと個別的自衛権で何でも出来ることになってしまう。日本有事でも着弾地点が外国領土である弾道弾ミサイルは個別的自衛権では迎撃できないのだ。 米軍は弾道弾ミサイル探知用レーダーを既に青森県の車力に設置している。今回、新たに京都府の経ガ岬に追加設置することを決めた。米軍はグアム、ハワイへの弾道弾ミサイル対応を真剣に考え始めている。そう遠くない将来起こり得ることであり、決して絵空事ではない。 現下の安全保障環境において、集団的自衛権行使ができなければ「絶妙の瞬間」に日米同盟が機能しなくなるシナリオはこのほかにも多々ある。 今回の共同宣言を具現化するためには、集団的自衛権の行使を前提とし、米国との任務分担、役割分担を明確にして共同作戦計画を策定することが急がれる。共同作戦計画は「米国を巻き込む」最良の手段であり、何よりの中国への強力な抑止力となる。 習近平政権が発足して1年、不動産バブルの瓦解、地方政府の債務不履行、経済的苦境、汚職、腐敗、海外への資産逃避、貧富の格差などの問題を抱え、内政は決してうまくいっていない。国内に問題を抱える時、対外的に強い姿勢を示し、求心力を高めようとするのは独裁者の常道である。 戦いに備えよと強調する習近平主席 習国家主席が仏リヨンに到着、公式訪問を開始 今年3月、欧州を訪問して日本批判を繰り広げた習近平主席〔AFPBB News〕 最近、習近平主席は「戦いに備えよ。そして戦いに勝たねばならない」と好戦的言辞を使うようになった。今後も民族主義をあおる「中華民族の偉大なる復興の夢」のスローガンの下、東シナ海、南シナ海で益々挑発的になってくるだろう。その最大の標的は日本なのである。 力の信奉者である中国の台頭に対し、我が国を守り、アジアの平和と安定を確保するには、日米同盟の緊密化を図り、米国を「巻き込む」ことが欠かせない。「親米」でも「反米」でもない、日本の国益のために米国を活用するという「活米」の知恵が求められている。このために集団的自衛権の行使は欠かせない。 集団的自衛権行使を認めることは、決して「米国とともに『戦争する国』造り」でも、「アメリカの手先になる」ことでもない。我が国の防衛そのものなのだ。 現下の情勢を正しく認識しないまま、集団的自衛権行使容認の手段について、「やれ憲法解釈の見直しだ、いや改憲だ」と議論しても国民には理解が難しい。世論調査を見ても、「集団的自衛権が認められれば、米国と一緒に地球の裏側まで行って戦争するようになる」といったデマゴーグに惑わされていることが分かる。 情勢認識と集団的自衛権行使の必要性の議論、そして行使を可能にする手段の議論は分けて実施すべきである。非武装中立論者と防衛力整備について議論できないのと同様、イデオロギー的に集団的自衛権に反対する人たちと、「憲法解釈か憲法改正か」といった方法論を議論しても混迷が深まるだけである。 力の信奉者である中国が冒険的行動の誘惑に駆られないようにするには、自らの国は自らで守るとの原点に立ち返り、自衛隊が効果的に能力発揮できる体制整備を実施すると共に、集団的自衛権行使を可能にし、目に見える形で日米同盟緊密化を演出することが今何より求められている。 現下の安全保障環境を直視すれば、集団的自衛権行使の必要性は必ず理解されると思う。我が国防衛上、もしそれが必須ならば、集団的自衛権行使を可能にする法的整理はいろいろあるはずだ。原理主義的に憲法を守って国を亡ぼすわけにはいかないのだから。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/40570 日米安保第5条は日本を守ってくれるのか? オバマ発言に安堵してはいけない 2014年05月01日(Thu) 北村 淳 日本のメディアはこぞって「日米首脳の共同記者会見でオバマ大統領が、尖閣諸島に日米安全保障条約第5条が適用されると発言した」と大々的に報じた。
