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【PC遠隔操作事件】「ビニル袋は二重」との警察官証言(第7回公判傍聴メモ)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20140423-00034734/
2014年4月23日 20時27分 江川 紹子 | ジャーナリスト
4月21日に行われた第7回公判では、冒頭に、弁護側請求証拠の要旨告知があった。その中には、江の島の猫グレイにつけられていた首輪にとりつけられていたマイクロSDカードや雲取山山頂から掘り出されたUSBメモリなどが含まれていた。いずれにも、遠隔操作ウイルスiesysのソースコードなどが保存されており、検察側は、犯人=片山祐輔氏がこれを猫につけ、山に埋めたとみている。犯人が残した物証だが、検察側はこれを証拠請求せず、開示を受けた弁護側が証拠請求することになった。
また、犯人が送り付けた写真では、USBメモリが入れられたビニル袋のファスナー部分はピンクなのに、証拠開示されたものは青だった点について、捜索作業に当たった警察官は、ファスナー青の袋をファスナーピンクの袋に入れて撮影したのではないか、という見方を示した。
この日の証言要旨は以下の通り。
江の島の猫から首輪回収の経緯
午前中の証人は、iesysのソースコードが保存されたマイクロSDカードつきの首輪を回収した、警視庁生活安全部サイバー犯罪対策課の中沢正貴警部。
検察側の主尋問の概要は次の通り。
犯人から送られた猫の映像の一枚
警視庁生活安全部サイバー犯罪対策課の係長で、2012年10月16日から13年3月31日まで本件合同捜査本部で「デスク係長」として捜査に携わった。「デスク係長」とは、捜査に関する事務のとりまとめと行う役割で、部下からの報告を上司に伝えたり、上司の指示を部下に伝える「中間管理職のようなもの」だという。そのほか、公開捜査に関する広報業務やヤマレコ投稿者などとの連絡役も務めた。
江の島で猫の首輪を回収したのは中沢係長。その顛末は以下の通り。
1月5日午前6時10分頃、自宅に金子警視から電話があった。「真犯人を名乗る者から、またメールが配信され、クイズを解くと、猫の画像が浮かび上がる。江の島の猫で首にチップをつけている。2chでも評判になっているので、行って確認してくれ」との指示。2chで画像を確認し、すぐに支度をして出た。私に連絡があったのは、自宅が近いからだと思う。私は生まれも育ちも鎌倉で、江の島には何十回も行っている。背景がサミュエル・コッキング苑とすぐに分かった。
7時55分頃江の島に着いた。記者のような人が3人いた。私も猫を探した。しばらくすると、記者が2,3人輪になって会話をしていた。その中に入ると、一人がPCを持ってきたので猫をみつけたらすぐに解析をする、と言っていた。それで私は警察手帳を示して、「猫を見つけたらすぐに教えて下さい。刑事訴訟法に基づいて押収します」と言った。趣旨を理解してくれて、「みんなで探そう」という雰囲気になった。
いやがる猫から首輪を回収(ロケットニュースHPより)
広場の反対側から記者2人が手招きをしたので行った。エスカの降り口すぐの自販機の前だった。記者の足下に猫が座っていたので、小走りに近寄った。猫に近づいて、しゃがんで無言で首輪に手をかけた。猫は驚いて暴れて後ずさりした(カワイソウニ!)。それで、首輪がスポッと抜けた。内側に黒いマイクロSDカードがついていた。腕時計で時間を確認したら、9時33分だった。首輪をビニール袋に入れて、コートのポケットにしまった。
このビニール袋は、自宅からもってきたもの。すぐに金子警視に電話を入れ「いました。とりました」と報告した。金子警視が「すぐに警視庁本部鑑識課に持ち込んでくれ。中村巡査部長を受け入れに当たらせる」と指示。モノレールにのって、警視庁本部に向かった。鑑識課で中村巡査部長が待ち受けてくれたので、袋ごと渡した。
鑑識作業が始まったのを見ていたら、金子警視から「江の島に戻って、防犯カメラの位置を確認してくれ」と指示があったので、すぐに電車に乗って戻った。すると捜査員が何人かいた。防犯カメラの位置を聞いて、地図に落として把握した。
発見状況の事情聴取はしていない
弁護側反対尋問に対する証言は次の通り。
