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2014年03月06日
国内政治を久々に覗いてみたが、どうでも良いような記事に埋められていた。どうでも良いとは言い過ぎだが、安倍晋三に国会を牛耳られている以上、無残な不幸が国民に降り注がないように、祈っておく位のもので、これと云って影響力が及ぶような事柄は少ない。こういう時は、世界情勢とか、社会哲学的問題に目を向けておいた方が、精神衛生上断然いい。そんな思考経路なので、多くの方から賛同を得られそうもないコラムを連続で書いている。今夜も、ウクライナ情勢含みの話なので、人々の興味は惹かないであろうことは百も承知だ。しかし、否でも応でも、グローバリズムの世界に引き込まれているのだから、それなりに興味を持つのが妥当だと思うが、日本人は、そのように思考経路が進捗しないようである。
今回のウクライナ騒動を通じて判明したことは、国運をかけて国際社会でプレゼンスを発揮できる国家指導者は、ロシアのプーチン大統領だけだ、と云う事実を再認識しただけだ。もし、もう一人国際的リーダー挙げよと云う設問であれば、メルケル首相と答える。色んな反発も承知で断言すれば、国際的基準値に達している指導者は、プーチンとメルケルの二人とは、何ともお寒い状況であるが、これは不都合で、不自由な現実だ。まぁ日本人にしても、西側一辺倒な報道だけ聞かされてしまえば、ああ、俺たちには関係ないね、と思うのも当然だ。
あれほど、ロシアのプーチンと、個人的コミュニケーションを盛りだくさん蓄積出来た、と自慢たらたらな安倍晋三が、プーチンに電話の出来ない、しない状況など、絶対に考えられないことである。ここは、プーチンに貸を作れる絶好の機会だし、習近平に仲介者を任せるのではなく、自ら仲介者に名乗りをあげるくらいのパフォーマンスをすべき時なのである。最大の悪手となった靖国参拝が出来る無謀さを持っているのだから、プーチンに電話する程度の冒険心は、あってしかるべきだ。糞くらえ、根性ナシ!お前さんは“強い国”の最高権力者だろうが(笑)。
まぁ、馬の耳に念仏のような話はこのくらいで切り上げよう。だいたいウクライナ騒動の結末は見えてきたのは事実だ。オバマは口先介入を繰り返すだけで、これ以上のことは出来そうもない。これ以上、ウクライナに肩入れすると、共和党マケインの罠に嵌るも同然なので、当たり障りのない口先介入と、僅かな提供金(たかだか1千億円)の提供と、国際世論喚起活動の継続くらいのものである。EU(メルケル)が1兆円以上の資金提供を決断したのに比べれば判るように、ウクライナ問題は、アメリカ国民の国益だと、直ちに宣言できる要素が欠けているのだから、オバマの姿勢は妥当な判断ともいえる。
その点に、最も不満があるのが世界金融勢力であり、西側各国の軍産複合企業群である。そういう意味で、WSJやフィナンシャル・タイムズや日本経済新聞のコラムには、オバマのプレゼンスのなさや弱腰に苛立つモノが多数掲載されている。ほとんど、煽りに近いコラムで、読んでいて、戦争をやっちまえ的論調で、田母神支持者と同じレベルに達したコラムが連日報道されている。
そうそう、もう少しで本日の見出し「国内問題にしか目が向かない日本人 日本のグローバル思考は永遠に閉ざされる」について、書き忘れるところだった。今夜は冷たい強風が吹き荒れているようなので、手短に筆者の日本人観についてだけ語っておく。無論、数行で説明は不可能なので、事例を交え、結論を述べておく。小室直樹や岡倉天心が主張する世界へのアジア文化の発信を否定するつもりはないのだが、筆者の場合、他のアジア諸国に比して、日本は独特な文化の成立過程と要素を持っているのではないかと考えている。
小室が主張したように、日本は近代国家にあらずなわけだが、小室や岡倉は西洋のキリスト教における勤勉と、日本の勤勉は共通点があったので、近代資本主義が、明治維新以降無理なく導入させることが出来た。ここまでは、筆者も同感である。しかし、その原理原則までは親和性があったのだが、その応用編になると、突如として日本人の行動は奇妙な塩梅になり、方向性を失うのである。ここに、筆者は日本人の特性を見るのである。
