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小沢一郎の「弁慶の立ち往生」をみて亡びるか…新生の苦しみに敢えてさらに挑むか…生活の党は今が正念場。
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2014-04-06 21:26:13 晴れのち曇り、時々パリ
大寒波の去ったアメリカのとある街道沿いに、雪中に死した鹿が見つかった。
背中迄は雪に没していなかったか、凍り付いて動けず死した鹿の背は、他の野生動物に食い荒らされたかの如く、原型をとどめていない。
雪解けと共に表れた骸は、雪嵐と闘って潰えた鹿の凄惨な最後が、威圧的に辺りを払う勢いで屹立している。
日本人には『滅びの美』という文化が有る。
それまでの闘いの中身の一切を消し去って、「潔い負け戦」を闘ってみせる事に、皆の共感を浴びる事となる。
しかし、負けは負け。
亡びて、その先には何も無い。
その屍は、哀れを誘うかもしれないが、亡びた本人はさぞかた悔しかったで有ろう。
闘いは、勝たねば意味が無い。
幾ら「美しく」負けようと、死の後は無である。
そして、世の中には「大将の大往生」を望んでいる部下も居ると言う事を、忘れてはならない。
生活の党。
絶滅危惧種の集う処。
大将は、高山の如く巨きく、大平原の如くに伸びやかである。
人々に誤解され、悪人の代名詞の如くに思い込まれ、排斥され罵倒され続けて、尚かつ他人を傷つけない。
揺るぎなき信念と、先を見据える眼力とで、日本の国体の根底を作り替えるべく、奮闘努力して来た。
そして、その倒すべき対象とされた官僚達と、その周辺に巣食う既得権益者達とが、総力を挙げて打倒に立ち上がり、結果として小沢一郎は敗れ去った。
さしもの「剛腕」も、手足となる陣笠が居て、それを動かす資金が有って、初めて実力を発揮できるのだ。
一旦負け戦が始まると、坂道を転がる如くに墜ちて行く。
矢折れ、弾尽き、兵は無く、依って立つ城が無い状態では、再起は極めて困難である。
今や、立ち往生寸前の弁慶と成り果てかかっている、小沢一郎が居る。
何故、こんな事になってしまったのか。
ひとえに、取り巻きのせいである。
かって手塩にかけて育てた参謀達は、霞ヶ関とマスコミ連合軍に寝返り、手のひらを返すかの様に、裏切って行った。
小沢の求める、本当の仕事をする重要性を最後迄理解出来ずに、その場その場の状況に負けて、飼い主の手を噛み自己保身に務めて「敵」の思うつぼにハマって行った。
敵の仕掛けた奸計にハマり、大将を救う努力をする事無く、大将の足を引っ張り、寝首を掻こうとして行った。
本当に小沢の思想を理解していた仲間達は、民主党を離れた後の不利な闘いで、政治の表舞台から去ってしまった人達であった。
彼らは、大将より一足早く討ち死にしてしまった。
最早、残っているのは殆どが旧態依然の「日本的政治」で生きて来た、政治屋まがいの者達である。
そして、その連中は今、大将の元に集い足元を固め、捲土重来を期す為にあらゆる手だてを打って努力している、とは到底思えない。
当面の議員活動に満足し、その活動に自己満足して、自分達の立場を過信しているとしか思えない。
党勢を拡大させる道を探るどころか、じり貧の状態で消え去る時を待つのみ、と言った風情である。
私はここ2年程、ブログで訴える事より、手軽にツイッターで訴える事にウエートが傾いているケライが有る。
日に日にあらゆるテーマが出て来て、その都度コメント出来るから、その利便性からどうしても抜け出せない。
知らなかった情報を持った人々から、あらゆる新しい情報を得て、その場でやり取りしてそれを確認したり、否定したり、説得したりされたり出来る事は、非常に便利で有用である。
「民主党」時代から、「国民の生活が第一」を経て、「生活の党」に至る間に、それなりの代議士や参議院議員諸氏にもフォローを頂いて、こちらもリフォローをして来た。
「国民の生活が第一」の頃は、互いに積極的に発信し、交流もあり、ツンボ桟敷から解放され、議員へも支持者からの考えを伝える事が出来た。
しかし、その多くの議員諸氏が野に下る。
そうすると、彼らの発信が減り、情報の質も劣化し、全くツイートが為されないアカウントも多い有様となった。
もしくは、単に朝夕の挨拶やその時の写真を載せる事しかしなく成った議員も多い。
その間に、彼らは何をやっているのか。。。
勿論、党のメルマガは頂いているし、活動内容は知る事が出来る。
小沢代表も、定期的記者会見は行われているし、全国の議員有るいは前議員のタウン・ミーティングに積極的に参加されて、咳の暖まる暇もない事は伝わって来る。
