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国連安全保障理事会で国連憲章を手にロシアを批判するウクライナのヤチェニュク首相 photo gettyimages
「ロシアの拒否権発動」「集団的自衛権の行使容認」をめぐるジャーナリストF氏の「勘違い」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38728
2014年03月20日(木) 長谷川 幸洋「ニュースの深層」 現代ビジネス
ロシアのプーチン大統領がクリミア編入を宣言した。これに先立って、国連は安全保障理事会でクリミアの住民投票自体を無効とする決議案を採択しようとしたが、常任理事国であるロシアが拒否権を行使したために否決された。つまり、国連は無力だった。
■予測通りだった「国連の無力化」
私は3月6日公開のコラム「ロシアのクリミア侵攻は『ヒトラーのズデーテン侵攻』の繰り返し!?国連が機能しない"規律なき世界"はどこへ向かうのか」で、1番目のポイントして「国連の無力化」を指摘したが、ここまではその通りの展開である。
コラムで指摘した2番目のポイントは「中国への伝染効果」である。もしも武力の威嚇による「クリミア編入」が既成事実化してしまい、それに対して国際社会が事実上、何もできないなら、同じく「力による現状変更」をもくろむ中国が乱暴な行為に走る可能性は十分にある。
日本にとってクリミア危機が「対岸の火事」でないのは、北方領土返還交渉に影響があるからだけではない。もっと根本的には、ルール無視の行動が中国に伝染する可能性があるからだ。
北方領土問題はロシアが実効支配している地域を日本に返還するかどうか、という問題である。これに対して中国の脅威は日本の領土である尖閣諸島を奪われるかどうか、という問題だ。後者のほうが、はるかに深刻であるのは言うまでもない。
しかも中国はロシア同様、国連安保理の常任理事国である。ということは、中国が尖閣諸島の武力奪取に動いたとしても、今回同様、国連は実質的に機能しない。中国はあらゆる非難決議に拒否権を行使できるからだ。つまり、国連は頼りにならない。今回のクリミア侵攻は、中国にとって絶好のテストケースになっただろう。
■日本が「ウクライナ」にならないために
安保理が機能しないとなれば、日本はどうやって国を守るか。残された手段は国連憲章第51条に基づく「個別的または集団的自衛権の発動による自己防衛」しかない。条文は以下の通りだ。
『この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。』
もともと、第51条は安保理の機能マヒという事態を心配した南米の国々が要求して設けられた条項である。いま目にしている事態は、まさしくロシアの拒否権行使による安保理の機能マヒだ。
ウクライナは北大西洋条約機構(NATO)のような集団的自衛権に基づく地域的な集団防衛体制に加盟していない。だから国連が無力になると、もはや武力侵攻に対して自力で戦う以外になす術がない。それを見越してプーチンは動いたのである。
だが、日本は違う。日米安全保障条約に基づく日米同盟がある。中国に尖閣諸島を武力侵攻されたとき、安保理が中国の拒否権行使で機能しなくても、憲章第51条と日米安保条約に基づいて米国が集団的自衛権を発動してくれれば、日米で中国に対抗できる。
そんな日米同盟を強化する、さらに将来をにらんでアジア太平洋地域の集団防衛体制を考えるためにも、日本は集団的自衛権の行使を容認すべきだ、というのがコラムの3番目のポイントだった。
以上は当たり前だが1番目から3番目に至るまで、すべて私が考えたロジックである。ロシアがクリミアに侵攻したのは3月1日であり、4日目の5日夜に執筆し、翌6日に公表した。その後、12日付東京新聞の「私説」という署名コラムでも同じ趣旨を書いた。
■政府与党が喧伝するはずがない
先週のコラムでも書いたが、東京新聞は集団的自衛権の解釈見直しに反対する社説を書き続けてきたから、この私説コラムは読者の反響を呼んだ。一般読者だけでなく外部有識者による「新聞を読んで」という欄(16日付)でも取り上げられた。
その欄でジャーナリストのF氏は私の私説コラムについて、こう書いている。
『この論法は、このところ政府与党が喧伝するそのまんま。中国の出方には注意すべきだが、一足飛びに集団的自衛権とは乱暴だし、少なくとも東京新聞はそう主張してこなかった。まるで他紙の社説を読まされた気分である。』
