61. 小沢カルトはバカばかり 2014年4月28日 23:08:18
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。■日本の財政破綻 「最大要因は、自民党小沢一郎幹事長である」 4月1日から消費税率が8%に変更となり、来年10月には10%となる 増税前の駆け込み需要で世間は沸き立っている。 住宅、自動車、家電は言うに及ばず、水やトイレットペーパーまで買いだめされており、大量の広告投下の影響もあいまって、パンフレット印刷が間に合わない状況にまでなっている なぜ増税なのか? 日本の財政は、どうしてこんなに危うくなったのだろうか_? まず、日本の債務残高の推移を見てみる
1980年 41480 2000年 303874.8 1981年 53103.1 2001年 331182.5 1982年 62490.5 2002年 371847.2 1983年 73286.6 2003年 386904.8 1984年 81270.1 2004年 415101 1985年 84896.3 2005年 413974 1986年 85586.8 2006年 410560.4 1987年 74039.1 2007年 412884.5 1988年 67200.9 2008年 477558.8 1989年 59105.5 2009年 500315 1990年 59509.1 2010年 545690.2 1991年 54796 2011年 599635 1992年 66512.5 2012年 634666.8 1993年 82842.8 2013年 675971.5 1994年 95793.6 1995年 117835 1996年 147648.1 1997年 179236.9 1998年 233279.5 1999年 267877.9
1993年頃までは、5兆円〜9兆円の間で推移しており、借金は無いに等しい。 ところが1993年以降日本の財政赤字がどんどん膨れ上がり、今日の破綻寸前状況に至っている では、この時期に何があったのか?
それは、日米構造改革協議である。 アメリカと日本の間で、日米貿易不均衡の是正を目的としてパパ・ブッシュの指示で1989年から1990年までの間、計5次開催された2国間協議の事。 1993年に「日米包括経済協議」と名を変え、1994年からはじまる、「年次改革要望書」「日米経済調和対話」へ移った。 アメリカは、対日貿易赤字を解消するため円安ドル高是正を図り、1985年のプラザ合意で日米欧が作為的に円高状態を造り出した しかし、円高にあっても日本企業は、高い競争力を維持していたために、アメリカの対日赤字は減らず、むしろ増えた。 アメリカ議会は不公正貿易国と認定した国に報復制裁を含めたスーパー301条を通過させ、対日強行措置を迫っている状態だった 日米構造改革協議は、それを踏まえて実施されたもので、実態はアメリカ企業が日本市場に参入するときに邪魔になる障害を取り除こうという趣旨で、200項目にも及ぶ要求を突きつけていた。 その中で日本は、膨大な公共投資をして内需拡大を迫られたのである 当時の日本は、与党自民党の金竹小(こんちくしょう)=トロイカ支配体制と言われた 自民党の最大派閥で旧田中派である「経政会」が金丸副総裁、竹下首相、小沢幹事長の3人によって支配されていたため、事実上自民党の三頭体制であった。 竹下が首相になると、金丸との間に隙間風が吹き、金丸がキングメーカーとなり、小沢が番頭格で金丸についた。 ドン金丸は、竹下以降も、宇野内閣・海部内閣・宮沢内閣を造ってフイクサーとして君臨したのである この時代に小沢は、金丸の威を借り、金丸が小沢に後を譲ろうとしていたこともあって、小沢は幹事長として自民党を支配した 逆らう自民党議員には、党費の配分を削って干上がらせたと言い、小沢の金縛りと呼ばれた この時に自民党内に小沢アレルギーが醸成されたと言われる この頃に「ミスター外圧」などと呼ばれたマイケル・アマコスト駐日大使が、海部首相を飛び越えて、小沢(や金丸)と直接協議することが常態化しており、日米構造協議でも大蔵省の強い反対を抑え、公共投資を10年間で430兆円とすることで妥結させている それまでに合意によって公共投資された、30兆円と1993年から10年間に渡り、毎年40兆円を支出するというものである 当時はバブル期に当たり、総税収が54兆円程度であった 現在の税収は42・43兆円である つまり、現在の総税収に匹敵する額の公共投資を10年間(1993年〜2002年)も行い、借金しながら支出し続けたのである。 デタラメの極み 結果、債務は370兆円に膨らんだのである これが、借金が膨らんだ最大要因であり、主犯は小沢(&金丸)である ----------------------------------------------- 1990年、日本社会党のつてを頼り田辺誠らと訪朝団を編成し、金丸が団長として北朝鮮を訪問する(金丸訪朝団)。 この時に、小沢も参加して北朝鮮側と数次に渡り交渉を行う。 田辺は、中国に乗り込んで、当時の日本の内閣が靖国神社を参拝した件をもって、反対を焚き付けたとされる人物で、今日の靖国問題を外交問題化させた張本人である 1992年8月、金丸は、東京佐川急便から5億円のヤミ献金が発覚し、失脚した 1993年3月6日、東京地検は金丸を脱税の容疑で家宅捜索を行ったところ、数十億の不正蓄財が発覚する。 捜索の中、時価1千万円相当の金塊が発見された。 金丸が訪朝の際、金日成から受領した無刻印のものとされ、当時大事件となった 1993年金丸の後継を選ぶ経政会会長選挙が行われ、小沢は羽田(後の首相)を擁立したが、反小沢派が推す小渕(後の首相)に敗れた。 この時小沢派と半小沢派の確執が大きくなり、宮沢内閣不信任案に小沢や羽田らが賛成し、解散選挙となった。 