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2014年03月20日
瀬木比呂志氏の書籍の宣伝をしておく。無論、広告費は貰っていない。久しぶりに、日本の司法制度を取り上げるが、たしかに、霞が関官僚機構を変えるよりも、日本の政治家の質を変えるよりも、裁判官の質を変える方が、市民の力が有効だと云う認識を強くした。以下に紹介する同氏の著書は一読以上の価値がある。まったく難解な専門用語も使わず、日本の絶望的裁判所の実態を暴いている。暴くだけなら、今までにも本はあったが、裁判所の主流を歩みに、その処方箋にまで言及している、当該著書は名著である。
「絶望の裁判所」 (講談社現代新書)著者:瀬木比呂志
本の表紙カバーによる著者の瀬木比呂志氏の経歴は以下の通り。
1954年名古屋市生まれ 東京大学法学部在学中に司法試験合格。1979年以降裁判官として、東京地裁、最高裁等に勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。2012年、明治大学法科大学院専任教授に転身。民事訴訟法等の講義と関連の演習を担当。著書に、『民事訴訟の本質と諸相』、『民事保全法(新訂版)』等多数の専門書のほかに、関根牧彦の筆名による『内的転向論』(思想の科学社)、『心を求めて』、『映画館の妖精』(ともに騒人社)、『対話としての読書』(判例タイムズ社)があり、文学、音楽(ロック、クラシック、ジャズ等)、映画、漫画については、専門分野に準じて詳しい。
表紙カバーの情報によると、“ 最高裁中枢の暗部を知る 元エリート裁判官 衝撃の告発 ”となっている。つまり、この本は、正真正銘のエリート裁判官の「内部告発本」だと言っていいだろう。末端裁判官の愚痴などを一切排除し、内部告発にとどまらず、その処方箋にまで論は伸びている。いかに、今まで、流行り言葉のようにマスメディアで踊りまくっていた「司法制度改革」が官僚司法制度の掌で弄ばれていたかが、明白になる。カバー帯の言葉にあるように、“ 裁判所の門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ! ”と云う過激な言葉に象徴される。たった税別760円で、このような本に出逢うことは、幸運である。
この本の帯には、講談社がこの本に掛けた情熱のようなものが表れている。もう少し紹介しておこう。“一人の学者裁判官が目撃した司法荒廃、崩壊の黙示録!”となり、以下のように続く。“最高裁判事と調査官の合同昼食会の席上、ある最高裁裁判官が、突然大声を上げた。「実は俺の家の押入れにはブルーパージ(大規模な左派裁判官排除、思想統制工作、最高裁の歴史における恥部の一つ)関係の資料が山のようにあるんだ。一つの押入れに一杯さ。どうやって処分しようかなあ?」。すると、「俺も」、「俺もだ」と他の二人の最高裁判事から声が上がり、昼食会の会場は静まりかえった。こうした半ば公の席上で、六人の裁判官出身判事のうち三人もが、恥ずかしげもなく、むしろ自慢気に前記ののような行ったことに、他のメンバーはショックを受けていた。
ちなみに本の目次を列挙しておこう。目次を読むことで、ほぼ瀬木氏が、どこに目をつけ、どこを突くことで、どのような改革が、我々の政治シーンや生活シーンや経済的な営みに影響を及ぼすか、理解の一助となるであろう。
はしがき 絶望の裁判所 この門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ。 ダンテ『神曲』地獄篇第三歌
第1章 私が裁判官をやめた理由(わけ)
―自由主義者、学者まで排除する組織の構造―
*一部抜粋 最高裁事務総局で感じた違和感 判決内容の事前リーク 転身に関するいやがらせと早期退職強要
第2章 最高裁判事の隠された素顔
―表の顔と裏の顔を巧みに使い分ける権謀術数の策士たち―
*一部抜粋 よい裁判官は最高裁には入れない 刑事系裁判官の逆襲と大規模情実人事
第3章 「檻」の中の裁判官たち
―精神的「収容所群島」の囚人たち―
*一部抜粋 事務総局中心体制―上命下服 上意下達のヒエラルキー 人事による統制とラットレース 人事評価の二重帳簿システム 司法研修所という人事局出先機関 取材統制と報道コントロール 裁判所の官僚化の歴史とその完成
第4章 誰のため、何のための裁判?
