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2014.03.05(水)
古森義久
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40100
ケネディ家は決してまばゆい光だけを放っているわけではない。暗い影の部分が米国でまた話題となった。悲劇あるいはスキャンダルと呼んでもよい。
日本ではキャロライン・ケネディ大使の赴任以来ケネディ家への礼賛がもっぱらである。輝く光だけを見るという感じなのだ。だが当の米国では、この一族の影の部分、負の側面も常に語られるのである。
薬物服用で事故を起こしたロバート・ケネディの娘
この2月28日、ニューヨーク州の同州最高裁判所で、ケネディ一族のケリー・ケネディ氏を被告とする裁判が開かれた。
ケリー氏は1968年に暗殺されたロバート・ケネディ司法長官(当時)の娘で、いま54歳。ロバート・ケネディは故ジョン・F・ケネディ大統領の弟である。つまり、ケリー氏はジョン・F・ケネディの姪にあたる。
ケリー氏は長らく人権活動に関わってきたが、2012年7月、ニューヨーク州内で睡眠薬服用直後の朦朧とした状態で運転をしていた容疑で逮捕された。
無謀な運転をして大型トレーラーにぶつかり、自分の車も大破して運転席でうつぶせとなり、意識を半ば失った状態で逮捕された。その後の捜査で、ケリー氏は自宅を出る直前にかなりの量の睡眠薬を飲んでいたことが確認された。
捜査当局はケリー氏の行為を、飲酒や麻薬の影響下にある違法運転と同じと見なして、起訴した。その裁判が2013年中、ニューヨーク州内の裁判所で続き、米国メディアではかなり詳細に報じられてきた。
ケリー氏は「日ごろ治療のために服用している甲状腺関連の薬と睡眠薬を間違えた」と主張し、無罪を訴えた。その主張が通り、最終裁判では陪審員たちは無罪の評決を発表した。法廷にはケリー氏の85歳の母親や子供たちが列席し、ケネディ一家としての支援を表明していた。
この事件は無罪となったのだから、犯罪ではないし、スキャンダルとも呼べないかもしれない。だが、ケリー氏が薬物服用の結果の意識の朦朧とした状態で自動車を運転し、事故を起こしたことは事実である。
暴力沙汰、自殺、麻薬中毒・・・
米国のメディアは全国ニュースとして、この出来事をケリー氏の逮捕から起訴、そして公判の段階まで逐一報道し続けた。その理由は、もちろん有名なケネディ一族の一員が当事者だからであるが、ケネディ家の人たちにはこれまでも似たような出来事が頻繁に起きてきたという歴史的な経緯も大きかったと言える。
2012年1月にはケリー氏の弟のダグラス・ケネディ氏が、ニューヨーク州内の病院の看護師らに暴力を振るったという容疑で起訴された。その病院で生まれたばかりの自分の息子を病院側の制止を無視して勝手に自宅に連れ帰ろうとして、止めようとした看護師たちに暴力を振るったのだという。この事件も無罪の判決が出たが、米国内では大きく報道された。
同じ年の5月には、ロバート・ケネディ氏のもう1人の息子ロバート・ケネディ・ジュニア氏の妻マリー氏が52歳で自殺した。夫妻は離婚手続き中で別居していたが、マリー氏はアルコール依存症、夫の女性関係がその原因だったとされた。
なお、1984年にはロバート・ケネディ氏の別の息子、デービッド氏が若くして麻薬中毒で死亡している。
今回、無罪となったケリー氏らロバート・ケネディ氏の子供たちは、全員が、いま駐日米国大使を務めるキャロライン氏のいとこである(キャロライン氏は、ロバート氏の兄の故ジョン・F・ケネディ大統領の娘)。
1963年11月に暗殺されたケネディ大統領の長男、ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏は、1999年、自ら操縦していた飛行機が墜落して、死亡した。同氏はいまの駐日大使の弟である。父親の跡を継いで国政の場で活躍することが期待されていたが、悲劇的な事故でその道を閉ざされてしまった。
エドワード・ケネディの「チャパキディック事件」とは
さらにケネディ家のスキャンダルといえば、ケネディ大統領の末弟のエドワード氏が1969年7月に起こした自動車事故が有名である。「チャパキディック事件」として知られるこの出来事は、当時すでに上院議員だったエドワード氏の政治的な運命を変えるだけでなく、ケネディ家全体のイメージまでをも汚すこととなった。
この事件は、パーティーで酒に酔ったエドワード氏が若い女性補佐官を横に乗せて、深夜、車を運転し、橋を走行中に海に落ちたという出来事だった。パーティーがマサチューセッツ州のチャパキディック島で開かれていたため、事件の名前もそうなった。
エドワード氏は転落した車から脱出し、泳いで岸に着き、無事だった。だが同乗していた女性はそのまま溺死してしまった。女性を助けずに死なせた同氏はさんざんな非難を浴びた。それまでの同氏は、ケネディ家の血を引くだけあって政策能力が高く、雄弁で、外見も立派であり、将来の大統領だとまで嘱目されていた。しかし、この事件でその評価は一気に地に落ちたのである。
その後、エドワード・ケネディ氏は2009年8月に77歳で脳腫瘍にかかり死亡するまで上院議員を一貫して務め、大統領候補としても幾度となく名が挙がった。だが、そのたびにチャパキディック事件を持ち出され、立候補を断念せざるを得なかった。
エドワード氏の二男パトリック氏もスキャンダルがついてまわった。パトリック氏は10代の頃からコカインを使用しており、リハビリ施設に送られた。その後もアルコールと薬物の両方の依存症と断じられ、リハビリを繰り返した。だが勉学で実績をあげ、1995年に28歳で連邦議会の下院議員となった。
その一方、1991年にはフロリダ州の避暑地でケネディ一族のいとことともに、レストランのウエイトレス2人を自分の別荘に連れてきて強姦を図ったとして検挙されたこともある。下院議員になってからの2006年には、議事堂の周辺で酒酔い運転をして議会周辺の障壁に衝突し、逮捕された。そうした数々の事件で世の中を騒がせ、2010年には議会からの引退を宣言した。
米国でケネディを支持する人たちとは
とにかくケネディ一族には、このように悲劇的かついまわしいエピソードが多い。この種の出来事が、いま東京に勤務するキャロライン氏の資質の評価を左右するわけではない。だが、「ケネディ家の一員だから」「ケネディ大統領の娘だから」というだけで全面的に礼賛することもできないのである。
それよりも忘れてはならないのは、米国の一般市民でも、ケネディ家の政治指導者たちに尊敬や愛着のまなざしを向ける人たちが多い一方、「ケネディ」という名前を聞いただけで反発を示す人たちが同時に存在するという事実である。
これはケネディ一族が信奉し追求したリベラリズムへの評価と密接にからみ合っている。つまり、リベラリズムを支持する米国民は例外なくケネディ礼賛だと言える。それだけでなく、ケネディ大統領らを高く評価する人たちは、政治的な中道派にも多いし、保守派の一部にもかなり存在する。
だが、保守主義を強く支持する勢力の間では、ケネディ一族への政治面での反発は激しい。ケネディという名を聞いただけで拒否反応を見せる保守派の人たちも多数存在するのだ。
だから、誰もがこぞってケネディ一族を褒め讃えるような日本での“ケネディ人気”は、米国の現実とは明らかに異なるのである。
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