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「「公明党よ、どこへ行く」歌を忘れたカナリアは、後ろの山に捨てられる運命にある:深草 徹氏」
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2014/4/30 晴耕雨読
かって公明党の二見伸明議員が、必要最小限度の範囲内なら集団的自衛権行使は許されるのかと質問、内閣法制局長官は、自衛権行使三要件を示して、わが国が攻撃をされることが自衛権行使の要件、だからあり得ないと明確に答弁した。
今、政府・自民党はこれをまき戻し、公明党もすり寄ろうとしている。
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公明党よ、どこへ行く
1 読売新聞紙上での公明党・北側一雄副代表の発言
北側副代表は、4月29日付読売新聞朝刊の「憲法考」2に登場し、記者の問いに答えて以下のとおり発言をしている。
@公海上の米艦船への攻撃などの問題は集団的自衛権の問題だろうか、というのが率直な印象です。日米安保条約の下で米軍は日本防衛の義務を負っており、朝鮮半島有事のような事態になれば自衛隊と緊密に連携して共同作戦をとります。そういう中で米艦が攻撃されれば、我が国に対する武力攻撃の開始だと評価できる場合が十分あると思っています。自衛隊の艦船と米艦が離れていても、日本防衛の役割を担っていて、なおかつ自衛隊との連携がある場合には、(個別的自衛権の行使)として防護するべきでしょう。
Aシーレーン(海上交通路)が機雷で封鎖された場合も、頻繁に航行する日本船への危険物になっているわけだから、機雷除去は一種の警察権に関わる話しだと思います。
B米国に向かうミサイルの迎撃も、事前に日米間で、危険物が飛来した場合に日本がそれを破壊していくことについて同意しているならば、警察権の行使としてできると思います。
C集団的自衛権は日本への武力攻撃がないにもかかわらず、ある基準を設けて武力行使をするわけだから、基準はよほど明確でなければなりません。「放置すれば日本の安全に大きな影響が出る場合」といった「限定容認論」の基準は、非常に不明確で、国会論戦に堪えられないと思います。
D現時点では首相官邸と我々の考えは少し差があります。しかしこれまでの経験からは一致点は見出せると思います。
2 北側副代表の発言の問題点
(1)政府・自民党とその露払い役の安保法制懇は、自衛隊の出動、武力行使ができる範囲を三つ方向において拡大しようとしている。
第一、集団的自衛権の行使、即ち日米同盟を名実ともに攻守同盟とするため、米国もしくは米軍に対する攻撃に共同して戦うことができるようにすること
第二、国連による平和維持活動(その擬似的タイプを含む)へのコミットメントすること
第三、マイナー自衛権などグレーゾーン事態への自衛隊の投入
第一については限定行使容認論(@密接な関係にある国が攻撃を受けたこと、A放置すれば日本の安全に大きな影響が出るおそれがあること、B攻撃された国から行使を求める明らかな要請があったこと、C首相が総合的に判断し、国会の承認を受けること、D攻撃を受けた国とは別の国の領土・領海を自衛隊が通る場合、その国の許可を得ること、を要件として認めるというもの)が有力に唱えられている。これを集団的自衛権という言葉を用いない方向で検討しているようである。いずれにしても、「必要最小限度の自衛権」の行使として憲法9条の下でも認められるという理屈付けをしようとしているのであろう。
第二については、憲法9条は我が国が国際紛争の当事国となる場合のことを規定しているのであり、そうでない場合には何らの制約もない、国連平和維持活動等では我が国は国際紛争の当事国ではない、という珍妙かつ乱暴な理屈が考えられているようだ。
第三については、@領海に潜没航行する外国潜水艦が退去命令に従わない場合に自衛艦を出動させること、A海上保安庁が速やかに対応できない海域や離島等において船舶や民間人に対し武装集団が不法行動を行う場合に自衛隊を出動させること、B自衛隊による在外邦人救出活動などが検討対象となっている。