回収した首輪を、持参したビニル袋に入れる(ロケットニュースHPより)
江の島に持って行ったビニル袋は、ネックストラップを入れるなどすでに使っていたものの使い回し。手袋はしていたが、新品ではない。
手袋をしたのは、まずは寒かったから。指紋をつけないように気を遣ったこともある。DNA鑑定を行う事件を担当したことはある。(使い回しの袋は)一般論であれば、DNAが混同するのであまりよそりくない。ただ、今回は未明の緊急呼び出しだったので、手近にあるもので間に合わせた。
3人の記者とは名刺交換した。首輪を発見したと言っていたのは、日テレの人。その時にもう一人いたのは、ロケットニュースの人。どちらが第一発見者かは分からないが、日テレの人が「私が発見した」と言っていたので、彼が発見したと理解した。日テレの人はビデオカメラ、ロケットニュースの人は一眼レフカメラのようなものを持っていた。どちらからにも、発見状況の事情聴取はしていない。映像や画像の提供も受けていない。
首輪を売っていたダイソーの防犯カメラ映像の解析をやったことは知っているが、私は担当していない。誰がやったのかも知らない。
ヤマレコのサイトで雲取山に関する投稿をした人12,3人ぐらいに連絡を取った。対象者は、12月31日を終期として、そこからまず1ヵ月、もう1ヵ月と2ヶ月間ほどの間に雲取山に登っている人。
1月29日付け資料入手報告書でNさんの12月1日の写真に被告人に告示した人物が映り込んでいることを報告したが、これをいつ発見したのかは分からない。
片山祐輔の名前を初めて知ったのは、平成25年1月11日。その姿は、1月3日の防犯カメラ映像で見た。
USBメモリの捜索状況
午後の証人は、警視庁刑事部捜査一課の古野智一巡査部長。平成25(2013)年元日と5月16日に雲取山山頂でUSBメモリの捜索を行った。
まずは元日の状況から。
当日、指示を受け、猪巻警部補、中村巡査部長と共に、ヘリで雲取山に向かった。ヘリポートで青梅の山岳救助隊4人と合流、徒歩で頂上へ。山道は、雪と氷に覆われて、滑りやすかったので、山岳救助隊のアイゼンを片方借りて、右足にはめて登った。山頂についたのは、午後2時30分頃。山荘管理人のAさんと合流した。
犯人が元日に送ったUSBメモリを埋めた場所を示す写真
三角点台座の南東側、謹賀新年メールに添付された写真の、赤字で「このへん」と書かれた部分の地面を掘削した。山岳救助隊からピッケルを借りてゆっくり掘り始めたが、地面が凍ってまったく歯が立たなかった。山荘の管理人から借りたツルハシで掘った。力一杯振り下ろしてツルハシの先が2センチくらいめりこむ、ゆっくりしたペース。コンクリートの床を棒で思い切り叩いているような反動が手に帰ってくる状態で、2,30回やると手がじんじんしびれて、他の人と交替しながらやった。
立会人のAさんが、三角点の中心の方向に掘ると、ずれるかもしれないので、中心方向に掘るのはやめてくれと言った。40分くらい掘った。深さは30センンチ程度になったが、USBメモリは発見できなかった。捜査報告書の見取り図によれば台座から36センチ、地表から30センチとある。
3時10分までで作業を終えたのは、ヘリの飛ぶ時間が差し迫っていたから。掘った土を戻し、踏み固めた。
元日の捜索の状況についての捜査報告書が5月22日付になったのは、正月の休み明けの後、捜査の舞台が江の島に移り、それから逮捕、再逮捕となって、報告書は後回しになったから。
続いて5月16日の捜索について。
犯人が送ってきた写真ではファスナーはピンク
この日は、井上警部補、村田警部補、有賀警部補と共に4人で捜索を行った。そのきっかけは、昨年5月上旬頃に、私が井上警部補に「そろそろもう一度山へ行きますか」と声をかけたところ、井上警部補が「行こう」と言ったこと。そのように声をかけたのは、逮捕後の2月か3月に、金子警視と喫煙室で雑談した際に、「誰かもう一度山に行かないと行けないな」という話を聞いていたから。ただ、この時は、担当している捜査で手が空かないのと、山はまだ同じように凍っているだろうから難しいのではないかと思った。5月上旬頃にそのような話をしたのは、三重の伊勢神宮の案件、秋葉原のドコモショップ脅迫の再逮捕が終わって、担当していた裏付け捜査が一段落したため。井上警部補は同じ係から捜査本部に派遣されており、絶えずペアとしていろんな捜査をしていたので、井上警部補も同じように手が空いた。井上警部補が趣味で山登りをしていたのも知っていた。
