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2014年04月18日
東京新聞の“小泉・細川共闘 風より「草の根」大切に”と云う社説を読んでいて、多少の違和感を憶えた。ケチをつける気はないが、切り口が脱原発に特化しすぎる部分が気にかかる。脱原発も、安倍政権の原発再稼働、輸出路線や核燃サイクルや高速増殖炉もんじゅの継続も、たしかに直近の政治的マターである。しかし、脱原発の切り口だけで、国の方向性を変えることは出来ないだろう。脱原発は、日本を独立させるための過程における、ひとつのシンボルと位置づけるべきなのではないかと考える。
≪ 小泉・細川共闘 風より「草の根」大切に
小泉純一郎、細川護熙両元首相にとっては雪辱戦なのだろう。脱原発を目指す組織を立ち上げるという。安倍内閣が原発回帰を強める中、脱原発への道のりは険しいが、あきらめてはいけない。
二月の東京都知事選で脱原発を訴えて立候補した細川氏と、全面支援した小泉氏。両元首相の再始動は、各種世論調査で原発再稼働反対が半数を超すにもかかわらず、安倍内閣が原発推進路線をひた走ることに対する強い危機感の表れでもある。
この組織は五月設立の「自然エネルギー推進会議」。再生可能エネルギーを普及させ、脱原発に向けた国民運動を起こすことが目的だという。すでに著名な文化人や学者に発起人や賛同人になるよう依頼し、哲学者の梅原猛氏、作家の瀬戸内寂聴氏らが加わる。
東京電力福島第一原発事故は依然収束していない。原発再稼働にいかに厳しい審査を加えたとしても、いったん事故が起きれば、人々から平穏な生活や住み慣れた土地を奪う。安全性や持続性を考えれば、原子力に頼らないことこそ私たちの進むべき道である。
両元首相の行動に著名人らが呼応し、脱原発を求める動きが燎原(りょうげん)の火のごとく広がって、文字通りの国民運動になってほしい。
その道のりは険しいことを覚悟しなければならない。
先の東京都知事選で、細川氏は三位に敗れた。脱原発票がほかの候補と二分したという事情はあろうが、「風」を期待する選挙戦術の限界ではなかったか。
今秋の福島県知事選では、自民党が擁立する候補に対抗して、独自候補を立てるか、脱原発候補を支援するという。来春の統一地方選でも、脱原発を目指す首長や議員候補の支援を視野に入れる。
脱原発への道を確かなものにするには選挙で勝たねばならない。民意が選挙結果に結び付くのは、知名度や風に頼らない地道な「草の根」運動があってこそだ。
脱原発勢力が分裂していては力を十分、発揮できまい。組織の利害を超えた勢力結集や、脱原発の一点で共闘する大胆な選挙戦略も視野に入れてはどうか。
すぐに成果が出なくても、あきらめてはいけない。ドイツでは一九七〇年代の反原発運動から脱原発に転換するまで約四十年を要した。長い道のりではあったが、人類が歩むべき道だ。
息の長い、地に足のついた運動を続ける忍耐力があるかどうか。脱原発実現のカギである。
≫(東京新聞:社説)
「原子力ムラ」と云うものが、我国の垂直統治な中央集権弊害のシンボルであることは事実だが、進むべき包括的価値も示して行かないと、根深いうねりにはなりにくい。どうしても、100年後、200年後の国のかたちを示すロードマップが必要である。何が、今の日本人に欠けているのか、その欠けたピースは、どのようにして生み出し、パズルに埋め込むのか、提示してやる必要がある。このロードマップに欠かせないのが、狭義の政治哲学であり、広義では普遍的価値観のリストラクチャリングである。そのサンプルとも謂うべき哲学を、細川護煕は東京都知事選に立候補表明の会見で語っている。
14年1月23日付拙コラム“細川の高度な歴史観が理解されるか? 彼の脱原発はシンボル、根っこは世界観”の中で、以下のように引用している。このコラムの見出しの通り、歴史観や価値観を語る包括的レベルの政治や哲学に、ほとんど興味を示さないのが、現在の日本人である。大雑把な括りに語弊はあるが、50歳以上には、“歴史観や価値観を語る包括的レベルの政治や哲学”の議論に参加してもらう必要はないかもしれない。必要なの世代は、現時点で、10歳から45歳くらいの人々である。なぜなら、彼ら世代は腹七分目の世界を体現している人々であり、その現実が、実は日本人が選択できる腹七分目の世界だからである。
≪ ……… なぜ決意をしたかということですが、今の国の目指している方向、進め方に何かと危ういものを感じているからです。憲法でも安全保障でも、あるいは近隣諸国との関係でも、懸念していることがいくつかあります。デフレ脱却について、安倍さんはがんばっておられますが、現在の1億3千万人の人口が50年後には 9千万人、100年後には江戸時代に近い3分の1の4千万人くらいにまで減ると予測される、これからの時代に、今までのような大量生産、大量消費の、経済成長至上主義ではやっていけないのではないか。
