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2014年03月31日
再び、日本の刑事司法における前近代的捜査方法等々が議論される裁判所の判断が出た。袴田事件の死刑囚として48年間にわたり勾留されていた袴田巌氏の再審が決定した。今回のようなケースが生まれるたびに、我国の警察、検察、裁判所の問題点がマスメディアなどで一時の流行のように、かまびすしくとり上げられるが、数か月もすると、何事もなかったように、坦々粛々と同じことが繰り返される。司法に関わる連中が、この日本の司法制度の非近代性を重々承知の上で、既存権力の上に胡坐をかくのは、いつものことである。
多くの無知な国民が、“怪しい奴は吊るせ!”の感情を抱えている以上、改めて困難な近代司法制度に取り組む必要なんかない、と開き直っているのが、日本の警察であり、検察であり、裁判所なのである。原子力発電所が三つも爆発を起こし、致死量の放射能を地球上にばら撒こうと、“世界最高基準の安全対策”など云う勝手気ままな言説を旗印に、再稼働に邁進出来る国家なのだから、1億何千万人中数百人が冤罪で苦しんだとして、既存のシステムを変える気など毛頭ないのは当然だ。
「俺たちの国は、そういう国なンだよ。文句あるなら、束になってかかって来いよ!」そんな気持ちが優勢な民主主義国家と云うことなのだろう。つまり、支配者層の連中の正体は、民主主義制度の衣を着た、野蛮人なのである。国民に関しては、野蛮人に支配されているのだから、何に例えればいいのか、言葉を慎むほかない。おそらく、怪しい日常を送っている人々や性格的に周囲と馴染まない(意味なく同調しない)人々を排除する「村社会」の伝統文化が居残っている為かもしれない。
最近でこそ、科学的検証(DNA照合など)の反証により、判決の再審が決判断され、或は内部告発などにより、起訴の誤謬が見つかることがある状況になってきた。しかし、これ自体が偶々冤罪を防げた例外であり、民主主義国家の人権重視の司法が行われている状況からは程遠い。多くの人々から指摘されているので、ここで深くは言及しないが、国連からまで「ミドル・エイジ(中世)司法」と指摘されているのが日本の司法制度である。
「絶望の裁判所」でも明らかなように、検察が起訴した刑事事件は99.8%の有罪率を誇ると云う事実から、逮捕で80%の有罪。起訴で、ほぼ百発百中の有罪なのだから、裁判官が無罪判決を出すことは、非常に困難な司法秩序の中に置かれていることを意味する。たしかに、疑わしき人々を犯罪者に仕立て、しょっ引き、有罪判決で刑務所に収監すれば、治安が表向き良くなる事実はあるのだろう。国民が、その治安の良さを警察のお陰で安心して暮らせる日本だと思い込むことは、彼らの法治ではない行為を行う免罪符を与えているし、積極的に非近代的司法制度を改めようと云う動機づけは、永遠に訪れないことになる。
大雑把な括りで言えば、 1、怪しい奴に目をつける 2、怪しんだ尤もらしい根拠で捜査令状や逮捕状を裁判所に請求―要件を満たせば令状逮捕状は出る 3、これを前後して記者クラブスクラムで犯人の印象操作が警察を通し行われる 4、逮捕勾留 5、代用監獄により、取り調べは時間制限なく行われる 6、犯人の自白偏重主義が横行するため自白を得るために取調べと云う拷問が行われる 7、殴る蹴るは滅多にないだろうが、硬軟織り交ぜ刑事5〜6人対容疑者一人の密室取調べが継続 8、勾留期間は建前上10日間だが、延長が容易く出来るので23日。また、1件につきだから3件の犯罪がある疑いがある場合は69日になる。 9、逮捕後、黙秘権もあるし、弁護士を呼ぶ権利もあるが、取り調べ中は弁護士は立ち会えない現実なので、容疑者は一人で警察官や検察官と対峙する 10、自白しない場合、保釈は軽微な犯罪でも認められないことが多い 11、可視化の話があるが、一部可視化は警察検察の都合の良い部分のビデオ撮影 12、無罪でも、保釈が欲しくて自白や供述調書へのサインは致命的 13、自白供述調書は自分をほぼ有罪にする決め手になる
