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NNNドキュメント 袴田事件 拘禁48年の果てに
放 送:4月13日(日) 25:50〜
ナレーター:松野芳子
制 作:静岡第一テレビ
1966年、現在の静岡市清水区でみそ製造会社の専務一家4人が惨殺された。みそ会社の従業員で元プロボクサーの袴田巌(78・当時30)さんが犯人とされた、いわゆる「袴田事件」だ。その後1980年に死刑が確定したが、厳さんは無実を訴え続け、弁護団が裁判のやり直し=再審を求めてきた。そしてこの3月27日。静岡地裁は「重要な証拠が、捜査機関にねつ造された疑いがある」と指摘した上で再審開始を認めた。さらに、厳さんの釈放を認める異例の決定を下した。姉・秀子さん(81)はすぐに東京拘置所に向かい、約3年半ぶりに姉弟の面会が実現。その後、厳さんは釈放された。死刑判決確定から34年、逮捕から実に48年…拘禁48年の果てに見えてきたものはいったい何なのか?
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次の一文は2012年、求めに応じて私が国民救援会の支部機関紙に書いた記事である。このとき袴田ひで子さんは高齢を押して袴田支援の輪を広げ、巌さんを取り戻すため全国をまわっておられたのだ。
えん罪・袴田事件 無実の死刑囚・袴田 巌さんの姉、袴田ひで子さんのお話を聞く
9月22日の午後2時から、日本キリスト教団・明石教会で、無実の死刑囚・元ボクサーの袴田巌さんの姉、袴田ひで子さんのお話を聞く会が催された。 主催は人権問題に取り組んでいるアムネスティ・インタナショナル日本。
支援団体の「浜松 袴田巌さんを救う会」事務局の寺澤暢紘さんから、事件の経過、取り調べや証拠品の問題点、第2次再審請求の現状などについて説明があった後、ひで子さんの話があった―。
事件のあった2、3日後に会った時には、特に変わった様子もなく普段通りの巌だった。4人も人を殺してあんな風には絶対にいられない。
巌が逮捕されて過酷な取り調べを受け、自供させられてからというものは、家族は無言の圧力を受けて世間が狭くなった。
それでも見知らぬ人が「この事件はおかしい」と言ってくれることもあって母は喜んでいた。
死刑が確定してから面会に行くと、巌は「昨日死刑執行があった…」と一気にしゃべり出し、そのショックからか、精神状態が少しずつおかしくなり出し、今では「自分は再審で勝った」なんてことまで言っている。
それでも第1審の熊本元裁判官が「自分は無罪だと思っていた。今も無実を確信している」と告白した時には、巌は「あの人はいい人だった」と思い出した様子だった。
巌は、とうとうこの2年ほどは「自分には姉はいない」と面会を拒否するようになってしまった。それでも盆も正月もひたすら巌のことを考えて頑張っている。
これまで頑張ってこれたのは支援者のみなさんのおかげです。本当に感謝しています。
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