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3月8日、サッカーJ1浦和vs鳥栖戦が開催された埼玉スタジアムのコンコース内にある横断幕が掲示された。
横断幕は、最も熱心なサポーターが集うことで知られるゴール裏への通路である209という番号のついたゲートに掲示されていた。写真を見たい人は、「浦和 JAPANESE ONLY 横断幕」ぐらいなキーワードで画像検索すれば抽出されるはずなので、確認してみてほしい。
横断幕には「JAPANESE ONLY」(←「日本人以外入場お断り」ということ)という文字が大書されていた。
すぐ隣には大きな日章旗が並列されており、その二つのワンセットの垂れ幕は、大人ならアタマを下げないとぐぐり抜けられない高さに、ちょうど暖簾(のれん)のようなカタチで設置された。
で、その二つの垂れ幕をくぐりぬけた先には、大きな旭日旗が、スタジアム席の鉄柵を覆うように広げられている。
こうしてくどくどとゲートの風景を描写しているのは、その日のその場所の景色を、なるべく具体的に思い浮かべてほしいからだ。
私は、ツイッターに流れてきたこの209ゲートの画像をひと目見た時
「ああ」
と思った。
「これは、大変なことになるぞ」
と。
垂れ幕が深刻なレイシズムの発露であることは、0.5秒で理解できた。
自分の敏感さを誇っているのではない。
多少ともサッカーに関わっている人間で、あの画像を見て、1秒以内に「真意」を理解できなかった人間は、職業人として使いものにならない。このことは、ぜひ力をこめて断言しておきたい。それほど、あれは、ヤバいブツだった。
ところが、この掲示の意味を即座に理解できなかった人たちがいる。
それも、ほかならぬクラブの関係者の中にそういう人間がいたようなのだ。
伝えられているところによると、浦和レッズの運営担当者は、試合当日、複数の観客から、当該横断幕が不適切な内容を含んでいる旨の指摘を受けて、その場で、掲示したサポーターグループの人間と話し合いをしたのだそうだ。
で、結果として、クラブ側は(公式HPの説明するところによれば)、18時04分に、横断幕を撤去している。
18時04分というのは、当日のゲームが16時04分キックオフであった点から起算すると、試合終了後約20分後ぐらいのタイミングに相当する。
とすると、これは、「撤去しました」というスジのお話ではない。
起こっていたことを、ありのままに描写するなら、
「試合が終了して、ほぼすべての観客が退場するまで掲示し続けていました」
ということだ。
文体の底意地の悪さに辟易している読者がいるかもしれない。
たしかに、私はいま、かなりいやみったらしい書き方で浦和レッズ運営の不手際を揶揄している。でも、そうするにはそうするだけの理由があるわけで、私は、クラブの対応に、失望しているのだ。
数万人が詰めかける観客席の中に、アタマのおかしい人間が座っているリスクをゼロにすることは、誰にもできない。
大きな人間の集団には、必ず一定数の愚者が含まれている。
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その意味では、ゴール裏のサポ席の一部にひとまとまりのならず者が座を占めていることは、スタジアムに通う人間の間では先刻承知の常識だったわけだし、私自身、ゴール裏に蟠踞している不穏な人々が事件を起こしたことそのものについては、
「やっぱりな」
程度にしか感じていない。
6万席以上あるスタジアムの観客席を、紳士淑女だけで埋め尽くすことはできない。
というよりも、実態に即したものの言い方をするなら、賢明な紳士は、そもそもサッカー場のチケットのようなものは買わないものなのだ。
ということはつまり、このたびの出来事は、驚天動地の変事が突発的に惹起せられたというよりは、これまでにも日常的に繰り返されていた愚劣な示威行為が、ある臨界点を超えて、非サッカーファンの目にも見えるカタチで表面化してしまったということなのであって、昨年来繰り返されてきたサポーターのチンピラ行為の数々を勘案すれば、今回の事態は、ずっと前から、十分にその発生を予期できたはずのアクシデントだったのである。
だからこそ、クラブが、あの横断幕を即座に撤去できなかったことの罪は、非常に重い。
世界のサッカーの潮流に鈍感であって良いはずのない、スタジアムの安全とチームの健全さを担保する最後の防衛ラインであるクラブ職員が、あの、明らかに差別的でどこからどう見てもチームの名誉と観客の安寧を毀損している横断幕を、自分の目で確認していながら、試合終了まで撤去することができなかったということは、寿司屋の板前が、ハエの乗った寿司を、ハエごと握って客に供したのと同様の、取り返しのつかない失態と申し上げねばならない。
どうしてこんなことが起こってしまったのだろうか。
クラブ関係者が、横断幕の真意を理解できなかった。
クラブ関係者が、横断幕を掲示した側の人間たちと同様の思想を抱いていた。
クラブ関係者が、威圧的なサポーター集団の威圧にひるんで、対応を遅らせた。
ざっと考えて、可能性は以上の3つぐらいだろう。
ちなみに、各ケースの問題点を以下に列挙しておく。
底知れぬ鈍感さ。無能の極み。狛犬以下。