「オバマ大統領は、アメリカの大統領として初めて、尖閣諸島にアメリカの日本に対する防衛義務を定めた日米安全保障条約の第5条が適用される考えを示し・・・」 「オバマ大統領は、中国が領有権を主張している沖縄県の尖閣諸島に言及。『日本の施政下にある領土は、尖閣諸島も含め日米安全保障の適用対象になる』と述べ、武力衝突が起きた際は米軍が防衛義務を負うことを明言した・・・」 「オバマ米大統領は24日昼、日米首脳会談後の共同記者会見で、沖縄県の尖閣諸島が日米安全保障 条約に基づく防衛義務の対象と明言した・・・」 これまでもヒラリー国務長官をはじめ歴代の国務長官や国防長官それに軍首脳といったアメリカ政府・軍の公職に就いている人々だけでなく、元政府高官やシンクタンクの知日派と見なされている人々からも、繰り返し繰り返し「尖閣諸島は日米安全保障条約第5条の適用領域」との言質を取って喜んできた日本政府やメディアが、ついに大統領の口からこの言葉を引き出したために、あたかも目的達成とばかりに報道したようである。 「防衛義務」が与える印象 それらのメディアの報道は、日米安全保障条約第5条がアメリカに“日本防衛義務”を課した条項であると断言しているが、「防衛義務」という表現を無批判に使用するのは、嘘あるいはデタラメとまでは言えなくとも決して適正な報道姿勢とは言い難い。 一般的に「義務」という語には、法律や規則や契約などに基づき、あるいは道徳や倫理などの観点から、「しなければならないこと(あるいはしてはならないこと)」という意味がある。したがって上記の文脈で「防衛義務」と言うからには「日米安保条約第5条が適用された場合には、アメリカは条約という国家間の約束に基づいて、必ず日本を防衛しなければならない」ということになる。そして、当然のことながら武力による侵攻に対する防衛である以上は「アメリカも武力を行使して反撃する」という意味を持つことになる。 よって、上記のような日本メディアの表現に従うと、「尖閣諸島を巡る紛争によって日中間に軍事衝突あるいは戦争が勃発した場合に日米安保条約第5条が適用になる」ということは、アメリカ軍が出動して日本防衛のために中国軍と戦火を交えるということを意味する。たとえ日本政府や日本のメディアが「防衛義務を定めた日米安保条約第5条は、そのような明確な意味は持たない」と弁解しても、「防衛義務」という語を使うと、そのような印象を与えることになる。 集団的自衛権発動の義務を定めたNATO条約第5条 もしこのケースが日米安保条約第5条でなくNATO条約第5条であれば、上記のような報道には何の問題もない。NATO条約第5条は、「NATO締結国(1カ国でも複数国でも)に対する武力攻撃は全締結国に対する攻撃と見なし、そのような武力攻撃に対して全締結国は、北大西洋地域の安全保障を回復し維持するために必要と認められる、軍事力の使用を含んだ行動を直ちに取って被攻撃国を援助する」と規定している。条約締結国による武力反撃、すなわち国連憲章第51条に言う集団的自衛権の行使が明文で規定されているのである。 したがって、NATO条約適用領域内(第6条で具体的に規定)で締結国に対する武力攻撃が発生した場合には、被攻撃国は当然ながら反撃する(国連憲章第51条に言う個別的自衛権)ことになる。同時に、全ての条約締結国は集団的自衛権に基づいて救援軍を派遣したり、その他の各種軍事支援(例えば偵察情報の提供や武器弾薬の供給)を実施したり、補給活動を実施したりして、被攻撃国を支援しなければならない義務が生じるのである。 NATO条約第5条による集団的自衛権発動をきっかけにアフガニスタンに出動したカナダ軍(写真:カナダ軍)
NATO条約第5条による集団的自衛権発動をきっかけにアフガニスタンに出動したノルウェイ軍(写真:Wikimedia Commons) 弱体で曖昧な日米安全保障条約第5条 このようなNATO条約第5条に比べると、日米安全保障条約第5条は、条約締結国間の軍事的結びつきという観点においては、弱体であるとともに曖昧であると言わざるをえない。 NATO条約では、条約適用範囲が原則として北大西洋地域における締結国の領土、施政権を行使している地域、船舶、航空機、ならびに軍隊駐屯地とされている。したがって、それらすべての対象領域内での武力攻撃に対して、全ての締結国が何らかの形で反撃することになるのである。 ところが、日米安全保障条約の適用範囲は、日本の施政下にある領域に限定されている。したがってアメリカの施政下にある領域での武力攻撃が発生しても、日本とは無関係ということになる。明らかに、NATO加盟諸国間の軍事的結びつきと比べると日米間の軍事的結びつきは弱体ということになる。 NATO条約第5条による集団的自衛権発動をきっかけにアフガニスタンに出動したドイツ軍(写真:ドイツ陸軍) またNATO条約第5条は、締結国に対する武力攻撃に対しては全ての加盟国が「直ちに北大西洋地域の安全保障を回復し維持するために必要と認められる行動を取る」と規定し、その行動には「武力の使用を含む」と明示している。
