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「集団的自衛権限定行使」容認論を撃て!
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2014-04-14 弁護士深草徹の徒然日記
1 「集団的自衛権限定行使」容認論
安保法制懇の北岡伸一座長代理は、2月21日、日本記者クラブにおける記者会見で、同懇談会報告書に、集団的自衛権を次の5条件のもとに限定して認めるという方向で検討していことを、明らかにした(「朝日」2月22日朝刊。なおCを前段と後段に分割し、6条件として紹介する報道もある。たとえば、4月13日付しんぶん「赤旗」)。
@密接な関係にある国が攻撃を受けた場合
A放置すれば日本の安全に大きな影響が出る場合
B攻撃された国から行使を求める明らかな要請があった場合
C首相が総合的に判断し、国会の承認を受けること
D攻撃を受けた国とは別の国の領土・領海を自衛隊が通る場合、その国の許可を得ること
これに呼応するかのように内閣法制局もの新たな動きを始めているようだ。「時事通信」によれば、
「安倍晋三首相が目指す集団的自衛権の行使容認をめぐり、内閣法制局が行使要件を「放置すれば日本が侵攻される場合」などに厳格に限定した素案をまとめたことが12日、分かった。」
とのことである(時事通信4月13日(日)5時32分配信)。
2 「集団的自衛権限定行使」容認論の論理構造
「集団的自衛権限定行使」容認論を導き出す論理は、現時点では、その全貌が明らかにされているわけではないが、第一次安倍政権以来の安倍首相の発言、「有識者」として安倍首相の発言に平仄を合わせている北岡氏の言説などから、おおむね以下のようなものではないかと考えられる。
(1)第一の想定―集団的自衛権の概念を用いる場合・その1
@従来の自衛権に関する政府見解は、憲法9条の下で、「必要最小限度」の自衛権を認めるとしている。A自衛権には個別的自衛権も集団的自衛権も含まれる。B従って「必要最小限度」の自衛権の範囲内であれば集団的自衛権行使も認められる。またC従来の政府見解である自衛権行使三要件は、「必要最小限度」の自衛権行使の範囲を示したものである。これは時代と国際環境によって変化するものであり、不動のものではないから、現在の国際環境にふさわしい内容に変えるべきである。
(2)第二の想定―集団的自衛権の概念を用いる場合・その2
@からBまでは上記と同じ。またC従来の政府見解である自衛権行使三要件は個別的自衛権行使に関する要件であり、集団的自衛権行使についてはこれとは異なる要件が考えられるべきだ。
(3)第三の想定・集団的自衛権の概念を用いない場合
@従来の自衛権に関する政府見解は、憲法9条の下で、「必要最小限度」の自衛権及びそのための自衛力を認めるとしている。A従来の政府見解である自衛権行使三要件は「必要最小限度の自衛権行使の範囲」を示したものである。これは時代と国際環境によって変化するものであり、不動のものではないから、現在の国際環境にふさわしい内容に変えるべきである。
3 「集団的自衛権限定行使」容認論の堪えられない誤謬
上記の「集団的自衛権限定行使」容認論の論理構造には重大な欠陥がある。それは、そもそも自衛権に関する政府見解がどのような政治状況において、どういう経緯で形成されたのかを無視し、正確に理解をしないで、没歴史的で平板かつ陳腐な論理を弄んでいるに過ぎないということである。
政府は憲法制定過程において自衛権に関する基本的見解を示し、1950年8月・警察予備隊創設、1952年7月・保安隊及び警備隊創設、並びに1954年6月自衛隊創設、とこれらに反対する国民運動及び国会における論戦の中で、上記基本的見解との整合性をはかりつつ、現在にも維持される二つの見解―自衛権行使三要件及び自衛のための必要最小限度の実力もしくは自衛力は認められるとの見解―を練り上げたのであった。その後は、時々の政策課題との関連で、その二つの見解から論理的に導き出される見解を示してきたのであった。
(1)憲法制定過程における自衛権に関する政府見解
憲法9条は、主権国家固有の自衛権は認めるが、自衛のための戦争、武力行使、交戦権をも放棄したものであるという基本的見解をぶちあげ、吉田茂首相をはじめ、政府側委員は一貫してその高邁な理想を説いた。
(2)警察予備隊創設後の政府見解
警察予備隊の目的は全く治安維持にある。(中略)再軍備の目的とかはすべて当たらない。日本の治安をいかにして維持するかというところにその目的があるのであり、従ってそれは軍隊ではない。(1950年7月30日衆議院本会議における吉田首相発言)