しかし。
だから、どうなるのだろう。
今の安倍強権政治を許しておけば、日本は早々に民主主義を捨て去った軍国主義に落ち入って行く事は、疑いの無い所である。
しからば、生活の党は、小沢一郎は、そして支持者を中心とした国民は、何をやらなければならないのか。
<自民・公明・民主・維新・結い・みん+共産>という巨大与党に対抗出来る、真っ当な受け皿を作らなければならない、と言う事だ。
それを国民は待ち望んで居り、小沢御大も百も承知である。
実際に作業に当たるのは、勿論国民ではない。
議員達である。
そして、その点に関して小沢一郎は事有るごとに「民主党が母体に」と発言している。
国民の多くは、民主党に極端なアレルギーを示す。
「あんな民主党と組めるか!」
しかし。
生活と社民と無所属とで、一体何が出来ると言うのだ。
「維新+結い」の統一会派を作りかかっているが、それが無ければ民主党は野党第一党である。
小沢改革を積極的に潰した元凶である、<岡田・前原・野田・枝野・玄蕃・安住・菅直人>など国民の敵も未だに居るが、リベラルな思想を持った議員も居る筈である。
この「リベラル民主」が核となって、その他の各党のリベラルも集められれば、再度の政界再編も夢と切り捨てるほど不可能でもあるまい。
その動きが起こせるのは、「腐っても小沢」なのだ。
しかし、ここ迄小沢のイメージを傷つけられてしまった以上、「小沢の元」に集結する、という訳には行かないだろう。
そこで不可欠なのが、「小沢イスム」を理解して体現出来る郎党達の存在である。
で。
居るのか、そんなのが。
日本の政治は100%官僚が動かしている。
あらゆる情報も統計も、各省庁が握っている。
それらを元にして、官僚が議員にブリーフィングを行い、政策の道筋を決めさせる。
官僚があらすじを書き、官僚が議員に説明した内容が「法案」となる。
委員会審議の質疑応答も、官僚が準備する。
野党議員は官僚を読んで法案の内容説明をさせて、質問内容を決める。
政府は官僚の模擬答案を読んで、答弁する。
本会議は、単なるン通過儀礼に過ぎない。
出来上がった法律を施行するのは、各省庁である。
大臣は、書類に判を捺すだけ。
その嗜好に伴う行政は、官僚が全てを担っている。
その行政に必要とされる予算は、財務省が決める。
国会審議は上の例と同じ。
予算執行も官僚同士。
当然、天下り特殊法人に丸投げし、そこが中抜きして企業へ。
企業は省庁の思いのママ。
その企業の献金で、与党議員は選挙資金を調達し、与党自体も企業献金で成り立っている。
建前は企業献金は禁止になった筈だが、そこはそれ。
世界最高額の「政党助成金」と一体となって、党運営を行い、議員活動を行う。
その、政策実行と議員活動の露払いを務め、提灯持ちを務めるのが、大手新聞テレビというマスコミである。
そのマスコミには、企業からタップリとしたCM料金という支援が為される。
各社トップには、政府からの有形無形の支援が為される。
犯罪は、司法官僚が一手に処理し、その司法官僚に取って「有害な政治家」など、簡単に排除できる。
その際の手先は、世論形成を担当するマスコミである。
さあ、日本を支配しているのは、一体誰でしょう。
官僚組織は、無名集団である。
法案に、作成した官僚の名前は明記されない。
行政の各分野で、担当官僚の責任者の名前も明記されない。
国民年金の制度の失敗を招く直接の原因ともなった、資金運営の大失敗に依る巨額の資金消滅も、担当官僚の名前は出て来ない。
官僚組織の支配体制の解消と、マスコミの寡占状態解消と、米国一辺倒の隷米官僚から、全世界等距離外交への変更とを打ち出した小沢一郎は、かくして法務官僚の描いたシナリオで、排除された。
当時の特捜部長や検察庁長官に「それ」を示唆した官僚名は出て来ない。
(この場合は、彼らの発案であった事はバレているけれど)
三権一立である「集団官僚独裁政治」に反旗を掲げた小沢一郎の没落を、手をこまねいて見ている、生活の党。
小沢の復権に、党として殆ど何の努力もせず、「小沢の名前で生きてます」状態の生活の党の議員達が、彼をもり立て、彼に再び力を与えて民主勢力の
再結集を可能にする為の努力は、殆ど見えて来ない。
不特定多数の目に触れて、不特定多数からの批判も上がって来る「ツイッター」から引き上げて、友達承認をした身内の閉鎖サークルである「フェイス・ブック」で発信しているつもりになって満足している態たらく。
お友達に「イイネ」のボタンを押してもらって、何になると言うのだ。