一方、日米安保条約が発動された場合には「自国の憲法上の規定ならびに手続きに従って共通の危険に対処するよう行動する」と規定されている。この規定は、上記NATO条約と比較すれば、極めて曖昧な表現であり、具体的にアメリカが軍事的に何をなすべきかは全く不明と言わざるをえない。この点においても、日米安保条約はNATO条約に比べると極めて曖昧な軍事同盟と見なさざるをえない。 米海兵隊や海軍の将校たちが日本の報道に抱く違和感 日米両首脳の共同記者会見に関連して、マサチューセッツ工科大学のテイラー・フラベル准教授は「もし尖閣問題で日中間に小規模な軍事衝突が勃発した場合、アメリカが偵察分野での援助をするのか、日本軍への補給活動を実施するのか、それとも軍事的支援はなにもしないのか、日米安保条約第5条の規定はあまりにも不明瞭である」とコメントしている。 まさにその通りで、日米安保条約が適用になるような対日攻撃事態が勃発した場合、NATO条約のケースと違って、アメリカ政府はまず日本に対して軍事的支援を行うか否か? を検討し、次にどの程度の軍事的支援を実施するのかの検討を始めるのである。 アメリカ合衆国憲法では戦争実施の権限は連邦議会が握っているが、「戦争権限法」により60日以内に連邦議会の承認を受けることを条件として大統領権限によって軍隊を動かすことが可能となっている。したがって、大統領はじめ政府首脳が「アメリカの若者の血を流しても、日本防衛のために軍隊を投入すべきである」と判断した場合には、アメリカ軍を日本防衛のための戦闘に投入することができる。ただし、連邦議会も「アメリカ将兵の犠牲と、血税をつぎ込んでも、日本防衛のための救援軍を投入すべきである」と考えなければアメリカ軍は撤退しなければならない。 要するに、尖閣諸島に限らず日本領域内で対日武力攻撃が勃発した場合、自動的に(もちろん日本政府の命令に基づいてではあるが)防衛のための戦闘を開始する自衛隊と違って、アメリカ軍が自動的に日本防衛のために戦うことは絶対にない。アメリカ政府・連邦議会が「日本のために少なからぬアメリカ将兵の血を流し、多くの武器弾薬装備を損耗し、多額の戦費を支出する」ことを支持した上で、初めて自衛隊を支援するための援軍が派遣されるのである。 実際に自分たち自身が日本のために日本の敵と戦い自分自身や部下たちが死ぬ可能性があるアメリカ海兵隊や海軍の将校たちは、このような日本防衛のための米軍出動の流れを明確に理解している。そして彼らの多くが「出動命令が発せられたら、アメリカと海兵隊の名誉のために喜んで日本防衛のために戦闘に従事する覚悟は常にできているが、日本のメディアが日米安保条約により自動的にアメリカ軍が中国人民解放軍と戦火を交えるように報道しているのには、極めて大きな違和感を抱く」との感想を漏らしている。 自主防衛の気概が原点 日米安保条約に基づいてアメリカ軍が支援に駆けつけようが駆けつけまいが、いずれにせよ日本の領域を防衛するのは日本自身である。ところが、「尖閣諸島が防衛義務を定めた安保条約第5条の適用範囲であるとオバマ大統領が明言したということは“アメリカが日本を守ってくれる”ということである」といった情けない内容の論調が日本メディアには見受けられる。 本コラムでも何回か言及したように、尖閣諸島自体への中国人民解放軍による正面切っての侵攻は軍事的価値があまりにも低すぎて実現しそうにはないものの、尖閣領有権を巡り何らかの対日軍事攻撃が勃発する可能性は決して低くはない。それに対抗するのは、当然のことながら、アメリカ軍ではなく自衛隊である。自衛隊が日本防衛のための戦闘に突入した後でないと、アメリカ政府や連邦議会による対日軍事支援に向けての具体的対処は開始されない。 そして、民主主義国家の軍隊である自衛隊が国防のための戦闘で犠牲を厭わず勇敢に戦うための大前提は、日本国民が自主防衛の気概を持っていることであることは言うまでもない。また、自主防衛の気概が欠落している国に対して、自国の将兵の血を流させてまでも軍事的支援を実施するような余裕は、もはやアメリカにはなくなってしまっている。 日米軍事同盟が機能して共同で外敵を撃退するための原動力は、日米安保条約第5条という「紙に書かれた文言」ではなく、日本国民の確固たる自主防衛の気概である。 |