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かつて議論を呼んだ自衛隊によるインド洋上での給油活動 〔PHOTO〕gettyimages
他国への攻撃を日本への攻撃と"みなし"て反撃するための根拠が「集団的自衛権」であるべき理由
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38926
2014年04月11日(金) 長谷川 幸洋「ニュースの深層」 現代ビジネス
安倍晋三政権が目指す集団的自衛権の憲法解釈変更にからんで「集団的自衛権を行使しなくても、個別的自衛権の行使で対応できる」という意見が与野党から出ている。日本周辺で起きた有事の際、米軍を守るのに集団的自衛権の行使は必要なく、従来から政府が合憲としてきた個別的自衛権の拡大解釈で対応可能、という主張である。
この意見は与野党だけでなく、集団的自衛権の行使容認に反対ないし慎重な新聞などマスコミの間でも根強い。いずれ国会で本格的な論争になるだろうが、ここでは議論を一段と活性化させるためにも、ひと足先に考えてみる。
■「日本が攻撃目標になっている」と"みなす”ケース
たとえば、公明党は米艦船が自衛隊艦船と並走している時に攻撃を受ければ、日本は個別的自衛権の行使で米艦船を防御できると繰り返している。山口那津男代表は私がコメンテーターとして出演した4月5日放送のBS朝日「激論!クロスファイア」でも「集団的自衛権の行使はリアリティがない」と強調した。
日本共産党は4月10日付「しんぶん赤旗」の「主張」で同じようなケースを挙げて、次のように書いている。
〈 元内閣官房副長官補(安全保障担当)の柳沢協二氏は著書で、第1次安倍政権時に『公海上で米艦が攻撃された場合の自衛隊の対応については、日本近海であれば、そのような攻撃は通常、日本への攻撃の前触れとして行われ、日本有事と認定できるため、・・・個別的自衛権によって米艦の護衛が可能』と説明していたことを明かしています(『検証 官邸のイラク戦争』)。高村氏が挙げる事例は個別的自衛権で対応できるのに、無理やり集団的自衛権行使の類型に入れ、それを正当化する口実に使っているだけです。 〉
ここで「高村氏が挙げる事例」というのは、同紙によれば「A国が日本を侵略するかもしれない状況下で、日米安保条約に基づき日本近海で警戒行動をとる米艦をA国が襲った。日本は集団的自衛権の行使になるからといって米艦を守らず、米艦は大損害を受けた。A国はその後、日本を侵略してきた」というケースである。
もう1つ、例を挙げよう。結いの党の江田憲司代表の主張だ。江田は近著『政界再編』(角川ONEテーマ21)でこう言っている。
〈 今、問題とされているケースは、本来「個別的自衛権」の範疇に包摂されるべきものであり、これまで認められてこなかった「集団的自衛権」をわざわざ持ち出すようなケースではない。 〉
〈 太平洋で米軍の艦船と自衛隊の艦船が並走していたところ、たまたま敵国のミサイルが米軍の艦船に命中した。それに対して反撃した場合、集団的自衛権の行使にあたるのではないかというのですが、これなどはまさに机上の空論です。そういう事態というのは、実際には既に日米に対して開戦している状況でしょうし・・・もしかしたら自衛隊の艦船を狙ったものかもしれない。そうなら即座に反撃する、それが現場の常識、感覚ではないか。 〉(同書、41〜42ページ)
これらは、いずれも完全に同じケースとは言い切れない。だが「日本が攻撃目標になっている」と「日本がみなしている」点で山口、柳沢(日本共産党)、江田の3例は共通している。具体的に言えば、たとえば北朝鮮が米艦船を狙ってミサイルを発射したとしても、日本は「日本艦船に対する攻撃」とみなす、というケースである。
■個別的自衛権の論理が破綻する危険性
江田がいみじくも著書で書いているように「ミサイルが当たった時点で、発射した側に『もしもし日本を狙ったのですか』などと確認できるわけもない」。だから、発射した時点で日本は「もしかしたら日本が狙われているかもしれない」とみなして即座に反撃する。その根拠は個別的自衛権、すなわち「日本が攻撃されたのだから当然、日本は反撃する権利がある」という理屈である。
ここが議論が分かれる最大のポイントである。
結論から言えば、こういうケースで個別的自衛権を適用するロジックは誤りであり、国際常識で認められないだけでなく、非常に危険でさえある、と思う。なぜなら、相手にしてみれば「おれたちは日本を狙ったのではない。米国を狙ったのに、紛争に関係ないはずの日本が突然、横から出てきて攻撃してきた」という理屈を与えてしまうからだ。
もしも敵のミサイルがだれにも当たっていない時点で、日本の反撃が開始されていれば、なおさらだ。ミサイルが結果的に米艦船に当たったとすると、相手はこう主張するだろう。
「ほらみろ、おれたちは米国を狙ったのだ。それなのに日本は自分が狙われたと言って、勝手に参戦したんだ」
このとき日本が「いや、おれたちは自分が狙われたと思ったんだ」などと反論しても通用しない。「なにを言ってるんだ。日本が自国防衛という理由で突然、参戦してきたんじゃないか。自分がそう言ってるじゃないか。宣戦布告なき戦争行為だ」という話になる。つまり個別的自衛権の論理が破綻してしまう。それどころか、攻撃を受けたわけでもない日本の行為が世界的に批判されかねない。
これに対して集団的自衛権とは、まさにあらかじめ「他国への攻撃を自国への攻撃とみなす」という点に核心がある。「米艦船への攻撃は日本艦船への攻撃とみなして集団的自衛権に基づいて反撃する」と堂々と宣言する。そうすれば「日本を狙ったわけでもないのに、日本が勝手に参戦してきた」という相手の理屈を封じ込めることができる。「われわれの集団的自衛権行使は国連憲章で認められた行動だ」と主張できるのだ。
■国連憲章51条を根拠とする国際常識
こういう集団的自衛権のロジックは、北大西洋条約機構(NATO)の根拠になっている北大西洋条約が典型である。北大西洋条約の第5条はこう定めている。
〈 締約国はヨーロッパまたは北アメリカにおける1または2以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなすことに同意する。したがって、締約国はそのような武力攻撃が行われたときは、各締約国が国際連合憲章第51条の規定によって認められている個別的または集団的自衛権を行使して・・・攻撃を受けた締約国を援助することに同意する。 〉
ここにあるように、まさに「みなす」点が鍵を握っている。この考え方を、いまの日本の議論にあてはめれば、米国に対する攻撃を日本への攻撃とみなして反撃するのは、日本の個別的自衛権行使ではなく、まさしく集団的自衛権の行使でなければならない。それが国連憲章51条を根拠とする国際常識である。
個別的自衛権で対応可能という主張は、米艦船を日本艦船が防御する対応そのものに反対していないにもかかわらず(日本共産党はそれにも反対だろうが)、ロジックだけは国際常識である集団的自衛権の適用を避けて、個別的自衛権の拡大で説明しようとするものだ。それは一見、もっともらしく見えて、実はかえって敵に「日本が勝手に参戦した」という口実を与えてしまいかねない。「悪漢は集団で退治する」という国連と国際社会の原理原則から離れて、なんでも自分だけで対応するという態度に固執しているからだ。
集団的自衛権のロジックは以上のように、実は単純である。一言で言えば「私はみんなのために、みんなは私のために」だ。英語で言えば「All for One, One for All」である。そういう原理を離れて個別的自衛権のみにこだわる姿勢は「とにかく嫌なものは嫌」と言って聞かない駄々っ子のように見える。
(文中敬称略)
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