http://www.asyura2.com/14/senkyo163/msg/829.html
Tweet |
「労働者の平均年収はなぜ低下したのか」という素朴な疑問を考える
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2014/04/post-c09a.html
2014年4月 7日
タイトルの主旨を把握していただくにはサラリーマンの平均年収の変遷を上げるだけで十分だろう。
菊池英博氏の「そして日本の富は略奪される」(ダイヤモンド社)を参照すると、サラリーマンの平均年収はデフレが始まる直前の1997年には467万円、2012年にはそれが408万円になっている。
15年間のデフレで59万円も年間収入が減っているのである。
菊池氏はこの原因が非正規社員の増加にあるという。
2013年には非正規社員がついに2000万人を突破して2043万人になってしまったという。
OECDのデータでは、1997年から2012年までの15年間、名目GDPはアメリカ、イギリス、ユーロ、ドイツは軒並み上がっているのに日本はマイナス成長になっている。
国民一人当たりの所得の国際比較は1994年は第3位だったが1997年から凋落、小渕首相の積極財政が奏功して2000年には再び第3位になった。
ところが小泉構造改革後の2007年には19位に転落していた。これは大きく言えば、政府が日本型の修正資本主義を置き去りにして新自由主義体制に移行したからである。
今の日本が急加速しつつあるフェーズ(位相、段階、局面)を単純化していうと、「1%対99%」の二極階層分化に向かってひたすら突っ走っていることだ。
小泉政権が始動してから7年後、日本は「年越し派遣村」に象徴されるように、年齢層にかかわらず貧窮問題と雇用の不安定化が常態となる社会現象が顕著になった。
昔からホームレスになるような人は、仕事嫌いや、ひねくれた厭世観を持った者だという言われ方があったが、そういう文脈でのとらえ方はすでに過去の遺物と化している。
今は、優秀で信望が厚く真面目な人でも、何か不可抗力的なできごとで失職し、なかなか仕事に就けない状況が起こる。
特殊な人がホームレスになる時代はとっくに過ぎ去り、普通の人々が今日にもホームレスになるという状況が出始めている。
よく言われるように、この背景には非正規労働者の増大が上げられるが、それを俎上に上げたときは、同時に所得再配分(富の再配分)の「操作的な意思」を考えるべきだろう。
“所得再配分の操作的な意思”とわざわざ銘打ったのは、その再配分方向を、富裕者層と一般労働者層に二分した場合、新自由主義政策は露骨に富裕者層にパイの配分が傾斜するからである。
その分労働者層の所得は減ってしまう。
このように企業が労働者に支払うお金が持続的に減っていく経済現象を我々はデフレーションと言っているが、なぜそうなったのかという原因は意外と分からない。
この話は重要である。
国内的に眺めれば、デフレ下では労使関係が使用者側が顕著に強くなる。
労働者が辞めても替わりはいくらでもいるから、賃金や待遇面に不満な人はいつ出て行ってもらってもかまわないという強者の論理である。
デフレ下では労働者を低賃金でコキ使って使い捨てにする傾向が強い。労組はこれに反論しがたくなる。
これは、国民の所得低下を皮相的な風景として説明したものである。
しかし、そもそもなぜこういうデフレ不況が恒久的に根付いてしまったのかということをダイレクトに説明する人間はあまり見当たらない。
これは平成の失われた20年はなぜ起こったのか?という疑問と重なってくる。
そうなると、これは経済の専門家の領域なのだが、これを素人でも分かりやすく説明してくれる人はいたって少ない。
国民所得が下がってきているはっきりしたトレンドについて、その理由を明確に述べている人がどれだけいるのだろうか。
言葉を濁しながら、いい加減なことを言っている有識者は吐いて捨てるほどいる。
今、テレビやラジオ、新聞などにレギュラーで出て、したり顔で経済評論をやっている連中から、それをはっきりと聴いた記憶がない。
もしかしたら、今の日本では「新自由主義」や「国際金融資本」などという言葉と同様に、「所得の再配分」という用語も第一級の禁句となっているような気がする。
その理由は所得の公平配分機能を担保する国家機能が新自由主義によって破壊されているからだ。
事実、安倍内閣からは所得の再配分云々という話は一切出てこない。現政権の基本発想には「国民生活」とか「社会保障の充実」などという概念はないのではないだろうか。
彼らの絶対的な優先事項は、いかにしてグローバル企業に政策的に貢献できるか、いかにしてそのために国民を騙しとおすかにかかっている。
これは気分的に言っているのではなく、日本を変えたいくつかの経済現象を見れば分かることである。
例えば、従業員の賃金を低下させた原動力は新自由主義の株主資本主義であり、経済評論家の岩本沙弓(いわもと・さゆみ)氏の「バブルの死角 日本人が損するカラクリ」 (集英社新書)によれば、それは2001年の時価会計制度への切り替えであったという。
株主への配当は、2000年を100とすると、2006年の指数は350で3.5倍になっているという。
この一方で、人件費の総額は2000年以降に激減しているという。
企業の生み出した付加価値は株主配当に充当はされても、従業員の賃金アップにはむかわなかった。露骨な傾斜配分トレンドに切り替わったのである。
要するに小泉政権下で労働者の貧窮傾向が固定化されてしまったのである。
岩本氏によれば2000年代を通じて“株主利益の最大化”が徹底されてきたことがデータで示されているという。
この時期、なぜ大企業を中心に株主利益至上主義に方向性を転じることができたのかと言えば、バブル崩壊後の株価下落のために、多くの株式保有者が株を手放したことにあるという。
その結果、何が起こったか。
株保有者の構成が変化した、つまり日本の優良株式の保有者が相当数入れ替わったことになる。
誰から誰に入れ替わってしまったかを述べる前に、この入れ替えが加速した制度的な理由を岩本氏は詳述している。
それは会計制度の変更であった。
2001年3月期決算を境にして、日本の上場企業はそれまでの取得原価方式から時価会計方式に切り替わった。
資産価値が低下する中で時価会計システムを稼働させた結果、資産はどんどん目減りし、わずかばかりの評価益を確保するため、あるいは評価損をそれ以上膨張させないために、企業も金融機関も株を売り続けるしかなかったという。
これが売り圧力を引き起こして価格がまた下落、さらに含み損を大きくして一層の売り圧力が強まるという悪循環に陥ったという。
従来のメインバンク制のもとでの株式持ち合いシステムが崩れたことと、2001年にアメリカの圧力で時価会計が導入されたことをもって、叩き売られた株式は日本人から外資の手に移った。
これを象徴する事象が2003年4月の日経平均株価が7603円76銭という暴落に出ている。
神州の泉はここで、植草一秀氏が洞察したりそなインサイダー取引疑惑(りそな銀行会計処理疑惑)をすぐに思い浮かべてしまう。
大木広也氏は、この時期に、財務省の40数兆円に及ぶドル買い・円売りの為替介入が行われたと言っていて、これは明らかに日本資産買占めのための資金を財務省が米国に提供したとしか考えられないと言っている。
外資による日本の叩き買いに財務省が協力したというのはもの凄い話であるが、この時期辺りから日本企業の外資比率は20%を超え、2011年には26%を突破している。
この状況は経営権やコーポレート・ガバナンスに向こう側の発言が反映していることを指し示す。
当然ながら、外資に侵襲された日本企業は労働賃金を下げることになったというわけである。
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK163掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。