http://www.asyura2.com/14/senkyo164/msg/608.html
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小沢一郎氏の著作とされている『日本改造計画』(講談社,1993)の出版にあたって、竹中平蔵氏が協力していたことがわかりました[文献1−4]。
また、小沢一郎氏が自由党の党首だった頃に、竹中平蔵氏が自由党の勉強会の講師として、たびたび招かれていたようです[文献5−6]。
竹中平蔵氏は、安倍政権の産業競争力会議のメンバーであり、小泉内閣では経済財政政策担当大臣、郵政民営化担当大臣、金融担当大臣などを務めた人物です。
小沢一郎氏の所得税を下げて消費税を10%に引き上げるという政策は、竹中平蔵氏の影響を受けていたようです。
これらの事は、古くからの小沢一郎氏の支持者にとっては既に常識的な事なのかも知れません。
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【参考文献】
[1]小沢一郎「日本改造計画」(講談社,1993).
(http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2064820)
[2]竹中平蔵・池田信夫・鈴木亘・土居丈朗「日本経済『余命3年』 財政危機をいかに乗り越えるか」(PHP研究所,2010).
《なぜ「日本改造計画」は実現しなかったか》
…
池田 私が疑問に思うのが、小沢一郎さんが九0年代に書いた「日本改造計画」(講談社)です。あそこに書かれた内容は経済学者にとって常識で、日本は当然そのような方向に向かっていくと皆が思っていました。
竹中 そのとおりです。「ふつうの国」になると皆が思っていました。
池田 それがなぜ、この二十年間、真逆の方向に向かうことになったのでしょう。
竹中 答えは簡単です。『日本改造計画』の出版にあたって、私を含め、いろいろな経済学者が協力しました。だから経済学者にとっては、当然の内容になったのです。小沢さんが小泉内閣ができたときに何をいったかというと、「それは私たちがやることだ」というものです。これこそ小沢さんが変貌した理由です。
小沢さんがやろうとしたことを、小泉内閣が一部、実現してしまった。そのため小泉内閣と違う、政治的ポジションを取ることにしたのです。だから、『日本改造計画』で小さな政府を志向しながら、真逆のお金をばら撒く方向に進むことになった。その意味で小沢さんは、典型的な政治家です。政策本位で考えるのでなく、政治的なパワ−ゲ−ムのポジション取りを中心に考えるのです。
池田 もう『日本改造計画』の考え方に戻ることはないのでしょうか。
竹中 そちらのほうが、ポジション取りに有利だと思えば戻るでしょう。それがあるから、いまだ小沢さんを待望する声もあがるのです。
池田 たしかに、その気持ちは私にもあります。もう小泉さんは、いませんから。今の民主党政権のやり方は、尊皇攘夷運動に似ています。「外資を排除して、美しい日本を守れ」といったことをやっている。しかしやっているうちに、このやり方は危険だと気付き、なし崩し的に開国のほうへ向かうのではないかと。結局、「格差社会はけしからん」といっても、財源がなければ何もできません。最後は経済学者が考えている常識的な方向に、軌道修正せざるを得ないのではないでしょうか。
竹中 いま何をやるべきかについて、ふつうに議論されているのは法人税の引き下げ、デフレ対策、規制改革などです。これらはすべて民主党のマニフェストに書かれていません。少し前までは、小泉・竹中の行き過ぎた規制緩和、と批判していましたよね。ところが菅総理は最近、「規制緩和すべき」と言い出しています。菅総理に矜持があれば、ふつうは恥ずかしくていえません。それを何のてらいもなく、口にできる。ひょっとしたら、そこが菅政権の唯一の希望かもしれません。
ただその際、「自分たちは少し認識を誤っていた」ことを踏まえて、規制緩和の必要な理由も語ってもらいたい。それがないまま突然変わったら、またいつ突然変わらないとも限らないと思ってしまいます。
…
(http://books.google.co.jp/books?id=DSwCRUVlB80C&printsec=frontcover)
(http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51501114.html)
[3]池田信夫,”小沢氏は『日本改造計画』の原点に帰れ - 池田信夫”,2010年08月28日.
…彼の書いた『日本改造計画』は「小さな政府」をめざす理念が明確でしたが、その後の小沢氏は政局の読みを誤って自民党政権の復権を許してしまい、政党は離合集散を繰り返して、経済の低迷はますます深刻化しました。
(http://agora-web.jp/archives/1082697.html)
[4]池田信夫,”小沢一郎氏の「西南戦争」”,2012年06月27日.
今では知らない人も多いようだが、小沢一郎氏は1993年の著書『日本改造計画』の序文に、グランドキャニオンを訪れたときの印象をこう書いていた:
(中略)
実際には小沢氏の書いたのは序文だけで、内容は当時の大蔵省の課長が編集長となり、竹中平蔵氏や伊藤元重氏などが書いていた。だからそこに書かれた経済政策は経済学者のコンセンサスに近く、所得税を下げて消費税を10%に引き上げると書いてあったのだ。
(http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51796657.html)
[5]平野貞夫,”「日本一新運動」の原点―148 日本一新の会・代表 平野貞夫妙観”,”「アベノミクス」と「小泉構造改革」”,2013年02月20日.
小泉首相は構造改革の政策づくりに、竹中平蔵慶大教授を担当大臣に就任させ、竹中理論による構造改革を断行していく。当時、私は自由党所属の参議院議員で、鈴木淑夫衆議院議員らと「国民のための構造改革研究会」を月1回開き、竹中氏も参加していた。
(http://nipponissin1.blog136.fc2.com/blog-entry-233.html)
[6]平野貞夫,”【BLOGOS対談】平野貞夫氏「小沢氏の敗北、これは日本が健全な民主主義をつくる最後のチャンス。」”,2010年09月19日.
平野:これはサッチャリズムに似てます。新自由主義といわれてもしょうがない。
(http://blogos.com/article/23587/?axis=&p=10)
平野:実は日本改造計画の勉強会に、竹中さんが来ていて、私たちが自由党の幹部でごく少数で政策勉強会をやっていまして、そのときの参加者でもあった。これは森内閣のころで、ずいぶん議論しました。
(http://blogos.com/article/23587/?axis=&p=11)
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