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2014年3月30日
私たちは「絶対視」されてしまいがちな情報を「相対化」する智慧を持たなければならない。
袴田事件で静岡地裁が再審開始決定を示した。
同時に、袴田巌氏の拘禁を解いた。
48年ぶりの身柄の解放である。
袴田氏が獄中から子息に宛てた書簡に袴田氏の心境が端的に示されている。
「……殺しても病気で死んだと報告すればそれまでだ、といっておどし罵声をあびせ棍棒で殴った。そして、連日二人一組になり三人一組のときもあった。
午前、午後、晩から一一時、引続いて午前二時まで交替で蹴ったり殴った。
それが取調べであった。
……息子よ、……必ず証明してあげよう。お前のチャンは決して人を殺していないし、一番それをよく知っているのが警察であって、一番申し訳なく思っているのが裁判官であることを。
チャンはこの鉄鎖を断ち切ってお前のいる所に帰っていくよ。」
ここにある「鉄鎖」という言葉の重みを私たちは感じ取る必要がある。
日本国憲法第36条に次の条文が置かれている。
第三十八条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
○2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
○3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
そして、刑事訴訟法第336条は刑事裁判の判決について、次の規定を置いている。
(無罪の判決)
第336条 被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない。
自白を唯一の証拠とする場合には無罪としなければならないこと。
合理的な疑いを差し挟む余地のない程度にまで犯罪が証明されない場合には無罪の判決が言い渡されなければならないこと。
これがはっきりと法律の条文として書かれている。
こうした刑事裁判に関する根本規定、法令が遵守されていたなら、袴田巌氏に死刑判決が言い渡される可能性は皆無であったはずだ。
しかし、現実には袴田巌氏に死刑判決が言い渡され、袴田氏は48年間の長期にわたって「鉄鎖」につながれてきたのである。
検察は自白以外に証拠があると主張してきたが、その証拠が「捏造」されたものである疑いが濃厚になっている。
正当に捜査が行われ、発見された証拠の解釈を誤ったというなら、検察の誤りを理解する余地も生まれるが、証拠を捏造したということであれば、これは「刑事捜査におけるミステイク」ではなく、捜査当局の「重大犯罪」である。
無実の市民を凶悪犯罪者に仕立て上げて殺人する「超凶悪重大犯罪」であり、このような犯罪を実行した者こそ、厳罰に処される必要がある。
由々しきことは、この期に及んで検察が即時抗告の構えを示していることである。
法務行政のトップに座る谷垣禎一法務相は、
「相当な環境の激変だと思うが、うまく乗り越えていただきたい」
と述べた。
何と言う「他人事発言」、「上から目線の発言」であろうことか。
「物言えば唇寒し」
という。
余計な発言は控えるべきだ。
事態の推移によれば、検察自体が重大犯罪の実行犯になる事案なのだ。
無実の人間を48年も獄につないでおいて、
「環境の激変をうまく乗り越えていただきたい」
と発言することのおかしさを日本の市民はどう受け止めるか。
裁判所の判断をまずは厳粛に受け止めることだけを、まずは述べるべきだ。
静岡地裁の判断を受けて、関係者が喜びの声を発した。
袴田氏の身柄が解放されることは、むろんのこと、喜ばしいことである。
しかし、本来の感情はまったく異なるはずである。
喜びは無法の国家の犯罪を基準にした感情であって、無実の人間が無実の人間として平穏無事に生活を営むという、当たり前の、当然の状態を基準に置くならば、身柄の釈放は、改めて最大の怒りを発露する契機になるものであるからだ。
明日、3月31日には、飯塚事件の再審請求に対する判断が示される。
こちらは、すでに死刑が執行されている。
すでに取り返しのつかない事案である。
それでも、重大な過誤は過誤として質される必要がある。
この世は理不尽と不条理に満ち溢れたものである。
悲劇は至る所に存在する。
私たちは権力や権威が、まったく信用に値しないことを肝に銘じておく必要がある。
いかなる「権力」、「権威」が示す判断でさえ、重大な過誤は常に含まれる。
とりわけ、警察・検察・裁判所、そして、マスメディアの判断を「絶対視」しない冷静さを、常に保持しなければならない。
「権力」、「権威」が示す判断を絶対視せずに、ひとつの判断に過ぎないと「相対化」できる理性の余裕を保持すること。
これが私たちの備えるべき「智慧」である。
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