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2014年4月22日 神州の泉
「NPO法人 万年野党」というものがあるらしい。ホームページを見ると、政党・政治団体ではなく、「特定非営利活動法人」だという。設立は2014年1月6日。
http://yatoojp.com/about/
その設立主旨は、現在の日本では政府が自己増殖して民間への過剰な介入や規制を行ない、活力ある経済社会の実現が阻まれるといった問題が生じている。このような状況を打開するために、国会の外に政府に対する監視機能”を補完する万年野党というべき存在が必要だとある。
ふと面白いなと思ったのは、実際のだらしない野党に代わって“監視機能”を受け持つとは言っていないことだ。監視機能を「補完する」と言っている。考えてみれば、国会の内と外に政府を監視するチームがいくつあっても構わないわけである。政党とは違って直接政治出力を担うわけではない。どうでもいいことだが、監視(モニター、ウォッチング)のみなのだから、ストレートに監視機能を持つと言えばいいと思う。
それよりも“じつにおもしろいな!”と思ったのは、PARCの内田聖子さんもつぶやいていたが、この万年野党が「政府が自己増殖し、民間への過剰な介入や規制を行ない、活力ある経済社会の実現が阻まれるといった問題が生じています。」と言っていることにある。
政府は「民間への過剰な介入や規制」を行っているという。その結果、「活力ある経済社会の実現が阻まれるといった問題」が生じているのだそうである。これって、ケインズ型の国家機能の完全否定になっているではないか。もっと言えば修正資本主義社会の完全否定になっている。つまりはミルトン・フリードマンの考え方であり、日本で言えば竹中平蔵氏の確信的な経済思想なのである。
神州の泉は経済学の素養がない。手元にあるフリードマンの本は『資本主義と自由』『選択の自由』『政府からの自由』、ジョン・メイナード・ケインズの『雇用と利子とお金の一般理論・要約』である。これらも明解に分かったとはとうてい言えない。それでも両者の違いは自分の理解力の範囲で分かる。
フリードマン系統の人たちは、政府による民間への過剰な介入、つまりは国家が行う国民の自由に対するあらゆる縛りは冒涜であり、不幸の源泉であるという見方である。レッセ・フェール(自由放任主義)こそ人類に与えた神の恩寵であるというふうに見える。
政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場のはたらきに任せると、“神の見えざる手”が働くというのはよく目にする表現である。だが、三橋貴明氏に言わせればそれは俗説であって、アダム・スミスは「神の」などとは言っていないという。言っていることはただ“見えざる手が”だったらしい。市場の自動調節機能(automatic adjusting function)に任せておけば全てが上手く行くという考えである。
むずかしいことを考えなくても、これは資本強者だけが一人勝ちする弱肉強食の世界である。経済というのは経世済民(けいせいさいみん)であって、あまねく人々を済度(救済的な幸福)に導くことにある。だとすれば、フリードマン系統の新古典派とか新自由主義と呼ばれるものは、国家機能、共同体機能(公共)を取っ払って世の中を弱肉強食経済に切り替える思想であり、経世済民とは対極にある。
自分さえよければ他者はいくら犠牲になっても当然だという、まことに酷薄で寒々しい社会である。資本強者は利潤の最大化を得るために、国民や社会をまもるあらゆる法制度や規制が邪魔で仕方がない。これが安倍政権が進めている国家戦略特区やTPPの本質なのである。
この文脈から国家戦略特区で謳われる規制緩和の社会的な出力が、国民を害しながら金持ちだけが富み栄えて行く構造になっていることが分かると思う。国家戦略特区を追撃されている奈須りえさんが、ある勉強会に参加した折、自民党の議員が、国家戦略特区の規制緩和を、『トレードオフ』という言葉を使って表現したという。