(2)北側副代表は、第一について、限定行使容認論の基準が不明確だと批判しつつも一致点は見出せると前向きの姿勢を示し、@公海上の米艦船への攻撃対処、Aシーレーン機雷封鎖時の対処、B米国へ向かうミサイル迎撃について、一定の条件のもとで認めることを打ち出している。
しかし、北側副代表の発言には以下の問題がある。
まず@が個別的自衛権というためには我が国への攻撃と認定できる場合できるケースでなければならず、政府・自民党、安保法制懇が検討しているものとは大きなズレガある。
次にAだが、北側副代表は、停戦後に浮遊物として残った機雷の撤去を想定しているのではなかろうか。政府・自民党、安保法制懇が検討しているのはそんなケースではなく、A国が、B国、C国等との交戦中に、もしくは報復措置として、軍事的な手段として機雷封鎖をした場合に、B国、C国等の要請でそれを解除することである。そのような作戦行動を警察権の行使だなどと言う人はいないだろう。
最後にBについても北側副代表の発言は問題のすり替えをしている。我が国の領空上を飛ぶミサイルを打ち落とすのなら、可能かどうかはともかくとして、大騒ぎする問題ではない。これは政府・自民党、安保法制懇が想定しているケースとは明らかに異なる。
さて北側副代表は、このような議論をしつつ、一致点は見出せるなどと言うのであるが、さて一致点はどのように作られるのであろうか。それは想定ケースを玉虫色にし、いくらでも広げていけるような条件設定をし、それらのケースに自衛隊が出動、参加し、武力行使をすることは憲法9条の下でも認められる「必要最小限度の自衛権」行使であるという内容で手打ちすることであろう。
(3)北側副代表は、第二、第三については発言していない。しかし、北側副代表が、この3日前、4月26日付公明新聞インタビューで「『「集団的自衛権の是非』という抽象論に走りすぎていると思います。議論の順序としては、まず、安全保障上の環境が大きく変わったのかどうか、今の安全保障政策ではどうしても対応できない分野があるのかどうかを考えるべきでしょう。もし、問題があるのなら、周辺事態法など個別の法律のどこが不十分かを判断することになります。その中で、『集団的自衛権の行使はできない』とした政府の憲法解釈に問題があれば、さらに議論を深めればいい。集団的自衛権だけを観念的に議論しても、とても国民の理解は得られないと思います。例えば、尖閣諸島を侵攻された場合、これは日本への武力攻撃であり、自衛隊の個別的自衛権の行使の問題です。また、停戦後に派遣される国連平和維持活動(PKO)に伴う自衛隊の武器使用は、そもそも自衛権とは無関係です。」と述べているところからすると、集団的自衛権の問題ではなく、憲法9条の問題は生じないとの考え方のようにも思われる。そうであるならそれは極めて乱暴な意見である。
(4)北側副代表の発言の一番の問題点は、第1項C中で「集団的自衛権は日本への武力攻撃がないにもかかわらず、ある基準を設けて武力行使をするわけだから、基準はよほど明確でなければなりません。」と述べていることである。これは、そもそも憲法9条の下では集団的自衛権は許されないとの政府見解をすでに踏みにじっている。同じことは公明新聞でのインタビュー中の『「集団的自衛権の是非』という抽象論に走りすぎていると思います。」との発言にも当てはまる。
3 歌を忘れたカナリア
第一に、憲法9条の下で認められる自衛権は、集団的自衛権行使三要件によって制約されたものである。
第二に、憲法9条の下で保持することができる自衛力(自衛隊)は、そのような制約ある自衛権を行使するために必要最小限度の実力である。
これらが再軍備日本が、憲法9条との折り合いをつけたギリギリの憲法解釈であり、歴代政府はこれを繰り返し確認して二本柱の政府見解である。
今、政府・自民党、安保法制懇が検討している自衛隊の自衛隊の出動、武力行使の範囲拡大戦略は、この二本柱の政府見解に即して判断されなければならない。答えは「いずれも認められない」である。
今、北側副代表はこれを政府・自民党、安保法制懇とともに蔑ろにしようとしている。公明党は庶民の党、平和の党、それが立党の理念ではないか。
歌を忘れたカナリアは、後ろの山に捨てられる運命にある。
(了)
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