この見解は、自衛権に関する従来の基本的見解を何ら変更するものではなかった。
(3)保安隊創設後の政府見解
@憲法9条2項は、侵略の目的たると自衛の目的たるとを問わず「戦力」の保持を禁止している。A右にいう戦力とは、近代戦争に役立つ程度の装備、編成を備えるものをいう。 B陸海軍とは、戦争目的のために装備編成された組織体であり、「戦力」とは人的、物的に組織化された総合力で、兵器そのものは戦力ではない C保安隊は組織目的と装備編成から判断して、近代戦争遂行の能力がないから戦力にはあたらない。D憲法9条2項にいう「保持」とは、わが国が保持の主体たることを示す。米国駐留軍は、わが国を守るために米国の保持する軍隊であるから憲法9条の関するところではない。(1952年11月25日衆議院予算委員会で示された第4次吉田内閣統一見解)
ここでも実態的にはともかく形式的には従来の自衛権に関する基本的見解との整合性が図られている。
(4)自衛隊創設前後の政府見解
(自衛権行使三要件の明示)
いわゆる自衛権の限界は・・・たびたび述べておりますように急迫不正の侵害、即ち現実的な侵害があること、それを排除するために他に手段がないこと、さらに必要最小限度それを防御するために必要な方法をとるという三つの原則を厳格なる自衛権行使の要件と考える。(1954年4月6日衆議院内閣委員会・佐藤達夫法制局長官答弁)
上記見解は、1969年3月10日参議院予算委員会における高辻正巳内閣法制局長官答弁「・・・自衛権の行使については厳密な要件がある。・・・要するに、わが国に急迫不正の侵害がある。そして他に全くこれを防衛する手段がないという場合には、防衛する。ただし、それは必要な限度にとどめなければならない。これがいわゆる3要件であると思います。その3要件に適合しないものは、わが憲法といえどもむろん許さない。」、1972年10月14日衆議院内閣委員会における吉国一郎内閣法制局長官の答弁「この三要件というのは、わが国に対して急迫不正な侵害があったこと、この場合に、これを排除するために他に適当な手段がないこと、更に第三に、その急迫不正な侵害を排除するために必要最小限度の力の行使にとどまるべきこと。この三つの要件を従来自衛権発動の三要件と言っている。」など、度々確認されている。
(自衛のための必要最小限度の実力もしくは自衛力は認められるとの見解明示)
憲法9条は独立国としてわが国が自衛権を持つことを認めている。従って自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のための必要相当な実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない。(1954年12月22日衆議院予算委員会における鳩山内閣統一見解)。
この見解は、「戦力とは、広く考えますと戦う力ということでございます。そのようなことばの意味だけから申せば、一切の実力組織が戦力に当たるといってよいでございましょうが、憲法9条2項が保持を禁じております戦力は、右のことばの意味どおりの戦力のうちでも、自衛のための必要最小限度を越えるものでございます。それ以下の実力の保持は、同条項によって禁じられていないということでございまして、この見解は年来政府のとっているところでございます。」と敷衍されている(1979年11月13日日参議院予算委員会における吉国内閣法制局長官答弁)。
(5)集団的自衛権否定に関する政府見解
1972年10月14日田中角栄内閣は、社会党・水口宏三議員の質問に応じて、集団的自衛権に関する政府見解を示す資料を参議院決算委員会に提出した。それによると以下のとおりである。
集団的自衛権とは「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止すること」と定義される。「わが国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない。」
しかし、日本は「国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されない」とされる。「憲法は…自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない」が、それは無制限に認められるものではなく、一定の要件を満たす必要がある。すなわち、「国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置として、はじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。」