前代未聞のレイシストサッカークラブ。
腰抜け。
正解は、たぶん3番だろう。
状況は、まあ、理解できないでもない。
実際に直面してみればわかるが、ゴール裏に集まるコア・サポーターと呼ばれる集団は、露骨に威圧的な小集団を含んでいて、その彼らは、普段はいざしらず、少なくとも、試合中は、興奮していて手のつけられない人々であるからだ。
以下は、私の邪推なのだが、前々から思っていたことなので書いてしまうことにする。
思ったことを書かずにいると吐き気がするので。
私のようなバックスタンドのファン(←ヌルい観客ということ)の目から見ると、コアサポと呼ばれる最も過激なサポーターの間には、「興奮して手が付けられなくなること」をもって「クラブ愛」の証と見なすような、一種倒錯した美意識が共有されていて、それゆえ、少なくとも彼らの中では、極端な愚行に及ぶほど地位が高くなるみたいな困った序列が形成されているように見える。
おそらく、こういうことを書くと、
「二度とスタジアムに来るな」
という感じのメールが届くことになる。以前にも届いたのだ。コアサポとニワカファンの間にある隙間風についてあるところに原稿を書いたところ、何人かのコアサポから、脅迫まがいのメールが到来した。これは防げないことだ。
彼らの中では、「コラムニストを脅迫するほどチームに入れあげている」ということが、何かの証明になるのだと思う。
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だから、クラブの職員が、彼らとの交渉にひるんだ気持ちはとてもよくわかる。
私自身のことを言えば、彼らとは、口をきくことさえ遠慮したいと思っている。
スタジアムで見かけた時には、目を合わせることすらしない。
「いいか。あいつらはマントヒヒとおんなじで、目が合ったら飛びかかってくるんだから、とにかくそっちの方を見ちゃだめだぞ」
と、中学生の時、体操部の先輩に◯◯区の不良とすれ違った時の振る舞い方を教えこまれて以来の、著しくチキンな対処法をもって、彼らに対峙している。
そんなわけで、あの連中と交渉せねばならなかったクラブ職員の苦境は理解してさしあげることにする。
でも、それでも、高望みをするようだが、一浦和レッズのファンとして、私は、クラブの名誉を守る立場の運営側職員には、できれば、囲まれて袋叩きに遭うリスクを乗り越えて、即座に横断幕を撤去する決断をしてほしかった。鼻血ぐらいは出すことになったかもしれないが、そもそも私たちのクラブのチームカラーは、その鼻血の色から来ているのだからして。
さて、クラブもだが、メディアも腰抜けだった。
共同通信は、試合当日、
「浦和の本拠地でゲートに差別的横断幕か」
という見出しで、以下のような記事(こちら)を配信した。
記事は、
「『日本人以外お断り』との差別的な意味にも取れる可能性があるため、クラブのスタッフが要請して横断幕は外されたという。」
と、クラブの説明をそのまま伝聞のカタチで伝えている。
横断幕が「差別的な意味にも受け取れる」というクラブ側のどうにもヌルい認識を、そのまま書き写している点がどうにもヌルい。
横断幕が試合終了まで掲示されていたことを取材した様子もなく、クラブ側の説明のみをソースに、「横断幕は撤去されたという」と、モロな御用聞きの姿で記事を書いた姿勢が、はなはだしくヌルい。
記事の末尾を、横断幕の解釈についての「日本人でJリーグを盛り上げようという意味だと思う」「チームが外国人選手による補強に力を入れないことへの皮肉では」というサポーターの声にゆだねている点が、果てしなくヌルい。
だが、ヌルい文章だったとはいえ、記事を書いただけでも、共同通信は偉かったのかもしれない。
というのも、スポーツ新聞各社ならびに、一般紙は、8日の段階では、共同電をそのまま自社記事として配信するのみで、独自の記事を書かなかったからだ。
記者は、現場にいたはずだ。当日の鳥栖戦は、ザッケローニ日本代表監督が観戦していたこともあって、各社とも、それなりの体制で取材していたはずだ。
が、彼らは、自分のペンで記事を書かなかった。
なぜか。
おそらく、事件を大きくしたくなかったからだ。
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私は、記者が記事を書かなかった理由について、当日のツイッターで、
浦和レッズとマズい関係になりたくなかったんだろうな。
サポ集団がこわかったのだろうか。
といった感じの書き込みを放流したが、これは、正確な観察ではない。どちらかといえば、意地悪で言ったことだ。
本当のところは、サッカー界のインサイダーの記者さんたちは、
「この事件を大げさに騒ぎ立てることは、サッカー界のためにならない」
という判断を下していたのだと思う。
記事を書いた共同通信の記者も、あの横断幕が、「日本人だけでJリーグを盛り上げよう」という意味だと考えるほど間抜けではなかったはずだ。
ただ、彼らは、
「人数にしてみれば、サッカーファンの0.1パーセントにも満たない、たった数人の愚か者のやらかした事件で、サッカー界全体が指弾される事態は、当面、避けておいた方が良い」
と判断したのだと思う。
