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集団的自衛権の行使容認を目指して、安倍晋三首相は憲法解釈の変更を考えているとされていますが、安倍晋三首相はもともと憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認には反対の立場であることを、著書[文献1,2]において述べています。
安倍首相による、集団的自衛権に関する記述の部分を要約すると、
(1)日本の安全確保とアメリカに対する発言力を増すには、集団的自衛権を行使できるようにすることが必要だ。
(2)憲法九条二項には、交戦権否認の条文がある(注1)。
(3)交戦権が認められないので、日本には自衛権(個別的自衛権と集団的自衛権)がない。
(4)交戦権がない日本には自衛権(個別的自衛権)がないので、日本を攻撃するために、東京湾に、大量破壊兵器を積んだテロリストの工作船がやってきても、向こうから何らかの攻撃がないかぎり、こちらから武力を行使して、相手を排除することはできない。
(5)日本を攻撃するために、東京湾に、大量破壊兵器を積んだテロリストの工作船がやってきても、向こうから何らかの攻撃がないかぎり、こちらから武力を行使して、相手を排除できるようにするために、憲法解釈の変更でしのぐのは、もはや限界である。
(6)したがって、憲法を改正して、日本が自衛権(個別的自衛権と集団的自衛権)を行使できるようにしなくてはならない。
となります。
この中で、(3)、(4)の記述の内容は、事実と全く異なります。
憲法九条の交戦権の否認に関して多くの学説があるのは事実ですが[文献3]、「日本を攻撃するために、東京湾に、大量破壊兵器を積んだテロリストの工作船がやってきても、向こうから何らかの攻撃がないかぎり、こちらから武力を行使して、相手を排除することはできないのだ」という安倍首相の著書の記述は、安倍晋三氏の独自の研究による憲法解釈に基づいていて、日本政府の憲法解釈とは異なっています。
政府は、「交戦権とは、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むものである」としています。その上で政府は、「交戦権の否認とは、これらの権利の総称である交戦権の一部の否認である」と解釈し、「交戦権のうちの、相手国兵力の殺傷と破壊など戦いを交える権利までは放棄していない」と解釈しています。
これらの政府の憲法解釈に従って制定されている現行の海上保安庁法や自衛隊法に基づいて、海上保安庁や自衛隊は「日本を攻撃するために、東京湾に、大量破壊兵器を積んだテロリストの工作船がやってきた場合には、向こうから何らかの攻撃を受ける前に、こちらから武器を使用したり、武力を行使したりして、相手を排除すること」ができます。根拠となる法律と政府の憲法解釈については、改めて別途に詳述したいと思います。
安倍首相は、交戦権についての独自の憲法解釈によって、個別的自衛権に基づく武力行使ができないと主張し、それが不都合であるから、憲法は間違っているとした上で、憲法解釈の変更ではどうにもならないので、個別的自衛権と集団的自衛権に基づく武力行使ができるように憲法を改正せよと主張しています。そして憲法改正が難しいと見るや、著書の中で憲法解釈の変更はできないと述べていた主張を撤回し、憲法解釈の変更による集団的自衛権行使を容認へと向かっています。
安倍首相の主張が論理的に破たんし、一貫性にも欠けていることは明白です。
安倍首相は、間違った知識に基づいて、間違った論理を組み立てて、間違った方向に国民を導いています。
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【注】
(注1)交戦権(防衛省)
憲法第9条第2項では、「国の交戦権は、これを認めない。」と規定しているが、ここでいう交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むものである。
一方、自衛権の行使にあたっては、わが国を防衛するための必要最小限度の実力を行使することは当然のこととして認められており、たとえば、わが国が自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、外見上は同じ殺傷と破壊であっても、それは交戦権の行使とは別の観念のものである。ただし、相手国の領土の占領などは、自衛のための必要最小限度を超えるものと考えられるので、認められない。
(http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2010/2010/html/m2122500.html)
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【参考文献】
[1]安倍晋三『美しい国へ』(文春新書,2013)p.132.
[2]安倍晋三『新しい国へ 美しい国へ 完全版』(文春新書,2013)p.136.
”
”交戦権がない”ことの意味
軍事同盟とは、ひとことでいえば、必要最小限の武力で自国の安全を確保しようとする知恵だ。集団的自衛権の行使を担保しておくことは、それによって、合理的な日本の防衛が可能になるばかりか、アジアの安定に寄与することになる。またそれは結果として、日本が武力行使をせずにすむことにもつながるのである。
アメリカのいうままにならずに、日本はもっといいたいことをいえ、という人がいるが、日米同盟における双務性を高めてこそ、基地問題を含めて、わたしたちの発言力は格段に増すのである。
もうひとつ、憲法第九条第二項には、「交戦権は、これを認めない」という条文がある。これをどう解釈するか、半世紀にわたって、ほとんど神学論争にちかい議論がくりかえされた。
どこの国でももっている自然の権利である自衛権を行使することによって、交戦になることは、十分にありうることだ。この神学論争は、いまどうなっているか。明らかに甚大な被害が出るであろう状況がわかっていても、こちらに被害が生じてからしか、反撃ができないというのが、憲法解釈の答えなのである。
たとえば日本を攻撃するために、東京湾に、大量破壊兵器を積んだテロリストの工作船がやってきても、向こうから何らかの攻撃がないかぎり、こちらから武力を行使して、相手を排除することはできないのだ。わが国の安全保障と憲法との乖離を解釈でしのぐのは、もはや限界であることがおわかりだろう。”
[3]松山健二,”憲法第 9 条の交戦権否認規定と国際法上の交戦権”,(国会図書館,2012).
(http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_4002048_po_074202.pdf?contentNo=1)
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