トレードオフとはシーソーであり、一方に利益を与えれば他方を犠牲にしてしまう相関関係のことである。すなわち、国家戦略特区において大企業の利潤の最大化が起これば、それに逆比例して国民の生活が犠牲にされていくことになる。これを別の表現で言えば大企業と国民生活はゼロサム関係にある、あるいはパレート効率性の最悪の進展形態になるということもできる。
これは大企業側が追求するものが利潤の最大化であり、その分、国民が失うものは所得低下のみならず、雇用で言えば明日の仕事を失うかもしれない生活の不安であり、医療や薬事、食品で言えばダイレクトに安全性の喪失を意味する。つまり規制緩和によって、大企業が一人勝ちするシステムに置き換えられることになる。それによって国民は生命の安全と幸福原理を失うことになる。これが国家戦略特区がもたらす地獄の未来図である。
新自由主義政策下では、大企業と国民生活がウインウインの関係になることは絶対にありえないのだ。まちがいなく絵に描いたような傾斜配分になる。これは言い方を変えれば大企業による国民搾取であり生存環境の破壊になる。これが国家戦略特区の恐ろしさなのである。
だから、こういう考え方を根底に持つ連中にとっては、規制などという余計なことはするなということである。規制悪玉論はフリードマン主義の当然の帰結なのである。これとは逆に、修正資本主義は従来の資本主義に社会主義的な要素を含めたものであり、必要なところにはセーフティネットを敷く。
金銭価値に置き換えられない“公共性”は国民が安心して生きられる社会の基(もとい)となっている。これが投資やコンセッションで破壊されたら国民の身の置き所がなくなってしまう。
金銭的な裏付けをともなった欲望を有効需要と言うが、ケインズは労働価値説に立脚する古典派経済学を批判しながら有効需要の創造を唱えた。ルーズベルト大統領のニューディール政策はこの考え方に沿って行われている。これに頭にきたフリードマンは、古典派経済学に回帰させるだけでは飽き足らず、より強烈なレッセフェールの経済学を創出した。
さて、「NPO法人万年野党」のメンバーを一瞥してみよう。
会長 田原総一朗 ジャーナリスト
理事長 宮内 義彦 オリックス会長・グループCEO
アドバイザリーボード
草刈 隆郎 日本郵船株式会社相談役
竹中 平蔵 慶応義塾大学グローバルセキュリティ研究所所長
橋 洋一 嘉悦大学教授
冨山 和彦 経営共創基盤代表取締役CEO
帯野久美子 株式会社インターアクト・ジャパン代表取締役
野村 修也 中央大学法科大学院教授
古賀 茂明 古賀茂明政策ラボ代表
理事
岸 博幸 慶應義塾大学教授
磯山 友幸 経済ジャーナリスト
原 英史 株式会社政策工房代表取締役社長
事務局長 高橋 亮平
監事 浜村 浩幸 グラントソントン太陽ASG税理士法人代表社員
(この会社は「企業活動のグローバル化と経済社会のボーダーレス化にともない高度化する国内外の税務問題に、高い水準のノウハウと豊富な経験をもとに総合的なソリューションを提供いたします。」と謳っている。)
以上のメンバーを見ると、政商で規制緩和の大御所でもある宮内義彦氏、人材派遣会社パソナの会長であり国家戦略特区を牽引する竹中平蔵氏、郵政民営化の事実上の設計者である高橋洋一氏など、そうそうたるメンバーが会している。まさにジャパニーズ・コーポラティズムを形成する人たちではないか。
ジャーナリストの佐々木実氏は、その著書『市場と権力』(講談社)で、経済財政諮問会議は世間をごまかす体裁会議であり、実質的に小泉・竹中構造改革を運営していた影の実行部隊はわずかに10人程度であったと述べている。つまり、小泉政権で「官から民へ」プロジェクトを実質的に仕切っていた連中の中に、竹中氏の補佐官だった岸博幸氏と真柄昭宏氏がいて、官僚からは高橋洋一氏が参加していた。
「NPO法人万年野党」の構成員は、国家戦略特区の推進主体のメンバーと重なっているのである。これが意味することは、この組織は政府を監視する組織ではなく政府の別動隊だということになる。任務は国家戦略特区が円滑に進むように補佐することだろう。監視する対象は政府ではなく国民ではないのか。
↓国家戦略特区を追求されている前大田区議会議員 奈須りえさんのオフィシャル・ブログ
http://ameblo.jp/nasurie/
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