唯一記事を書いたのが、共同通信という、サッカーマスコミにとっては、半ばアウトサイダーの位置にいる記者だったこともこのことを物語っている。
インサイダーの判断は、いつもこんな調子のところに落ち着く。
仮に差別を糾弾する記事を書いたサッカー記者がいたら、彼は、「空気を読めないヤツ」(←だって、彼の記事で被害を受けるのは、差別をした人間じゃなくて、サッカーそのものだから)という感じの扱いを受けたはずだ。
いや、これは、私の憶測に過ぎない。
でも、そんなに外れていないと思う。
インサイダーは、愛するものを守ると言いながら、その実、自分の身を守っている。
というのも、インサイダーにとって、自分が帰属する集団は、自己利益そのものだからだ。
私自身、今回の出来事が世界に配信され、非サッカーファンの目に触れ、サッカーそのものが一般の人々に失望を与える結果になったことは、非常にマズい展開だったと思っている。
とはいえ、その一方で、これは、いつか直面せねばなければならなかった事態なのだとも考えている。
1990年代からスタジアムに通っている私の素朴な実感では、Jリーグの公式戦に集まる観客の風儀は、徐々にではあるが確実に悪化している。
女性客や子供の観客が減って、全体に観客席がおっさん化しているということ(←特にレッズは観客の年齢層が高いと思う)もあるが、威圧的なサポがその存在感を増していることが、一般客を遠ざけていると思う。
世界中どこでもそうだが、都市のスタジアムは、ならず者を誘引する機能を備えている。というのも、数十人なり数百人なりの一定のまとまりを持った男たちが一同に会する場所として、サッカー場の自由席は、あらゆる点で、好都合な空間だからだ。それゆえ、運営をしくじったスタジアムは、政治的、宗教的、民族的、性的、商業的な同一性を求めて集まる、厄介な連中の集合所に利用されてしまう。
そうならないために、今回は、厳しい処分を……と書いていたら、どうやら、処分が発表されたようだ(こちら)。
厳しい処分だが、私は妥当だと思う。
リーグは、次の試合に間に合うように、正しい決断をしたと思う。
この点には、敬意を表しておきたい。
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事件発生以来、横断幕についてあれこれツイートした私のツイッターの@欄には、案の定、かなりの数の罵倒のツイートが届いた。
それらのツイートを見ていてひとつ気づいたことがある。
レイシズムの横断幕を擁護している人々は、必ずしも自分たちが、他者や他民族を「攻撃」をしているというふうには考えていないということだ。
「人種や国籍で人を差別するなんてとんでもない」
と思っている人は、差別をする人間は、邪悪で、残酷で、他人の苦しみを見ることで快感を得るタイプのとんでもない冷血漢だと思っているかもしれない。
私も、大筋では、そう思っていた。
しかしながら、差別を擁護する人たちのタイムラインを見に行ってみて目につくのは、嗜虐の喜びや、残酷さや、邪悪さよりも、むしろ、被害感情であり、義憤であり、正義の感情だったりする。
つまり、自覚としては、彼らは、「いつもいつも敵に攻撃され続けていることに堪忍袋の緒が切れただけで、本当は自分だって、こんなことは言いたくないんだ」ぐらいに思っているということだ。
この感情に、どう対応したら良いのだろうか。
私は、まだ、答を見つけられていない。
差別的な横断幕がスタジアムに掲げられた同じ3月8日の夕方、さる知り合いから、一冊の本が届けられた。
『九月、東京の路上で』
というのがその書籍のタイトルだ。
1923年の9月、関東大震災の混乱の中、東京をはじめとする各地で展開された、朝鮮人虐殺の記録を追ったノンフィクションだ。
これを見ると、虐殺に加担した人々は、必ずしも差別意識に凝り固まった残酷なならず者ではない。
一般の、市井に暮らす、普段は温厚な市民が、被害者意識と正義の感情と集団のもたらす熱狂に駆られて、隣人を虐殺したということが、子供たちの作文や、警察署の資料や、生き残った人たちの証言から、浮かび上がってくる。
今回の事案に心を動かされた人は、ぜひ読んでみてほしい。
横断幕の向こう側に広がっている風景を、垣間見ることができるはずだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20140313/261077/?n_cid=nbpnbo_rank_y
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レイシストによく見うけられる特徴がある。そういう層に属する者には、「被害者意識」だけは過剰なほど旺盛だが、「加害者意識」がスッポリと抜け落ちているということだことだ。盗みを働いたものが、「俺は悪くない、悪いのは俺を批判するほうだ」と言っているのと少し似ている。「悪いことをした」と謝罪した舌の根も乾かぬうちにそれを反故にする問題発言を行なう。これの繰り返しがここ何十年も繰り返されている。そういう姿勢が批判されているのに、「何度も謝っているのになぜ何度も批判されなけらばならないんだ」などど間の抜けたことを言っている。
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