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った(リベラル21)
2014.03.12 大阪出直し市長選は予想以上の低調さだ、選挙争点は「大阪都構想」の是非から「選挙そのもの」の是非に移った
〜 関西から(133)〜
大阪出直し市長選は、橋下維新と各政党との戦いではなく橋下維新と世論(大阪市民)との戦いになった――と前回書いた。意味するところは、この選挙が橋下氏の いうような大阪都構想に対する「民意」を問う選挙ではなく、選挙そのものの「大義」を問う選挙になるというものだ。3月9日の告示日以降の選挙風景がそのことを余すところなく証明している。
今回の出直し市長選に対するマスメディアの基本的なスタンスは、一方では選挙の無意味さを指摘しながら、他方では対立候補を立てない主要政党の「不甲斐なさ」を批判するというものだ。各党は大義のない選挙だから相手にしないと言っているが、本音は対立候補を立てても橋下氏には勝てないから選挙を見送るのだろう、との穿った見立てである。要するに 「どっちもどっち」という高見見物の立場から正論を避け、今回の選挙の本質を曖昧にする論調であり、このスタンスは今も変わっていな い。
始末が悪いのは、このようなマスメディアの論調に性懲りもなく呼応する学識経験者が多数いることだ。各紙からコメントを求められるには迎合することが条件なのか、若手政治学者のなかにも「双方とも危うい戦術」「痛み分けの選挙」といった中途半端な論評をする人物があちこちにいるのだから恐れ入る。政治の劣化とともに政治学の劣化までも同時進行しているのか、実に嘆かわしいことだ。
しかし事実を覆い隠すことはできないし、事実が真実に転化することを妨げることもできない。告示日以降の選挙情勢ははやくも今回の選挙の真実(本質)を浮かび上がらせている。それを象徴するのが、告示日当日の午後、市内一円に立てられた選挙用掲示板に「たった1枚」のポスターしか貼られていないという光景だろう。市選管は当初、無投票選挙あるいは少数立候補しか考えず数名分の掲示板しか準備していなかった。それが説明会に13陣営が出席したことから急きょ12名分の掲示板に切り換えたにもかかわらず、結果は11名分のスペースが無駄になった。この「スカスカ」の掲示板が何よりも今回の選挙の無意味さを市民に訴えているではないか。
私自身も告示日直前に大阪維新の会の街宣活動を観察したが、その有様はこれまでの光景とは一変したものだった。京阪電車とJRが交差する大阪のターミナル駅(京橋駅)広場で、夕方、超大型のテレビを積んだトラックが横付けになり、大音響で「大阪都構想」の画面を流して街宣活動を開始した。だが大画面・大音響の大宣伝にもかかわらず、周囲の人だかりは余りにも少ない。「人だかり」というよりは「人まばら」と言った方がよく、ざっと数えても20人程度しかいない。それに加えて、 運動員がチラシを配っていたが誰も取ろうとしない(受け取ったのは20人に1人程度、私は資料として積極的に受け取った)。京阪とJRの連絡口であるこの広場は、大量の人が行き来する場所である。ビラやチラシを撒くには絶好の場所なのに、ほとんど捌(さば)けないのである。
動員されている議員らしき人物や運動員の若者たちの表情も気になった。堺市長選のときは、全国から総動員された地方議員たちが集団になって街頭演説していた。後に「兵隊型選挙」と総括されるほど強引な動員だったらしいが、それでも一応は選挙運動らしい選挙運動をしていた。ところが今回は「本番前」ということかもしれないが、彼らにはまるで「やる気」「その気」が見られな い。いったいどうしてなのか。告示日直前といえば臨戦態勢に入っていなければおかしいのに、そんな気配が微塵(みじん)も感じられない。 彼らの多くは片手でビラが入った買物袋を持ち、もう一方の手でロボットのようにビラを差し出しているだけだ。両手でビラを掴んで必死で渡 そうとしなければ受け取ってくれないのに、通行人の流れの中に突っ立っているだけなのである。
出直し市長選の事前の模様を伝える各紙の報道でも、今回の選 挙は運動員の間に厭戦気分が蔓延していると 指摘している。これまでの維新の行動力(破壊力)の凄まじさをよく知っている私には到底信じられない話だったが、しかし目の前でその有様 を見せつけられると、あながち穿ち過ぎた観測だとは思えなくなってくる。橋下維新の生命力である若い運動員たちの表情が何よりも維新の凋 落ぶりを物語っているからだ。
目下のところ、選挙の投票率 がどれほどになるかはわからない。 世評では過去最低投票率28.5%を上回るかどうかが分かれ目だと言うが、いまのところ予想するには早すぎる。しかしはっきりと言えるこ とは、今回の出直し市長選は当落そのものよりも投票率や得票率に“民意”があらわれるということだ。そして今回の選挙を機に橋下維新の凋 落が決定的となり、これまで辛うじて維持してきた「橋下支持>不支持」と「大阪都構想賛成>反対」の世論調査比率が逆転するだろうという ことである。
言い換えれば、出直し市長選を境にして橋下氏・維新の政治的 影響力は劇的に失墜し、来年11月のダブル 首長選の前に橋下市長の辞職もあり得るということだ。それも橋下氏が言明するところの大阪都構想への民意を問うための再辞職ではなくて、 大阪都構想を断念して大阪政界から身を退くための辞職の公算が大きい。反橋下派は早くもその時に備えて本格的な市長選の準備を始めている と聞く。次回も引き続き選挙風景を報告する。