―あなたの権利と自由を守らない日本の裁判所―
*一部抜粋 統治と支配の根幹はアンタッチャブル 和解の強要 新しい判断をきらう裁判官たち 裁判員制度から陪審員制度への移行の必要性 「裁判官多忙」の神話
第5章 心の歪んだ人々
―裁判官の不祥事とハラスメント、裁判官の精神構造とその病理―
省略
第6章 今こそ司法を国民、市民のものに
―司法制度改革の悪用と法曹一元化実現化の必要性―
* 一部抜粋 日本のキャリアシステムの非民主性 裁判官の能力低下傾向 優秀な裁判官の離散傾向 司法制度改革を無効化し悪用した事務総局解体の必要性 憲法裁判所の可能性
あとがき―――不可能を可能にするために―――
以下は筆者注:この本の目的は、日本人への三権分立を謳った民主主義制度の真実を知り、どのようにすべきか、考えて貰おうという著者渾身の啓蒙書だと思う。新書のかたちを選択したのは、少しでも多くの読者に読んでもらいたい、情熱が込められているのだろう。著者は、ビデオニュース・ドットコムに出演、神保と宮台相手に、その意を語っていた。彼の発言の中に、(本の中にあるかないか判らないが)多くの裁判官は、抽象的な誹謗中傷には、なんら痛痒を持たないが、判決の論旨について、固有名詞で俎上に乗せられ、厳しい評価をされることに敏感である。なぜなら、彼らは「正義」の体現者だという衣に守られていると信じているからだ。
*参考:現代ビジネス:メディアと教養
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38171
このような市民からの論理性のある糾弾或は評価は、思いのほかダメージがある。現在の事務総局中心の裁判統制は、立法や行政にとって打ち砕くことは困難である。仮に、この堅固なシステムを突き崩す力があるとするなら、それは管理されているマスメディアではないメディアによって行われるだろうし、上質なネット言論によって行うことは可能だと信じている、と語っていた。無論、瀬木氏の願望も含まれるだろうが、筆者も同意できる。劣化するばかりの政治家(立法)と200年近い歳月をかけて構築された行政機構(行政)を改革するよりも、司法が、最も改革しやすいカテゴリーにある。
なぜなら、司法を司る裁判官が自らを変えていかざるを得ない世論を最も気にしている人種だからである。裁判官たちは、自分たちを“多少冷たいけれども公正、中立、廉直で優秀。融通はきかなくても、誠実で筋は通す。彼らによって「正義のジャッジ」は行われていると信じている国民が大多数だと、と思い込んでいる。この「原発神話」のような幻想を信じて疑わないのが、日本の裁判官である。つまり、彼らのレゾンデートルは、大多数の国民から、信じられ、敬われている、と思い込んでいることだ。この「神話」を突きまくれば、彼らの危うい幻想は破壊される。
本来、組織内での自浄作用と云うものが働けば良いのだが、官僚組織になってしまった彼らに、自浄作用を求めても無理である。約3700人の裁判官に、彼らの判決を評価する機能を持つことは、民主的司法において不可欠だ。日本に、このような制度はないが、アメリカにはある。第三者の目に晒される判事たちは、「公正、中立、廉直、誠実」等々をチェックされるとなると、判例に背く判決も生まれるし、事務総局の力も半減する。これを、弁護士グループに任せれば良いのだが、判事、検事、弁護士と云う棲み分けが、この作業を阻んでいる。
瀬木氏は、法曹一元化によって、一定の悪癖は変えられるし、上述のような判決への評価組織も機能するだろうと読む。裁判官が3700人、検察官が2600人、弁護士が3万人。たった3万7千人の資格者を入れ替えることで、「公正、中立、廉直、誠実」な司法が実現する可能性は大いにある。しかし、それがいつ起きるか、待ちの姿勢ではなく、攻めの姿勢を打ち出さなければならない。そういう意味で、統制されていないメディアやネット言論には、日本の司法を根本的に変えさせる、機能を潜在的に有していると云う。
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