05. 2014年3月31日 12:34:57
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■飯塚事件の再審請求棄却 福岡地裁 弁護側、即時抗告へ 2014年3月31日11時31分 1992年に福岡県飯塚市の小学1年の女児2人が殺害された「飯塚事件」で死刑が執行された久間三千年(くまみちとし)元死刑囚(執行時70)の再審請求について、福岡地裁(平塚浩司裁判長)は31日、請求を棄却する決定をした。請求審の争点だった、被害女児などに付着した血液の事件当時のDNA型鑑定について、地裁は「当時よりも慎重に検討すべき」と指摘しつつも、新旧証拠の総合評価によって「確定判決の認定に合理的な疑いは生じない」と判断した。 弁護側は福岡高裁に即時抗告する方針。 DNA型鑑定について、決定は、現場の血液のDNA型が元死刑囚と一致するとした事件当時の鑑定について「当時の判断としては疑問の余地はない」とした。だが、現代の技術で解釈すると、犯人と元死刑囚のDNA型が異なる可能性があり、「直ちに有罪認定の根拠とすることはできない」と指摘した。その上で、新旧証拠を総合評価し、仮にDNA型鑑定を証拠から除いたとしても、有罪が揺るがないと判断した。 再審請求審で弁護団が「真犯人のものである可能性が否定できない型が見つかった」とした、警察庁科学警察研究所(科警研)鑑定の写真ネガの解析結果について、地裁は、検察の「本来の鑑定結果とは別に余分に出たもの」とする主張を採用し、弁護側の訴えを退けた。 久間元死刑囚は捜査段階から一貫して無罪を主張。犯行と元死刑囚を直接結びつける証拠はなかったが、福岡地裁は99年、状況証拠を積み上げて有罪と認定し死刑判決を出した。元死刑囚は控訴、上告したが、06年に最高裁で確定。08年に死刑が執行された。 元死刑囚の妻が2009年10月に請求して始まった再審請求審の最大の争点は、被害女児や現場付近から採取された血液のDNA型鑑定だった。 「MCT118型」と呼ばれる手法による鑑定で、科警研が92年の事件直後に実施した。06年の確定判決も、この鑑定結果をもとに「元死刑囚のDNA型の一部と一致するとみて矛盾しないものが発見された」と判断。遺体発見現場近くでの車の目撃証言や、元死刑囚の車から被害者と同じ血液型の血痕が検出されたことなどの状況証拠などとともに、有罪の根拠の一つとしていた。 ただ、当時はDNA型鑑定が捜査に導入されたばかりで、同時期に同じ手法で科警研が鑑定した「足利事件」の再審公判判決(10年3月)は鑑定の証拠能力を否定し、元被告を無罪とした。飯塚事件の弁護団も「飯塚事件での鑑定技術も未熟で精度が低く、証拠能力はない」と訴えてきた。 再審請求審では、DNA型を再鑑定する試料が残っていなかったため、弁護団は科警研鑑定に用いられた写真のネガの解析を鑑定に詳しい本田克也・筑波大教授(法医学)に依頼。その鑑定結果をもとに「元死刑囚と同じ型が表れているとは言えず、真犯人のものである可能性が否定できない型が見つかった」と訴えた。 一方、検察側は科警研の鑑定結果は信用できると反論。弁護団が、真犯人の型の可能性があると指摘した点についても「本来の鑑定結果とは別に余分に出たもの」と主張。そもそもDNA型鑑定は証拠の一つでしかなく、「状況証拠の積み重ねで確定した有罪判決は揺るがない」としてきた。 ◇ ■決定骨子 ◆遺体発見現場近くで元死刑囚の車と同じ型の車を見たという目撃証言について、弁護団の鑑定書でも信用性は揺るがない。 ◆被害女児などに付着していた血液の血液型鑑定について、弁護団の鑑定書は再鑑定や実験結果に依拠しておらず、採用できない。 ◆被害女児などに付着した血液に関するDNA型鑑定について、弁護団の鑑定書をふまえると、元死刑囚のDNA型と一致した、との警察庁科学警察研究所(科警研)の鑑定結果は、確定判決当時よりも慎重に検討すべきだ。ただ、再鑑定がなされておらず、一致しないことが明らかになったわけではなく、一致する可能性もある。 ◆この科警研鑑定を、確定判決が認定した状況証拠からのぞいて判断した場合でも、元死刑囚の車から被害者と同じ血液型の血痕が見つかったことや、アリバイがないことなど主に5つの状況証拠から、元死刑囚が犯人であることの立証がなされていることに変わりはない。 ◆弁護団の鑑定書でも確定判決の有罪認定に合理的な疑いは生じない。「真犯人の可能性があるDNA型が検出された」という弁護団の鑑定は認められない。 ◇ 〈飯塚事件〉 1992年2月、福岡県飯塚市で小学1年の女児2人が登校中に行方不明となり、翌日、約20キロ離れた同県甘木市(現・朝倉市)の山中で遺体が見つかった。94年9月に死体遺棄容疑で逮捕され、殺人や略取誘拐の罪にも問われた久間三千年元死刑囚は捜査段階から一貫して無罪を主張。福岡地裁は99年9月、状況証拠を積み上げて有罪と認定して死刑を言い渡し、2006年9月に最高裁で確定した。確定判決は警察庁科学警察研究所(科警研)鑑定から「女児の体などに付着した血液から、元死刑囚のDNA型の一部と一致するとみて矛盾しないものが発見された」と認定。ほかに、遺体発見現場近くでの車の目撃証言▽女児の服についた繊維が元死刑囚の車と同車種のシートの繊維とほぼ一致▽元死刑囚の車から被害者と同じ血液型の血痕が検出されたなどの状況証拠から、元死刑囚が「犯人であることについては合理的疑いを超えた高度の蓋然(がいぜん)性がある」とした。再審請求準備中の08年10月に死刑が執行され、元死刑囚の妻が09年10月に再審を請求していた。 ◇ ■飯塚事件の経緯 1992年2月 福岡県飯塚市で小学生の女児2人が行方不明となり、山中で遺体が見つかる 92年3〜6月 科警研が女児の体などに付着した血液をDNA型鑑定。「久間三千年元死刑囚と一致」と判断 94年9月 久間元死刑囚が死体遺棄容疑で逮捕される。容疑を否認 94年10月 殺人容疑で逮捕される。容疑を否認 95年2月 福岡地裁の初公判で「絶対していない」と全面否認 99年9月 福岡地裁が死刑判決 2001年10月 福岡高裁が控訴棄却 06年9月 最高裁が上告棄却。死刑判決が確定 08年10月 死刑執行 09年10月 元死刑囚の妻が再審請求 12年2月 福岡地裁が弁護側の要請に応じ、科警研からDNA型鑑定の写真ネガを取り寄せる 12年10月 弁護団が専門家によるネガの解析結果を発表。「元死刑囚以外の型が見つかった」と主張 13年5〜6月 専門家への弁護側、検察側の証人尋問 13年8月 担当裁判長が交代 14年3月 福岡地裁が再審請求を棄却 http://www.asahi.com/articles/ASG300R7HG3ZTIPE02F.html |