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-2715.html大阪出直し市長選は、橋下維新と各政党との戦いではなく橋下維新と世論(大阪市民)との戦いになった――と前回書いた。意味するところは、この選挙が橋下氏の いうような大阪都構想に対する「民意」を問う選挙ではなく、選挙そのものの「大義」を問う選挙になるというものだ。3月9日の告示日以降の選挙風景がそのことを余すところなく証明している。
今回の出直し市長選に対するマスメディアの基本的なスタンスは、一方では選挙の無意味さを指摘しながら、他方では対立候補を立てない主要政党の「不甲斐なさ」を批判するというものだ。各党は大義のない選挙だから相手にしないと言っているが、本音は対立候補を立てても橋下氏には勝てないから選挙を見送るのだろう、との穿った見立てである。要するに 「どっちもどっち」という高見見物の立場から正論を避け、今回の選挙の本質を曖昧にする論調であり、このスタンスは今も変わっていな い。
始末が悪いのは、このようなマスメディアの論調に性懲りもなく呼応する学識経験者が多数いることだ。各紙からコメントを求められるには迎合することが条件なのか、若手政治学者のなかにも「双方とも危うい戦術」「痛み分けの選挙」といった中途半端な論評をする人物があちこちにいるのだから恐れ入る。政治の劣化とともに政治学の劣化までも同時進行しているのか、実に嘆かわしいことだ。
しかし事実を覆い隠すことはできないし、事実が真実に転化することを妨げることもできない。告示日以降の選挙情勢ははやくも今回の選挙の真実(本質)を浮かび上がらせている。それを象徴するのが、告示日当日の午後、市内一円に立てられた選挙用掲示板に「たった1枚」のポスターしか貼られていないという光景だろう。市選管は当初、無投票選挙あるいは少数立候補しか考えず数名分の掲示板しか準備していなかった。それが説明会に13陣営が出席したことから急きょ12名分の掲示板に切り換えたにもかかわらず、結果は11名分のスペースが無駄になった。この「スカスカ」の掲示板が何よりも今回の選挙の無意味さを市民に訴えているではないか。
私自身も告示日直前に大阪維新の会の街宣活動を観察したが、その有様はこれまでの光景とは一変したものだった。京阪電車とJRが交差する大阪のターミナル駅(京橋駅)広場で、夕方、超大型のテレビを積んだトラックが横付けになり、大音響で「大阪都構想」の画面を流して街宣活動を開始した。だが大画面・大音響の大宣伝にもかかわらず、周囲の人だかりは余りにも少ない。「人だかり」というよりは「人まばら」と言った方がよく、ざっと数えても20人程度しかいない。それに加えて、 運動員がチラシを配っていたが誰も取ろうとしない(受け取ったのは20人に1人程度、私は資料として積極的に受け取った)。京阪とJRの連絡口であるこの広場は、大量の人が行き来する場所である。ビラやチラシを撒くには絶好の場所なのに、ほとんど捌(さば)けないのである。
動員されている議員らしき人物や運動員の若者たちの表情も気になった。堺市長選のときは、全国から総動員された地方議員たちが集団になって街頭演説していた。後に「兵隊型選挙」と総括されるほど強引な動員だったらしいが、それでも一応は選挙運動らしい選挙運動をしていた。ところが今回は「本番前」ということかもしれないが、彼らにはまるで「やる気」「その気」が見られな い。いったいどうしてなのか。告示日直前といえば臨戦態勢に入っていなければおかしいのに、そんな気配が微塵(みじん)も感じられない。 彼らの多くは片手でビラが入った買物袋を持ち、もう一方の手でロボットのようにビラを差し出しているだけだ。両手でビラを掴んで必死で渡 そうとしなければ受け取ってくれないのに、通行人の流れの中に突っ立っているだけなのである。
出直し市長選の事前の模様を伝える各紙の報道でも、今回の選 挙は運動員の間に厭戦気分が蔓延していると 指摘している。これまでの維新の行動力(破壊力)の凄まじさをよく知っている私には到底信じられない話だったが、しかし目の前でその有様 を見せつけられると、あながち穿ち過ぎた観測だとは思えなくなってくる。橋下維新の生命力である若い運動員たちの表情が何よりも維新の凋 落ぶりを物語っているからだ。
目下のところ、選挙の投票率 がどれほどになるかはわからない。 世評では過去最低投票率28.5%を上回るかどうかが分かれ目だと言うが、いまのところ予想するには早すぎる。しかしはっきりと言えるこ とは、今回の出直し市長選は当落そのものよりも投票率や得票率に“民意”があらわれるということだ。そして今回の選挙を機に橋下維新の凋 落が決定的となり、これまで辛うじて維持してきた「橋下支持>不支持」と「大阪都構想賛成>反対」の世論調査比率が逆転するだろうという ことである。
言い換えれば、出直し市長選を境にして橋下氏・維新の政治的 影響力は劇的に失墜し、来年11月のダブル 首長選の前に橋下市長の辞職もあり得るということだ。それも橋下氏が言明するところの大阪都構想への民意を問うための再辞職ではなくて、 大阪都構想を断念して大阪政界から身を退くための辞職の公算が大きい。反橋下派は早くもその時に備えて本格的な市長選の準備を始めている と聞く。次回も引き続き選挙風景を報告する。
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