いったい政府与党のだれが、私が主張したような「論法」を喧伝していたのか。初出を執筆した5日夜、あるいは私説コラムを書いた11日までの間に、私はそんな分析や意見を読んだことも聞いたこともない。それどころか、このコラムを書いている19日午後の時点でも、ない。デタラメを言ってもらっては困る。
もしも政府与党の要人が、私が指摘したような「国連の無力化」や「中国への伝染効果」あるいは日米同盟を飛び超えて「アジア太平洋地域の集団防衛体制の構築」を語っていたりしたら、大変だ。
政府は実質的に無力だと分かっていても、国連による事態の沈静化を選択肢から捨て去るわけにはいかない。安保理が機能しなくても、旧ソ連によるアフガニスタン侵攻(1979年)の際にしたように国連総会で非難決議を目指すのは可能である。
政府与党の要人が「ロシアの行為が中国に伝染するかもしれない」などと言えば、中国は猛反発するだろう。新たな日中の火種になるのは確実だから、そんなことを言うわけがない。
アジア太平洋地域の集団防衛体制も同じだ。クリミア侵攻を受けて、要人がそんな話をすれば大ニュースである。米国との調整抜きに言うわけもない。
■「言論の自由」の核心
私はジャーナリストであるから、こういう分析も意見も自由に言えるのだ。それが自立したジャーナリズムであり、私はそれこそが「言論の自由」の核心と信じている(私の主張は最新刊『2020年 新聞は生き残れるか』、講談社を参照)。
F氏はなぜ「政府与党の喧伝するそのまんま」などと言ったのだろうか。もしかしたら私が政府与党のだれかにロジックを吹きこまれて、それを宣伝する役割を担っていると思い込んでいるのかもしれない。実は似たようなことが、前にもあった。
それは田原総一朗が司会を務めている番組「激論!クロスファイア」に出演したときのことだ(2013年3月2日放送)。アベノミクス・第1の柱である金融緩和について、私が完全に賛成する立場で発言したら、田原は「やけに政府の提灯をもつじゃないか」と私を冷やかした。
私が「だって、私は金融緩和を10年間言い続けてきたんですから」と反論すると、同席していたゲストの菅義偉官房長官が「長谷川さんはずっと前から言い続けてきたんです」と応援してくれた。
菅は私の主張をずっと前から知っていた。それでつい、私は「私が言ってきたことを安倍さんが採用してくれたくらいに思ってますよ」と言った。
今回の国連無力化や中国伝染論、あるいはアジア太平洋の集団防衛論にも、あるいは政府与党内で賛成する人がいるかもしれない。与党どころか野党に賛成論があっても、おかしくない。集団的自衛権というのは、そもそも国連が一時的にも無力化したときに備えた文脈での議論なのだ。まさにいまの事態だ。
だから、結果的に政府与党と同じ議論になる可能性はあるが、それと「政府与党の喧伝するそのまんま」というのは、まったく違う。
F氏は自分自身が「政府与党あるいは野党から話を聞いて書くのがジャーナリスト」と思い込んでいるのではないか。だから「私もそうに違いない」と思ったかもしれない。残念ながら、私の仕事のスタイルはまったく違う。
私は重要な分かれ目になるようなときこそ、だれにも話を聞かず、完全に自分だけで判断してコラムを書く。そうでなければ、どうしても取材相手の立場に引きずられてしまって、自分の判断が歪んでしまうからだ。
話を聞こうと思えば、電話で聞ける要人はそれこそ総理を含めて、いくらもいる。だが、あえてそうしない。それは常日頃から相手に伝えている。
「申し訳ないけど、私は重要な話は自分で勝手に書くことにしているから、間違ったらごめんなさいね」と言ってある。それで「オレの話も聞いてくれ」と言った要人もいるくらいだ。
ついでに言えば、私の私説コラムについてF氏が「東京新聞はそう主張してこなかった」というのも「それがどうした」と言いたい。東京新聞の主張=社説と私の私説が違って、何か問題があるのか。ない。
同じ場合もあるし、違う場合もあるのが当然だ。いつも同じだったら、それこそ言論の自由がなく全体主義という話になってしまう。
こういう根本問題について勘違いしているようなジャーナリストには「新聞を読んで」という批評コラムを書く資格はない。 (文中敬称略)
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