夫々の議員は、自分野考え、自分の行動を広く不特定多数に発信して、その議員個人の人となりを識って貰う努力を続けてこそ、支持拡大に連なるのだ。
耳に痛い事はシャット・アウトする。
面倒くさい事はマッピラ。
先生せんせいと持ち上げられて、沢山のイイネに囲まれて、それで満足してて何になる。
支持者だけのサークルで活動してれば良いのは、支持組織がはっきりしている公明党議員だけだ。
ましてや「生活の党」の様な、絶滅危惧種政党は、考え得るあらゆる手段を講じて、何とかその実態を国民の間に広く衆知される事を追求して行かずに、なんとする。
小沢一郎は、その政治理念は1世紀先を行っていた。
しかし、その小沢と言えども「旧世代人種」である。
スマートフォンもまともに扱えない。
ツイートなど、有効に利用出来る訳が無い。
橋下徹とは訳が違うのだ。
しかも、政治カンがにぶっている所も多い。
外国人参政権を言ったり。
カジノ議連に名誉会長なんて名義を貸したり。
地下原発推進会議なんてものに名前を出させたり。
「国民の生活が第一」という分り易いエネルギーに、支持が集結しかかっているとき、嘉田よし子なんてまがい物に引っ掛かったり。
そして、側近の中に「全く使えない奴」が居る事に気がつかない。
人を疑わない。
来る者は拒まない。
去る者は追わず。
立派だ。
でも、それは余裕が有る時なら問題は無いだろう。
人格を褒められる事こそ有れど、対してマイナスにはならないかもしれない。
しかし、現状はそうではない。
そうでは無いからこそ、残った者が協力し、一致団結してひたすら切磋琢磨しなければならないのだ。
だがしかし。
その「未来の党」での選挙資金を全て個人的に背負い込んで、四苦八苦の小沢一郎に、おんぶにだっこで全く成長出来ない茶坊主が、党務を仕切っている。
宿り木が、宿主の大木を枯らせてしまう事に、気がついていないのだ。
安倍政権の暴政振りを見るが良い。
一般大衆から搾り取るだけ搾り取る増税を断行し、大企業の法人税は更に引き下げる。
国民の雇用体系を破壊し、正規社員を減らし、非正規社員をどんどん増やす、企業目線の政策を推進する。
増税でむしり取った税金は、米国債という不定期ふ償還の冥加金を差し出し、原発輸出やら武器の輸出やらにお目こぼしを頂こうと奔走する。
「日本を取り戻す」とか言いながら、強権独裁政治にひた走るその姿が、その向かう所は正しく『霞ヶ関』の描いた設計図通りと言う事に、いい加減に気づけ。
放射能は途切れる事無く飛来し、その現状は既に歴史の一部として埋没しかかっている。
彼らの思い通りに「無かった事」になりかかっている。
そんな環境から、逃げ出す機会も手段も無く暮らさせられる多くの国民達が、せめて望み得ることは、狂気の安倍政権を一日も早く倒す事では無いか。
今の様に前後の見境も無く盲進していれば、つまずく事は多いにあり得る。
そんなチャンスに、倒閣を試み、政治を正常な姿に引き戻すには、受け皿が絶対不可欠な要素である。
その受け皿を、創れるのは「剛腕小沢」以外に居ないだろう。
その、最後の頼みの綱を、党内部から朽ち果てさせる様な状況に、危機感を感じないとすれば、もはや側近は『小沢一郎の大往生』を望んでいる、としか思えない。
「滅びの美学」は日本人の琴線に触れる。
弁慶の大往生は、日本人なら誰もが好む「良い話」なのだ。
しかし、皆さん。
党内部から、小沢を大往生させかねない状況を、許しておけますか!?
もはや「生活の党」は、その存在意義は終えたと判断するしか無いのか。
責めて『親王と三種の神器』だけは逃げ延びさせて、敵の目の届かぬ僻地で再起を記す、しかないのか…。
しかし、その「三種の神器」とは一体何なのだろう。
「2009年総選挙の際の民主党選挙公約」がそれである。
◆官僚主導打破と、政治主導の確率
◆特別別会計の解体と、予算の組み替え
◆米軍基地の縮小と対米対等外交
◆新聞テレビの資本クロスオーバーの禁止
◆地方分権の確立
これらの政治哲学を消滅させない為に、小沢一郎の元に集った勇士達は、奮励努力して来た筈である。
その努力を忘れる事無く、活動を継続されたし。
仲間内での足の引っ張り合いは、まっぴらだ。
批判に耳を傾けよ。
そして最後に付け加える。
支持者達よ。
贔屓の引倒しをするべからず。
自分だけの考え方を押し付けるべきではない。
批判をし合って、攻撃し合って、仲間割れしても、何にも産まれない。
支持者間でも、支持者と議員達との間に於いても。
ゆめ、忘れるでは有りませんぞ!
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