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飯塚事件は「取り返しがつかない」から再審却下なのか 青木理(ジャーナリスト) × 宮台真司(社会学者)
http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/003246.php
ニュース・コメンタリー (2014年04月05日) ビデオニュース・ドットコム
足利事件は17年半、布川事件は29年、袴田事件はまだ再審公判が決まった段階だが、何と48年。いずれも無実の罪で国家によって自由を奪われ、刑務所に拘束された年数だ。しかし、少なくともこれらの事件では被告がまだ生存していたので、本人はもとより支援者たちの並々ならぬ努力もあり、最後に正義は貫徹された。ところが、既に死刑が執行されてしまった飯塚事件は、もはやどうやっても取り返しがつかない。だから、これだけ多くの疑問が浮上しているにもかかわらず、裁判所は強引に再審を却下したのだと考えざるを得ない。
先週、袴田事件の再審が確定し、死刑囚として48年間勾留されていた袴田巌被告が釈放されたニュースをお伝えしたばかりだが、今週は同じくDNA鑑定の結果に疑問が呈されていながら既に死刑が執行されてしまった飯塚事件の再審請求に対する決定があり、福岡地裁は請求を棄却した。
飯塚事件は1992年福岡県飯塚市で小学1年の女児2人が殺害された事件。捜査段階から一貫して無罪を主張していた久間三千年氏の死刑が2006年に確定し、2年後の2008年に刑が執行されていた。
確たる証拠が無いなか、決め手となったのがDNA鑑定だった。事件直後の1992年、科警研が行ったDNA鑑定で、被害者の体や現場付近に付着していた血液のDNA型が、久間氏のものと一致するとされ、犯行の重要な証拠となった。
ところが、2000年代に入り、ほぼ同時期に科警研が同じ手法で行った「足利事件」のDNA鑑定の結果に疑問が呈され始めた。新しい技術に基づくより精密な鑑定の結果、当時の科警研の鑑定とは異なる結果が出たのだ。足利事件の被告で無期懲役が確定していた菅家利和さんは、2010年の再審判決で鑑定の証拠能力が否定され、無罪となった。
捜査段階で一旦犯行を自白し、公判で否認に転じていた菅家さんは、警察の激しい取り調べで自白を強要されたと、後に証言している。
ところが被疑者が捜査段階から一貫して否認を続け、重要証拠だったDNA鑑定にも疑問が呈されていた飯塚事件では、2008年、突如として久間氏の死刑が執行されてしまったのだ。上申された死刑執行命令に当時の森英介法相が、死刑囚となった久間さんが一貫して犯行を否認していることを懸念して「大丈夫か」と問うたのに対し、当時の大野恒太郎刑事局長が「大丈夫です。サインをお願いします」と回答したため、執行が決まったという。日本では再審の可能性なども念頭に置き、死刑の確定から平均で5年7ヶ月の待機期間を経て刑が執行されるのが慣習となっているが、久間氏の場合、刑の確定から僅か2年余りでの執行だった。
無論、足利事件で科警研のDNA鑑定の精度に疑問が呈されたために、同じく無罪になる可能性があった久間氏の刑の執行を急いだと考える明確な証拠があるわけではない。しかし、ほぼ同時期に同じ科警研で行われたDNA鑑定の結果に間違いが指摘され、しかも被疑者が一貫して犯行を否認していた否認事件で、なぜか通常ではあり得ないほどの早さで死刑が執行されたのはどう見ても不自然だ。
今回、福岡地裁の平塚浩司裁判長は、事件当時の鑑定に「当時の判断としては疑問の余地はない」とした上で、仮にDNA型鑑定を証拠から除いたとしても有罪は揺るがないとしているが、仮に刑が執行されてしまった死刑囚の再審などとなれば、司法の根幹が揺らぐことは想像に難くない。
なぜ法相から懸念が表明されてもなお、法務官僚はことさらに久間氏の刑の執行を急いだのか。DNA鑑定を証拠から排除した時、本当に状況証拠だけから久間氏を犯人とするのに合理的な疑いを差し挟む余地はないのか。
深く濃い司法の闇を晴らすためには、それらの疑惑の解明が不可欠である。それができなければ、被疑者を殺すことで冤罪をもみ消そうが、再審を却下して臭い物には蓋をしようが、既に司法の根幹は揺らいでいることに変わりはない。そして、一国の司法は国民の政府に対する信頼の根幹に関わる。
久間氏の死刑執行を上申した大野恒太郎刑事局長はその後順調に出世を続け、現在東京高検の検事長。日本の司法行政のトップである次期検事総長への就任が確実視されているという。
こうした司法の腐敗や濫用を正すためには、取り調べの可視化や検察証拠の開示義務づけなど先進国では当たり前に行われている民主的な司法改革が、最低限不可欠なのは火を見るよりも明らかだが、そうした改革は一向に進まないどころか、むしろ後退の兆しさえ見せているのが実情だ。
飯塚事件を取材してきたジャーナリストの青木理と社会学者の宮台真司が、赤レンガ派と現場派のパワーバランスで司法行政が左右されるこの国の司法のデタラメぶりと、飯塚事件の再審請求却下に見るこの国全体を覆う誰も責任を取らない「終わっている」体質などを議論した。(今週のNコメは神保哲生に代わり青木理が宮台真司とともに司会を務めます)
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