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(財界にいがた4月号)
連載≪小沢一郎を強制起訴に追い込んだ検察審査会と最高裁の闇≫第1回「森裕子・前参院議員はなぜ一市民を名誉毀損で提訴したのか」(財界にいがた)
http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-2277.html
04/12 22:52 日々坦々
月刊誌、『財界にいがた』4月号で、「小沢一郎を強制起訴に追い込んだ検察審査会と最高裁の闇」と題する連載が始まった。
第1回のタイトルは、「森裕子・前参院議員はなぜ一市民を名誉毀損で提訴したのか」。(参照http://www.kokusyo.jp/?p=5468)
発行所:株式会社「財界にいがた」
新潟市中央区京王1−1−3
電話:025−286−5811
FAX:025−287−1802
参照:
■PDF『森ゆうこ元参議院議員が「一市民」に起こした恫喝訴訟が明かす「最高裁の闇」』
http://civilopinions.main.jp/items/%E8%A8%98%E4%BA%8B%E5%85%A8%E6%96%87.pdf
■PDF『浮上する最高裁事務総局の闇 森ゆうこ元参院議員が一市民を提訴』
http://civilopinions.main.jp/items/%E3%80%8E%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%80%8D%EF%BC%91%E6%9C%88%EF%BC%92%EF%BC%95%E6%97%A5.pdf
■生活の党・森ゆうこ氏が最高裁の闇を指摘した「一市民」を提訴、820万円と言論活動の制限求める
http://www.mynewsjapan.com/reports/1941
『財界にいがた』に掲載された記事に対する黒藪哲哉氏の分析:
『MEDIA KOKUSYO』http://www.kokusyo.jp/?p=5468
≪今回、『財界にいがた』に掲載された記事の最大の特徴は、森氏の反論が掲載されていることである。
※『財界にいがた』の記事は、黒薮が執筆したものではありません。
森氏の反論の趣旨は、
@志岐氏がインターネットで悪質なデマを拡散しているので裁判を提起した。
A小沢無罪を勝ち取るために最高裁と裏取引をしたことはない。
B検察の捏造報告書を流出させたのは自分ではない。
◇公益性のあるテーマ
名誉毀損裁判では、次の3段階の法理が適用される。
@争点の表現が「公共の利害に関する事実」か否か。(真実の公共性)。
A争点の表現行為が「もっぱら公益を図る目的」で行われたか否か。(目的の公益性)。
B摘示事実が真実か(真実性)、あるいは真実であると信ずるについて相当の理由があるか。(真実相当性)。理由があれば、名誉毀損にはならない。
森裁判では、背景に最高裁問題があることに加えて、森氏が極めて影響力が大きい前国会議員であり、生活の党の幹部であった事情から察して、@とAの要件は間違いなく満たす。
とりわけ最高裁事務総局の「闇」は、元裁判官・瀬木比呂志氏の内部告発『絶望の裁判所 (講談社現代新書)』が暴露したように、きわめて公益性の高いテーマである。最高裁事務総局が前近代的な組織であれば、日本の戦後民主主義をゼロから問い直す作業が不可欠になるからだ。
こうした事情を考慮すれば、志岐氏の推論(森氏が主張するように、事実の摘示ではない)が、真実に相当するかどうかが、裁判の争点になりそうだ。もっとも、最近の裁判所は、言論抑圧を意図して、真実相当性を軽視して、真実性を重視する傾向があるようだが、志岐氏が提示した推論は、その司法の腐敗を考える上できわめて大きな意味を持っている。
たとえばだれが検察の捏造報告書を外部へ流出させたのかという問題である。違法なかたちで流出したのであれば、当然、検察内部を捜査しなければならない。一方、合法的に外部に出たものを誰かが、歌手の八木啓代氏に「電気通信回線」(Eメール)を通じて送ったとしても違法行為である。