腹いっぱいではなく、腹七分目の豊かさでよしとする抑制的なアプローチ、心豊かな幸せを 感じ取れる、そういう社会を目指して、成熟社会へのパラダイム転換を図っていくことが求められているのだと思います。これは世界でもおそらく初めての歴史的実験になるかも知れませんが、世界が生き延びていくためには豊かな国がその生活のスタイルを多消費型から共存型へと変えていくしかありません。成長がすべてを解決するという傲慢な資本主義から幸せは生まれないということを我々はもっと謙虚に学ぶべきだと思います。
………
ちょうど20年前、私は 総理就任後最初の所信表明演説で、質の高い実のある国家、質実国家をめざすということを政権の旗印として掲げました。大量生産、大量消費、大量廃棄の経済や生活を転換する必要を痛感していたからです。大震災、原発事故を経てこのような方向は今こそ決定的になったと感じています。オリンピック、パラリンピッ ク開催を大きな目標に日本の経済や生活を変えていく。首都である東京はその先頭を走ってそのお手本になりたいと思います。 ……≫(細川決意表明の一部抜粋)
細川の考えと小泉の考えが、あらゆる点で一致しているかどうか明確ではない。贅沢三昧を経験し、解脱しても良いような年齢になってから、坊主のような奇麗ごとを言われても迷惑だと考える人々もいるだろう。エンターテイメント系の作家が、老境に達して、歴史物や宗教的な作品を書きだすのと同じだろう、という皮肉な疑問を投げかける面もある。しかし、主張していることが根本的に時代の行き先を暗示し、日本独自の普遍的価値を創造していこうと云う主張には、かなりの理がある。いまや、20世紀の清算が出来ずに、うだうだと延命策や弥縫策に興じている世界の既得権益勢力の足掻きを眺めれば、自ずと、20世紀的パラダイムが、実は死んでいる現実に気づくだろう。
20世紀後半に、曲がりなりにも20世紀のルールに基づいて、現状のポジションを得ている人々が、容易に安住の地を離れ、未知の腹七分目の世界を目指そうなどと考えるわけもない。彼らは、未だに貪欲なのである。筆者は、その生き方を否定はしない。マックス・ウェーバが官僚の性癖を披露したように、それは慣れ親しんだ習性であり、今さら変えろと叫んでも、その効果は知れたものであり、反発の方が多くなるだろう。イメージの次元だが、70代以上の日本人と45歳以下の日本人のコラボが成り立てば、20世紀の成長を旨とする価値観は変わり得るような気がする。世代で、人間を分類するのは乱暴な話だが、体現者と解脱者の結合から、なにかが見えてくる期待もある。
ここまで書いてみて、高齢世代の部分は、70歳ではなく、80歳かな?と迷ってきた(笑)。最近の70代は日常的稼ぎがなくなっても、消費欲は旺盛なのだから、解脱世代には当てはまらない。80代世代と45歳以下の日本人が価値観を変えられる世代と言い直しておくことにする。なぜ、このような具体的事例を出して、考えを進めなければならないところに、21世紀の日本のあり方が如何に混沌の中にあるかが窺える。無論、念のために言っておくが、以上の無理矢理の世代分別は事例であり、腹七分目の体現者か解脱者であれば、世代を問うものではない(笑)。
人間であれば、減退や衰退よりも成長を好むのは当然である。キリスト教の教えにも、成長を妨げるものは「悪」であり、成長を援けるものが「善」と云う、短絡的座標軸がある。このような考えを、この世のすべてに当て嵌めるのであれば、解脱や腹七分目な生き方は、少なくとも「善」ではない。しかし、日本における仏教の教えでは、欲望を制御する人の営みを評価している。成長と云うものは、当然、その原動力に欲望が含まれているのだから、仏教的考えからすると、人である以上、一定の抑制が働くべきと云うことになる。ときに、その抑制が「善」であったり、価値観に変わり得ることが重要だ。
先進諸国では、飽食を抑える為に、不要な産業までが育ち、マッチポンプのような営みが行われる。貧困国家では、幾粒かの豆と真水を口にするためにのみに、知恵を駆使しようとしている。そういう状況であっても、先進諸国は、冷蔵庫からはみ出す食物を得たがり、貧困国家では、ないものをほじくり出して食い尽くすので、食物を産むべき産業さえ生まれない。先進諸国では、幾分食い扶持を減らす行為よりも、害毒になるほど食べた後で、下剤や胃の薬やダイエットに努める。天上で、これを見つめている神や仏が存在するとすると、人類に天誅が下っても、文句は言えないだろう。
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