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帝国主義とは異民族支配だとしたら、歴史とは帝国主義戦争の連続に近い。支那の歴代王朝もインかもエジプトも、すべて帝国主義の羅列だといえる。異民族の領域をおかして、財宝を奪い、住民を奴隷にして、収奪を継続して植民地にした。基本的には現代の戦争も、これを踏み外しているわけではなく、ベトナム戦争も中東紛争も、支援を要請されたカムフラージュだけはしているが、本質的にちがったものではない。
そのように、それがどこでも起きていた植民地帝国で、つまり、歴史上のパワーとは帝国主義にほかならない。その興亡が人類史の記述の大半だったわけだが、ただローマだけが途中でキリスト教の教義を植民地支配の理由につかいはじめた。
ユダヤ教から派生したキリスト教だが、ユダヤ教は民族宗教で他人に強制したり異民族を圧迫するものではなかったが、そこから生まれたキリスト教は布教活動を教徒の義務として異教徒迫害を正当化した。そしてそれがだんだんと狂暴化して植民地獲得や奴隷化の正当化に利用された。
そのキリスト教からさらに派生したイスラム教となるとその性質はさらに狂暴化して、盗賊や海賊や他国の侵略が布教名目で正当化されて、いまのイスラム原理主義にうけつがれている。
ヨーロッパではながい中世のキリスト教支配への抵抗としての市民革命が生み出した政治理念としての民主主義だが、そしてその民主主義の論理的暴走の結果としての社会主義や自由主義もまた、その根底にはキリスト教の布教にしたがわない異教徒への暴力的支配と呼ぶ凶暴性をもっている。
ひとくちに第二次大戦と呼ばれるが、ナチスが起こしたヨーロッパの戦争と日本の大東亜戦争は、そこのところではまったく異質だ。ヨーロッパの戦争は、いまでも地球上のあらゆるところで起きている一神教徒同士の闘争だが、大東亜戦争は一神教徒の帝国主義への多神教としての日本の抵抗戦争だった。
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