その特性を、竹村公太郎氏の著書で確認し、自分の想像が正しかったことを認識した。想像以上に、日本人の血脈と日本の地形は、並々ならぬ関係があることが、竹村氏の著書で理解できた。やはり、日本人は根っから近代国家になるべきではなかったし、資本主義の鬼になることは出来なかったわけだが、当然なのである。日本人は、お天道さまの成り行きひとつで、自分たちの生きざまを変幻自在に変えてゆく民族であり、それが非常に心地のいい棲家を入手できる民族だと、今さらながら確認した。
日本がここまでスンナリと中央集権に馴染んだのは江戸時代の徳川幕府藩体制の名残だと考えている。明治維新が日本近代化の夜明けであり、その歴史的行為こそが、現代では持て囃されているわけだが、筆者は、そこが間違いだった、と指摘したい。19世紀、その時代は欧米列強国家による植民地化が隆盛を極めている時代である。当然だが、最後の植民地とすべく、欧米列強国家は日本を目指した。その当時、日本を植民地化しようと試みた。圧倒的軍事力を武器にした欧米軍が、日本を植民地にするのは時間の問題と云うレベルに達していた。
しかし、現実はそうはならなかった。下関戦争で長州が善戦した事実はあるが、そのような一戦で日本が植民地を逃れたわけではない。いや、日本の武士の戦いに怖れをなしたに違いない、と思いたいところだが違う。日本と云う国には山があり、山道は曲がりくねり、急峻で道々は視野の邪魔になる雑木が茂っていた。ゲリラ戦にはもってこいの地形なのである。その上、日本列島には、常に山を背にする防御性の強い山脈があり、その山脈から、川が何本も流れており、各地点を分割統治出来る地形を有していた。一括統治に慣れ親しんだ欧米列強にとって、好ましい植民地の地形を有していなかった。
日本と云う国家の国土は、まさにこのような地形が各地に点在していることに彼らは気づいた。その上、日本と云う国には、彼らが植民地化でえられるゲインとなる主産物が乏しかった。つまり、彼らの目から、日本と云う国は貧乏に見えたのだ。奴隷とさせる人間もいない。象牙も金もないしダイアモンドもないだろう。ゴムの木も綿花もない、プランテーションに適した広大で肥沃な土地もない。黄金の国と言われたのは過去の話で、その鉱脈も尽きている。欧米列強の国々の文化において、日本を植民地化するメリットは、あまりにも少なかった。勿論、20世紀的に言えば、石油すら出ないのだから、一気に彼らの植民地構想に冷や水をかけられた。
とどのつまりに、火山活動は活発で、頻繁に地震は起きる、洪水もある。厄介なことに、雨は多いし、雪も降る。1年間は四つの四季を持ち、温度湿度差にも大きな変化があった。当時の欧米列強国家の人々にとって、まったくもって魅力に欠ける国だったのである。ここが、日本と云う国を捉えるときのポイントだ。勿論、欲の皮で突っ張った彼らの節穴では、当時の日本文化の輝かしさなど理解の範疇を越えていたのだ。彼らの目には即物的なモノへの欲求が強く、その裏に隠れている価値や文化芸術伝統工芸など、とるに足らないものと判断しても、なんの不思議もない。
以上、かいつまんで当時の日本と云う国を紹介したわけだが、その貧困であっても不思議ではない国が彼らが植民地化していった、アフリカ・アジアの国々と異なり、文化の面で、どうして日本はアフリカ・アジア諸国に比べ勝っているのか、その事には幸運にも気づいてくれなかった。そうして、日本はアフリカ、アジア、中国などと異なり、彼らの直接的植民地化政策の餌食にはならなかったのである。そこにこそ、日本の特長があり、世界に誇れるものに、徐々に変化してゆくのである。この事実を基に、日本と云う国は、改めて自国を見直す、乃至は再認識していくべきなのだ。その思考の展開において、筆者の「鎖国準拠」な考えも生まれる。この考えは、また再び書く機会もあるだろうから、本日はこの程度にとどめる。
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