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http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2014/04/post-190d.html
2014年4月10日
若い人は香具師とか的屋という言葉を知っているだろうか。
香具師は「やし」と読み、田中康夫氏の愛称とは関係ない。香具師は的屋(てきや)とも呼ばれる。ふうてんのとらさんの生計(たつき)の道でもある。香具師は縁日の境内で露店を開き、扱うものは金魚すくい、綿菓子、リンゴ飴、お面、風車などの懐かしい品々がおなじみである。
香具師(やし)のルーツを調べてみると、いろいろあってどれが本当か全く分からない。
薬草を商う薬師(やくし)がなまったというものから、野武士の武が省略されたとか、山師(やまし)の「ま」が省略されたなどというのもある。漢字表記がなぜ「香具師」かと言えば、それはかれらが線香などの香具も売っていたからだというが、これは何となく得心が行く。もし香具師が夏祭りの神社境内でアロマ・セラピー用品を商(あきな)ったら、それは香具師の職業名にぴったりだということになるのだろうか。
夏祭りの楽しい回想が脳裏を経巡(へめぐ)ったかもしれないが、そろそろ、書く方も読む方も気が滅入る話題に入っていこうと思う。
2013年4月17日の産業競争力会議で、竹中平蔵氏は、東京・大阪・愛知の三大都市圏を中心に、都市の国際競争力を高めて国内外のヒト・モノ・カネを呼び込み、経済再生の起爆剤にするという提案を出している。これが外道政策・国家戦略特区の出だしであった。
これとほとんど同時期に、竹中氏はやはり産業競争力会議や自身のサイトで空港や高速道路、上下水道といった公的な資産に目を付け、これらインフラの「運営権」を売却すれば「最低でも数十兆円になる」から、公的施設などの民営化を急ぐべきだと提案している。国や自治体が所有する施設や事業を民間の運営権として権利を売るというものらしい。
これはコンセッションと言って、所有権、監督権はそのまま持ち主が保持するが、運営権(利用権)の供与が認可される投資事業形態らしい。ということは、野球場の物売りや映画館の売店などもコンセッションの部類であり、前述の香具師もコンセッションの一種ということになる。施設の運営会社(あるいは運営主体)と異なる者が営業権を認可された場合はコンセッションである。
「竹中のポリシー・スクール」(2013年4月16日 突破口は「特区」と「コンセッション」―“成長戦略”の要件C)を読んでみた。
http://www.jcer.or.jp/column/takenaka/index472.html
その締めくくり部分で竹中氏はこう語っている。
「世界には今、インフラの運営を手掛けるグローバルな企業が存在する。しかし日本に、そうした企業はない。その理由は、日本ではインフラ運営を官が独占し、民間に開放していないからに他ならない。コンセッションは、民間部門とりわけ建設業に大きな可能性を拓くものだ。」
竹中氏はご覧のように「世界には今、インフラの運営を手掛けるグローバルな企業が存在する。」と言っているが、だから何なのだ?と言いたい。そのグローバル企業が各国の社会共通資本の運営権に参入して、どのように協力し、どのように地元に利益を還元できるかいっさい説明していない。
また、その場合の環境リスクや安全リスクについても言及されていない。インフラの運営権を売却すれば数十兆円が手に入ると唐突に言っているが、誰がそれを手にするのだろうか。政府に入る収入分は、使途不明な特別会計の闇に組み込まれるのだろうか。
グローバル事業体が、例えば日本の上下水道インフラの運営権を掌握した場合、事実上、公共料金である水道料金は民営化料金となるから、彼らが値段を決めることになるではないか。この場合、上下水道インフラの所有権は各市町村であるが、維持管理、営業方針は全てが多国籍企業の思惑で決まる。
ふと考えた。上水道の運営区分は本管配備の領域と、分水せんから各家庭に引き込む領域は管理が分かれていて、分水せん以降の修繕費用は各家庭の負担になる。同様に下水道も公共ますを境にして区分されているので、ます以降の修繕費も各家庭が負担する。グローバル企業に運営権が任されたとき、この修繕費用の料金体系も外の事業体の胸先三寸で決まるということなのか。
多国籍企業に国民のライフラインを任せたらどうなってしまうのだろうか。
2003年に北アメリカの広域を襲った「ニューヨークの大停電」といわれるアクシデントがあった。これは電力の大規模シャットダウンにいたる連鎖的な事象だったが、この根本的な原因は、電力事業の小規模独立事業者への分や規制緩和による「電力の自由化」で、小規模の独立事業者の参入によって電力の安定供給や信頼性維持が軽視されたことによるという。
米国の電気事業は、歴史的な経緯から、数多くの中小規模の事業者(私営約230社、協同組合営約890社、地方公営約200社など)により運営されており、もともと電力流通の広域化に対応した設備投資が行われにくい環境にあった。
(参照サイト)http://www.sozogaku.com/fkd/cf/CZ0200723.html
前にも述べたが、竹中平蔵氏の十八番(おはこ)は、『官僚既得権益体制か、それともイノベーションか』という二値論理強迫観念の押しつけである。この選択強要は、翻意すれば『セーフティネットの維持か、それとも新自由主義体制か』ということである。この論理構造には国民の安全や利益を保護し、それを維持していくという観点が皆無なのである。なぜなら、彼の語ることは強欲資本主義を世界展開するグローバリストたちの代弁に他ならないからだ。
コンセッションという方式も、グローバル企業が運営権を掌握することによって、日本の共通社会資本が“商売化”されたときに、全体として何が起こるかという展望が見えてこない。短期集中型利益を最優先することしか頭にない強欲グローバル企業は、公共性、安全性、環境コスト、恒久的な維持管理などは阻害要因として排除する性格を持つ。つまり「儲け」を邪魔する要素は片っ端から潰していくのが彼らの本性だ。
これが日本の公共財に参入するという意味が分からない。結果的にこれは巨大な収奪構造であり、インフラが破壊されるという展望ではないのか。日本のインフラ事業を日本の業者だけが行うとしたら、まだ何とかなる様な気もしないではないが、なぜ外資に日本の大事なライフラインを任せるのかという当然の疑問が浮かぶ。
それに、グローバル企業と政府が結託し、たとえば水道料金を天井知らずに引き上げたとき、彼らがある割合で利益共有を行うとすれば、これは構造的に重税になるのではないのか。国民はリース期間、政府に払う税金と、外の得体のしれぬ我利我利亡者に二重の税金を支払うことになるのでは?
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