井上警部補がデスク主任の菊池警部補に雲取山に行くことを伝えたところ、「お願いします」と言われた。捜査本部の中で、他に山登りが趣味の人がいないか探し、村田警部補と有賀警部補に話を向けたところ、「行きましょう」と快諾した。井上警部補とスマホで天気予報を見て、5月15日に山荘で一泊し、翌日頂上の捜索と写真撮影を行い、さらに一泊して17日に下山する予定を立てた。
装備は、金属探知機2台、50メートルのメジャー、デジカメ、チャック付きビニル袋、使い捨てのピンセット、ゴム手袋など。
16日の朝7時40分頃に山頂に着いた。女性が一人、三角点の台座に座っていたが、警察であることを伝えてどいてもらった。しばらくして3人の男性がやってきた。東京都のレンジャーということだった。
井上警部補を指揮官にして、写真撮影と計測を始めた。その後、村田警部補と捜索に入った。金属探知機を三角点の付近の地面に当てたが、たえずピーピーいっていて、全然使えない状態だった。金属探知機を脇に置いて、掘削を始めた。まずは「このへん」の赤丸付近を掘った。そこを納得いくまで掘ってみて、それから広範囲に広げていこうと考えた。
村田警部補が、山荘で借りた鋤簾(じょれん)という道具で台座の下を掘り始めた。鋤簾は、クワとスコップの間のような農機具。元日とは違い、簡単に掘れた。村田警部補が4,5回土をかき出したところで、ビニルのはしっこが地面の中からぴょっと立ち上がるのが見えた、「ちょっと待って」と村田警部補を制して、手で取りだした。謹賀新年メールに添付されたUSBと色や大きさが一致していたので、「あった」と大声で言って、すぐに元に戻した。戻したのは、遺留品であるから計測や写真撮影をしなければならないから。
私が「あった」と叫んだことから、全員が集まった。口々に「あった」「あった」と軽い興奮状態になった。3人の男性のうち、Sさんに立会人になってくれるよう井上警部補がお願いした。写真撮影の後、井上警部補が証拠採取用のビニル袋に入れて、ウェストポーチに入れて山荘に戻った。そこで井上警部補が捜査本部にUSBメモリを見つけた旨の連絡をした。すると、本日中に下山して本部に帰れ、ということになった。本部に着いて、井上警部補が証拠品担当に渡した。それまでの間、ビニル袋から取り出したことはない。
弁護人に証拠開示されたビニル袋のファスナーは青
発見したUSBメモリが入っていたビニル袋のチャックは青色だが、犯人のメールの写真はピンクであることに、本部に戻って書類を作る際に気がついた。写真をよく見ると、ビニル袋が二重になっていると気づいた。ピンクのチャックのビニル袋の中に、もう一つ(青いチャックの)ビニル袋を入れたのだと思う。犯人は、指紋なりDNAなりの資料を残すのがいやで、ピンクのチャック付きビニル袋に入れて、青いビニル袋を運び、(山頂で)取り出して埋めたのだろう。そのことを井上警部補に話すと、井上警部補も「それだと説明がつくね」と言っていた。
元日にみつからなかったのは、台座から数センチ離れた地面を真下に掘ったため。5月16日は、台座の真下、上から見ると隠れる位置を中心方向に斜めに向かって掘った。
5月の捜索は「一瞬で終わった」
続いて弁護人の反対尋問。
平成25年1月1日は勤務日ではなかった。最初に連絡があったのは、朝9時頃。デスク主任の菊池警部補から電話がかかってきて、「こういうメールが来ているから、もしかして行くことになるかもしれないから準備をしておいて下さい」とのことだった。スノーボードに使うウエアの上下を来ていった。
現地に到着したのは2時30分頃。
1月の捜索について、1月中に作成された報告書は存在しない。すぐに報告書を作らなかったのは、捜査の舞台が江の島に移行して、容疑者が浮上し、逮捕、再逮捕とめまぐるしく動いて手が回らなかったから。上司から催促されたこともない。
1月の捜索の後は、いたずらだったのかもしれないな、という気持ちが少しあった。
金子警視との雑談は、犯人逮捕の後、2月、3月とちょこちょこ何度か。
5月に行った4人のうち、有賀警部補は神奈川県警。地面を掘ったのは村田警備補で、私はすぐ横で見ていた。出てくるかどうかは、五分五分と思っていた。
1月には台座の下の支柱は見えなかったが、5月の時点では、風で土が削られたのか、見える状況になっていた。