小沢、羽田は自民党を離党し、新生党を起こした 選挙では、自民党が過半数に達せず、日本新党・新生党・新党さきがけ・社会党・公明党・民社党・社会民主連合の7党に、参議院院内会派の民主改革連合を加えた8党派からなる連立で、小沢が推す、日本新党の細川護熙が首相となった(1993年8月) 新生党代表幹事の小沢が「細川首相」を提示。 細川は「自民党を政権から引きずり下ろすためには悪魔とも手を結ぶ」と述べ、非自民連立政権の首班となることを受諾した経緯がある。 その為、小沢らが合意した10年間の公共投資が開始されるとき、交渉当事者の小沢らは自民党に居なかったのである。 小沢のブレーンである大蔵官僚斉藤(後の民主党小鳩政権下のゆうせい初代社長)と小沢の談義で、消費税を福祉税と名称変更して、税率3%から一気に7%へ大増税しようという国民福祉税構想が持ち上がり、シャッポ(帽子)であった細川が、この構想を深夜の記者会見で突如発表した。(1994年) 世論は大反対。 さらに小沢らが連立政党間での根回しもしていなかった為、さきがけ・民社・社会党からも反対され、白紙撤回に追い込まれた 要は、小沢らが決めた年40兆円x10年≒総額430兆円の公共投資をすすめると、財政が逼迫することを認識していたのである。 明白な確信犯である 細川政権は、無能な操り人形である上に、細川首相自身が、佐川急便から1億円の借金をしており、返済していない疑惑を自民党から突っ込まれて、辞任に追い込まれた。 猪瀬前都知事が、徳洲会からの5000万円の借金をしていた問題とオーバーラップする。 その金は、事実上もらったのか、借りたのか曖昧であるため問題なのである ------------------------------------------------- 石原慎太郎元知事は、都知事の公式記者会見にて、小沢を名指しで国賊批判している。 その中で、小沢は、アメリカの要求に次々に応じて @移動通信機市場における87年と89年の国家主権売り渡しの悪事と94年の小沢と斉藤によるもみ消し Aアメリカの湾岸戦争戦費を小沢が用立て、早期集結したことで余った金のキックバックを受けた疑惑(アメリカではメディアで報じられている) B日米構造改革協議において、小沢が約束した430兆円の公共投資によって日本は土建国家と化し、無駄な大規模工事が全国で行われ、血税がドブに捨てられた .....と激しく糾弾してる。 また日米構造改革協議で合意された大店法の改正(米国企業を進出しやすくするため)によって、大規模小売店が進出しやすくなり、日本中で商店が閉店に追い込まれ、商店街がシャッター街と化したと批判している。 商店主の自殺は、以降急増しており、一般にも認識されている件である。 <公式会見>石原慎太郎都知事「小沢一郎の正体」を暴く http://www.youtube.com/watch?v=MERTrcik8CU
この会見で述べられたことは、著作としても発表されている。 (文字データ) 総力大特集 安倍か、小沢か WILL 2007年9月号 ●石原慎太郎(東京都知事) http://www.youtube.com/watch?v=PPbKyONzWhs WILLの記事を伝えるyoutube ブッシュ(息子)の指導をしたことで知られ、アメリカ政界に太いパイプを持つ、霍見芳浩・ニューヨーク州立大学教授の著作「アメリカ殺しの超発想」でも小沢の所業は暴露されている。 当時アメリカでは、小沢レバーと呼んでいたとのことで、つまり日本を操縦する操縦桿(「レバー)であり、押せば意のままに動かせられるという、アメリカの秘密兵器だと切って捨てている 石原の指摘した3件も、ずっと早い時期に触れている。 さらに、小沢と創価学会、アメリカの手先で有名なノリエガ将軍の関係についても触れている これらの公然たる批判に対して、告訴をちらつかせての恫喝が得意な小沢サイドは、一切反論できていない
430兆円の公共投資決定が、小沢独断というのは言い過ぎ?と思う方もいるだろう 当時の状況を見てみると....1)当時の小沢は、ドン金丸の威を借るキツネであった 自民党の最大派閥田中派が模様替えした経世会会長が金丸であり、数の支配力で権勢を得ていた。 金丸は小沢に後を譲ろうとしており、金丸を後ろ盾に小沢の権勢は強勢であった。
特にこの頃の小沢の権力は、最高潮で、海部内閣も小沢が担いだ内閣だが、更にその後の次期首相候補を面接して決めるほどだった。 金丸は、小沢に総裁になれと指示したが、小沢は狭心症で緊急入院し、退院した直後であるとして断った。 その為、小沢が面接して次期首相を選んで、経世会が支持することになった。 面接を行ったのが小沢一郎と太鼓持ちの渡部恒三であり、小沢の個人事務所で実施された 。 小沢事務所を訪れたのは、宮沢喜一・渡辺美智雄・三塚博である 小沢は、海部首相について、「シャッポ(帽子)は、軽くて馬鹿がいい」と述べた事は有名で、伝え聞いた海部首相が、直接小沢を詰問している。 以後、確執が生まれた一件 小沢幹事長は、自民党の党費を握る地位にあり、逆らうものは党費の配分を削って干上がらせた。 これを当時のメディアは「小沢の金縛り」と酷評している 自民党内に小沢アレルギーが生まれた原因である ヤクザで言えば、代替わり寸前の若頭である。 事実、小沢は、自民党の独裁者であった。 2)当時の駐日大使アマコストは、ミスター外圧と呼ばれ、日本に様々な要求を突きつけていた アマコストは、海部内閣を飛び越えて、事実上一番の実力者である小沢と直接交渉をしている。 430兆円の公共投資は、この席で決まった件であり、大蔵省の反対を押し切ったものであった
これらの事実から、小沢の独断に近い状況であると断じられる
仮に相談したとしても、側近とボスの金丸ぐらいであろう 。
[12削除理由]:無関係 |