まぁかなり大雑把だが、上述のような按配になる。犯罪を犯した自覚があるなら、さっさと「おそれいいりやした」がサバサバして良いだろう。しかし、これが身に覚えがないとなると、俄然話は違ってくる。警察や検察は、自白を取ろうと、ありとあらゆる手を駆使してくる。脅し賺しは当然だが、被疑者の社会的立場が喪失するような事実関係を作り上げる傾向が強い。あらゆる関係する場所への家宅捜索などが行われるので、普通の会社員なら、概ねアウトである。もっと日本の刑事司法で厄介な点は、マスメディアが警察検察と一体化した立場に存在することである。
袴田氏の事件において、当時の新聞は、袴田氏が逮捕される前から、袴田氏を犯人扱いした報道に徹している。なぜそうなるか?まさかジャーナリストとして無能としか思えない記者連中が、独自の取材記事をものにして書いているわけではない。すべては警察検察のリークによる情報の垂れ流しである。この警察検察のリーク情報を垂れ流さないと、その報道機関の記者は極めて不利な立場に追い込まれ、「特落ち」の連続と云う罠に嵌る。当然、その垂れ流しは、暗黙の不文律である。しかし、記者クラブとは、そのようなものであるが、マスメディアにとって楽チン過ぎる報道手段であり、やめようなどと考える社はない。
かくして、犯罪者として世間に喧伝されてしまった社会人は、孤独の中で、多くの取調官の追求に遭うことになる。彼に有利な証言が可能だった人々でさえ、君子危うきに近寄らずの心境になるものである。あの人が、俺のアリバイを、と思っても、犯人として印象操作された彼は極悪人であり、関わりたくない気持ちに、善意の第三者まで引きずり込むのである。ビデオニュース・ドットコムが当時の毎日新聞を例示していたが、それは、それは凄い報道であり、無罪の可能性どころか、チンケな犯罪者まで(袴田氏の場合は異なるが)極悪人になるのである。
袴田氏逮捕前の新聞記事は「従業員の“H”浮かぶ」。夕方逮捕される当日の朝刊に実名報道、「袴田を連行、本格取り調べ」「夕刻までに逮捕」「不敵な薄笑い」となる。逮捕後はもっと凄い、袴田自供!「金欲しさにやった」「粘りの宋さ69日」「パジャマの血でガックリ」「葬儀の日も高笑い」「ジキルとハイドの袴田」これがすべて、起訴前、有罪前の被疑者袴田氏に向けた報道である。どの社も似たりよったりだが、社会面では毎日が見てきたように垂れ流し報道を行うのは、小沢陸山会事件でも理解できるように、自分が目撃者であったように。記事を書きたがる趣向を持つ新聞社のようである。
毎日であろうが、他の社であろうが、“朗報!袴田氏再審決定”などと云う記事を書く前に、当時自分たちは、袴田氏のことを、どのように報じたか、その事実に口を拭い、市民の忘却に期待するような報道をいつまで続けていくのだろう。どの面さげて、「袴田氏の48年はどうなった?」などと記事が書けるのだろうか。昔、記事を書いた記者と、今の記者は違う人物だからと云うエクスキューズで済まされる問題ではないだろう。報道のリテラシーの問題である。
しかし、現実は坦々と過ぎるのである。村木事件における国家賠償訴訟の判決だが、裁判所は、検察の不当な逮捕起訴に対する国家賠償が認定したが、検察のリークにより受けた名誉棄損の部分を棄却した。国家賠償法において、多くは村木氏への賠償が認められたが、検察リークによる名誉棄損について、別途訴訟を起こしたが、改めて最高裁が棄却を決定した。