(1月の捜索の時の掘削状況は報告書に写真が添付されているが、5月については写真が載っていないのは)5月16日の捜索の掘削状況の写真はおそらくない。元旦と違って、(捜索は)一瞬で終わってしまったので、掘削している状況を撮れなかった。
ビニル袋が二重になっているのを写真に撮るとどうなるか、という検証はしていない。
このビニル袋は二重なのか
三重の案件が終わって、物品の捜査班になり、犯人が送ってきたUSBメモリの写真を持って秋葉原に行き、同じ製品を探したことがある。すぐに見つかった。シリコンパワージャパンの製品で、容量は2GB,4GB,8GB,16GB、32GBの5種類。写真を見ると、一桁であることは分かるので、2,4,8のどれか。2GBは1年以上に生産が終わっているので、4GBか8GBの可能性があると思っていたが、実際に出てきたのは8GBで容量も矛盾しない、ということになった。
USBメモリが見つかったのは、台座から19センチ、地表から3センチ下のところ。
(300万円の懸賞金がついたので、元日の捜索後にたくさんの人が三角点台座付近を掘ったということを知っているかどうか聞かれて)そういう話は、私は聞いていません。
片山氏と弁護人は…
雲取山USBメモリのビニール袋のファスナーの色が違う件に関する警察官証言について、片山氏は公判後の記者会見で、「ビニル袋が二重という新しいことを言い出した。(5月16日は)一瞬で出てきたので掘削の課程が写せなかったというのも、わざとらしい」と述べた。
また、主任弁護人の佐藤博史弁護士は「警察はシロのための捜査(片山氏がシロである可能性を調べる捜査)をやっていない」と批判した。
ビニル袋問題については、古野証人が言うようにビニル袋を二重にしたら、犯人が送り付けたような写真になるのかどうかの検討が必要だろう。
傍聴券を巡って
ところで、このところ法廷では空席が目立つ。この日も、開廷時に一般傍聴席の約4割にあたる16席の空席があった。
一方で、今も傍聴希望者は一般傍聴席の数より多く、傍聴券を得るために抽選を行う状況が続いている。傍聴席は、検察が3席の特別傍聴席を確保しているほか、報道用記者席がその日の希望に応じて設けられ、それ以外が一般傍聴席となる。この日は一般傍聴席38席。傍聴券を求めて並んだのは、94人。当選者は、当選番号のついた整理券を、法廷に入る手前で傍聴券に交換してもらう。
裁判所の担当者のメモでは、配布した傍聴券は23枚という。つまり、抽選に当たった人のうち、15人は傍聴券をもらっていない。傍聴を希望しているのに外れて傍聴できない人がいる一方で、せっかく当選したのに傍聴券ももらわずに帰ってしまう人がいるわけだ。
一番の原因として考えられるのは、現在でも警察が多くの警察官を動員していることだ。そのまとめ役になっていると思われる男性に聞いてみると、警察には特別傍聴席が与えられていないので、傍聴券を確保して裁判を傍聴し、報告をする必要がある、とのこと。警視庁本部は東京地裁の斜め前にあるという”地の利”もあって、確実に傍聴券を得るために、多くの警察官を動員しているのだろう(ちなみにマスメディアは、初公判の時には法廷画家を入れるために記者クラブの記者が傍聴券の抽選に参加したが、現在は参加していない)。
しかし、必要枚数より余分に当たったからといって、担当者以外の警察官は自分の仕事もあるだろうし、傍聴するわけではない。そのため、毎回、傍聴券を無駄にしてしまうことになるのだろう。
本当は、裁判所が、開廷から30分とか1時間しても傍聴券に交換しない整理券は無効とみなし、残った傍聴券は法廷前(もしくは事務室前)で先着順に交付するなど、柔軟な対応をしてくれれば済む話だ。けれども、国民へのサービスにはまるで関心のない裁判所には、そのような柔軟な対応はなかなか期待できない。
そこで、警察に期待したい。必要枚数以上に当たった場合は、その場にいる傍聴を希望するけれど外れてしまった人に譲るなど、柔軟な対応を検討したらどうだろう。警察も、他の人の傍聴の機会を奪ってしまうことは、本意ではないはずだ。
140421 PC遠隔操作事件 第7回公判後記者会見 ―会見者 片山祐輔被告・佐藤博史弁護士ほか
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