【刑事訴訟法】 第二百八十一条の四 被告人若しくは弁護人(第四百四十条に規定する弁護人を含む。)又はこれらであつた者は、検察官において被告事件の審理の準備のために閲覧又は謄写の機会を与えた証拠に係る複製等を、次に掲げる手続又はその準備に使用する目的以外の目的で、人に交付し、又は提示し、若しくは 電気通信回線を通じて提供してはならない。
一 当該被告事件の審理その他の当該被告事件に係る裁判のための審理
二 当該被告事件に関する次に掲げる手続
イ 第一編第十六章の規定による費用の補償の手続
ロ 第三百四十九条第一項の請求があつた場合の手続
ハ 第三百五十条の請求があつた場合の手続
ニ 上訴権回復の請求の手続
ホ 再審の請求の手続
ヘ 非常上告の手続
ト 第五百条第一項の申立ての手続
チ 第五百二条の申立ての手続
リ 刑事補償法の規定による補償の請求の手続
前項の規定に違反した場合の措置については、被告人の防御権を踏まえ、複製等の内容、行為の目的及び態様、関係人の名誉、その私生活又は業務の平穏を害されているかどうか、当該複製等に係る証拠が公判期日において取り調べられたものであるかどうか、その取調べの方法その他の事情を考慮するものとする。
この事件では、捏造報告書が「電気通信回線」を通じて提供されたのである。
このように極めて公益性の高い問題で、志岐氏が推論を展開したことは、日本が形式的には言論の自由が保証された国であることを考慮するとあたりまえの手段である。それに公人が反論して論争を展開することで、国民の間に検察や最高裁のあり方についての認識を深めることができる。ところが森氏は、公益性のある問題を裁判所に持ち込んだのだ。しかも、500万円を請求している。
あえて司法判断を求めるのであれば、1万円程度の請求に抑えるべきだった。
森氏が「普通の人」であれば、提訴行為を頭から批判するわけにはいかない。しかし、世論を啓蒙すべき立場にある公人が、論争よりも裁判を選んだのは解せない。
が、いずれにしても『財界にいがた』で森氏が反論したことで、論争が再スタートした。歓迎すべきことだ。次号では、志岐氏の主張が掲載される。≫
いろいろな方々から、「なんで森ゆうこ氏を貶める側につくんだ、要はなんで志岐氏側に日々坦々は着いてるんだというご意見を聞いたりめーメールで云ってきたしている。
なぜかといえば、元国会議員が市民を訴える事は、完全な「スラップ訴訟」であり「恫喝裁判」であるからで、中味の問題においても、警察、検察、裁判所の究極的な問題は、『絶望の裁判所 (講談社現代新書)』を読めば誰でもわかるように、「最高裁事務総局」による裁判官支配であり、司法システムをほしいままにしていることに尽きる。
この本の中で、今の裁判システム自体が憲法違反だと書いている。
≪日本国憲法76条に輝かしい言葉で記されているとおり、本来、「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」ことが必要である。
しかし、日本の裁判官の実態は、「すべての裁判官は、最高裁と事務総局に従属してその職権を行い、もっぱら組織の掟とガイドラインによって拘束される」ことになっており、憲法の先の条文は。完全に愚弄され、踏みにじられている。
「檻」の中の裁判官たち=精神的「収容所群島」の囚人たち。という私の比喩の意味が、おわかりいただけたであろうか。あたなが裁判所の門をくぐるとき、あなたを裁く裁判官は、実は、そのような人々なのである。(P114)≫
そして、現在の裁判で行われているのは、
≪裁判というよりは、「事件」の「処理」である。また、彼ら自身、裁判官というよりは、むしろ、「裁判を行っている官僚、役人」、「法服を着た役人」というほうがその本質にずっと近い。
「先月は和解で12件も落とした」、「今月の新件の最低三割は和解で落とさないときつい」などといった裁判官の日常的な言動に端的に現れているように、当事者の名前も顔も個性も、その願いも思いも悲しみも、彼らの念頭にはない。当事者の名前などは…訴訟記録や手控えの片隅に記された一つの「記号」にすぎず、問題なのは、事件処理のスピードだけなのである。(P51)≫
と書かれている。
この国の官慮機構、司法は腐り切っている。もうアメリカの空襲で焼け野原になったように、この国は、一度、崩壊するしかないのかもしれないと暗雲が垂れ込め、暗澹たる気分になる。
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