それゆえ、「わが憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されない。」
さらに1981年5月29日鈴木善幸内閣は、社会党・稲葉誠一議員の質問対する答弁書で次のような見解を示した。
「国際法上、国家は集団的自衛権すなわち自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃をされていないのにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。わが国が、国際法上このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然であるが、憲法第九条の下において、許容される自衛権の行使はわが国を防衛するための必要最低限度の範囲にとどめるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。」
前者が自衛権行使三原則により集団的自衛権は認められないとの趣旨であることは容易に理解できるが、後者については不明瞭である。しかし、その後1986年3月5日衆議院予算委員会において、公明党・二見伸明議員が、そのあいまいさを突いて「必要最小限度であれば集団的自衛権の行使も可能というようなひっくり返した解釈は将来できるのか」と質問し、茂串俊内閣法制局長官が、自衛権行使三要件を再確認しつつ「従ってその論理的な帰結といたしまして、他国へ加えられた武力攻撃を実力で阻止するということを内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」と答えて、二見議員が問いただした「ひっくり返した解釈」はできないことを明らかにし、不明瞭さを解消している。
(5)小括
以上により「集団的自衛権限定行使」容認論の誤謬は明白となったであろう。「集団的自衛権限定行使」容認論は、従来の政府見解は、憲法9条の下で、必要最小限度の自衛権が認められる⇒必要最小限度の自衛権行使が認められる⇒自衛権行使三要件は必要最小限度の自衛行使の要件を定めたものだという理解に立っている。その上でスキマさがしをしているのである。それは全く違うのだ。従来の政府見解は、憲法9条は自衛権を認めている、しかしその自衛権は、自衛権行使三要件に従い行使されるということを述べ、その当然の論理的帰結として集団的自衛権行使は認められないとしているのであり、集団的自衛権は、必要最小限度の自衛権、必要最小限度の自衛権の行使の範囲内かどうかを論じているのではない。スキマはどこにもないのだ。
よって「集団的自衛権限定行使」容認論の誤謬は堪えられないほどに重大である。
4 まとめ
ところで新聞、テレビ等の報道について一言したい。
これらの中にはせっかく集団的自衛権に批判的な立場をとっているにもかかわらず、仔細に見ると、従来の憲法9条の下では集団的自衛権は認められないとの政府見解の根拠について不正確な理解、もっと言えば「集団的自衛権限定行使」容認論と五十歩百歩の理解しかしていないものが多々見受けられる。
社名を出して恐縮だが、たとえば朝日新聞3月3日朝刊にのった「集団的自衛権 読み解く 一からわかる集団的自衛権」なる大型解説記事で、「個別的自衛権とは何か?」の中で、自衛権行使三要件は個別的自衛権の行使要件に区分けされ、集団的自衛権は必要最小限度の自衛権の範囲を越えるから認められないのだとの誤解を生むような記述がなされているし、同3月7日朝刊でも「(81年政府見解は)歴代政権による集団的自衛権の答弁を整理し、憲法9条で許される自衛権の行使を『わが国を防衛するため必要最小限度の範囲』とした。その上で『集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるもので、憲法上許されない』とした。」との政府見解の紹介も、紛らわしい。
こんなことでは、「集団的自衛権限定行使」容認論に足元をすくわれるし、読者に「集団的自衛権限定行使」容認論を受容するバックグラウンドを形成することにつながる。
ジャーナリストは、事象の表面をなぞっているだけではだめである。奥深く掘り下げて、国民の知的抵抗力を培養する心意気を持って欲しいものだ。
「集団的自衛権限定行使」容認論がしだいに形をあらわしつつある。どうも上述の「第三の想定・集団的自衛権の概念を用いない場合」を志向しているようだ。それこそ麻生副総理のご推奨の道のようである。私たちは静かに知らぬ間に自衛隊が集団的自衛事態に対処できるようになってしまわないよう、「集団的自衛権限定行使」容認論を撃たねばならない。
(了)
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