検察官がマスメデ¬ィアに情報をリークしたことは明らかであると原告側は主張したが、高裁は「情報漏えいした大阪地検の職員が特定されていない」「漏洩した時期、態様、及び目的等について具体的な事実を認定するに足りる的確な証拠がない」「記者たちが検察リークを証言しているとしても、記者が特定されていなければならない」等々と語り、検察のリーク自体が存在しなかったとした。筆者の記憶では、「推認するに充分な状況がある」は日本の裁判所の常套句だが、検察や警察の不法行為には「推認」と云う言葉はないのだそうだ。何という身勝手な奴等だ。束にして薪にしてしまい、火力発電に応用したいものだ(笑)。
毎日新聞が驚くことに、「袴田事件決定 直ちに再審を開始せよ」と云う社説で白々しく報じている。この社の連中の心臓は、毛が生えているなどと云うものではなく、メディアリテラシーとかジャーナリストとして矜持とか、まったく無縁のようである。TBSも然りだろう。盗人猛々しいと云う表現が妥当だとは思わないが、そんな気分にさせられる。最後に気づいたので、目が穢れそうな社説だが掲載しておく。
社説:袴田事件決定 直ちに再審を開始せよ
捜査側の証拠捏造(ねつぞう)の疑いにまで踏み込んだ事実上の無罪認定だ。
静岡県で1966年、一家4人が殺害された袴田事件で、静岡地裁が再審開始の決定を出した。袴田巌元被告(78)のこれ以上の拘置は「耐え難いほど正義に反する」との地裁の決定で、袴田元被告は逮捕から48年ぶりに釈放された。
再審に費やした時間は、あまりに長すぎた。検察は決定に不服があれば高裁に即時抗告できる。だが、決定の内容や袴田元被告の年齢を考慮すれば、再審裁判をするか否かでこれ以上、時間をかけてはならない。速やかに再審裁判を開始すべきだ。
再審の扉は、新証拠が提示されなければ開かれない。今回の第2次再審請求審では、確定判決で犯行時の着衣とされたシャツなど5点の衣類のDNA型鑑定が焦点となった。
地裁は、「血痕が袴田元被告や被害者と一致しない」とした弁護側のDNA型鑑定を新証拠と認め、袴田元被告を犯人とするには合理的な疑いが残るとした。「疑わしきは被告人の利益に」の刑事裁判の原則が再審にも当てはまるとした最高裁の白鳥決定に沿った妥当な判断だ。
決定は、5点の衣類が、事件から1年以上経過して発見されたことを「不自然だ」と指摘した。「後日捏造された疑いを生じさせる」として、捜査当局が、なりふり構わず証拠を捏造した疑いまで投げかけた。
証拠の捏造があったとすれば許されない。確定裁判でも45通の自白調書のうち44通の任意性が否定され、証拠不採用になった。証拠が不十分な中、犯人視や自白の強要など不当捜査が行われた疑いが残る。静岡県警は捜査を徹底検証すべきだ。
検察の責任も大きい。第2次再審請求審では、公判で未提出だった約600点の証拠が地裁の勧告を受けて新たに開示され、弁護側が確定判決との矛盾点などを突いた。
裁判の遂行には、公正な証拠の開示が不可欠だ。東京電力女性社員殺害事件や布川事件など近年、再審無罪が確定した事件でも、検察の証拠開示の不十分さが指摘された。被告側に有利な証拠を検察が恣意(しい)的に出さないことを防ぐ証拠開示の制度やルールが必要だ。
一連の再審請求審を振り返れば、裁判所も強く反省を迫られる。81年提起の第1次再審請求審は、最高裁で棄却されるまで27年を要した。自由を奪われ、死刑台と隣り合わせで過ごした袴田元被告の長い年月を思うと、迅速な裁判が実現できなかったことが悔やまれる。
半世紀近い塀の扉を開けたのは最新のDNA型鑑定の成果だが、適正な刑事手続きや公正な証拠開示など国民に信頼される刑事司法の原点を改めて確認したい。 ≫(毎日新聞:3月28日社説)
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