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切れ味抜群サメ脳炸裂 森喜朗元首相の「名言」30連発 東京五輪は“シンキロウ”か(1)
http://wjn.jp/article/detail/6809196/
週刊実話 2014年3月13日 特大号
世界が注目した「ソチ冬季五輪」は有終の美を飾ったが、その最中に森喜朗元首相が火だるまとなった。
女子フィギュア・ショートプログラムに出場して転倒。16位と出遅れた浅田真央選手(23)に対し、「負けるとわかっていた」「見事にひっくり返った。あの子、大事な時には必ず転ぶ」などと発言し、大バッシングを浴びる事態に陥ったのだ。
政治部記者が解説する。
「同発言は、2月20日に福岡市の講演で行われたもの。森氏は続けて、『団体は負けるとわかっていたのだから、浅田選手を出さなければ良かった』『(団体戦で)転んだ心の傷が残っているから、転んではいけないとの気持ちが強く出たのだろう』と同情を寄せたが、聞く者によっては浅田がプレッシャーに弱いダメな子ととられかねず、一気に炎上してしまったのです」
痛恨の発言は、インターネットを通じて世界中に拡散し、国内のみならず中国のネットにも「浅田選手がかわいそう」との声が多数寄せられたほど。また、森元首相が'20年の東京五輪・パラリンピックの組織委員会会長だったことから、「普通なら会長職クビ」との書き込みも渦巻いた。
もっとも、森元首相の噴飯ものの「失言」は今に始まったことではない。
ソチで2月9日に会見した際には、英語の語学力を指摘した記者に「私たちの世代は勉強適齢期に(英語は)敵国語だったから」と回答し、外国人記者らをあ然とさせたばかり。その失言ぶりは並み居る政治家の中でもダントツで、永田町では「失言大魔王」の異名を取っているのである。
前出の政治部記者が言う。
「古いものでは'88年4月に行った“大阪タンツボ発言”が有名。自民党京都府連主催の政経懇話会で、曰く『大阪人はカネ儲けばかり』『低俗な風俗産業も必ず大阪から生まれる。言葉は悪いがタンツボだ』と発言し、大批判を浴びた。また、差別発言はとどまることを知らず、'92年には、母校の早稲田大学で『横浜の寿警察管内には1500人ぐらいの韓国から来た労働者がいる。ベトナム戦争に参加しているから(中略)まとまれば大変な軍事行動ができるくらいの恐れがある』などと講演し、集中砲火を浴びた過去もあるのです」
ただ、その「失言」が爆発したのは、何と言っても首相時代を迎えてからだろう。
皮切りとなったのは、'00年4月。次期首相就任が決定した頃に、ヌケヌケとこんな発言をしているのだ。
「夜も朝も総理番記者から、『何時に寝て何時に起きたのか』と電話が来るので困っている。家内がホテルの方が楽だと言っている。ああいうの(首相動向)は嘘を言ってもいいのだろう」
また、首相に就任したばかりの同年5月には、NHKの討論番組『日曜討論』に出演。ここで思わぬ失態をやらかしているのである。
全国紙論説委員が言う。
「森氏はこの時、衆議院議長を務めた経験もある坂田道太元文部相のことを『亡くなられた坂田さん…』と話し出した。ところが、同氏は当時まだ存命中。放送を聞いた坂田夫人が『あなた、死んだわよ!』と告げ、坂田氏は『そうか』と笑ったとか。後日、森氏は平身低頭で詫びの電話を入れたことがあるのです」
生きている人間を、公共放送を使って死人にしてしまう思い込みには驚かされるばかりだが、これなどは森氏が行った「失言」でも可愛い方と言わざるを得ない。というのも、この後にはご存じの「神の国発言」が行われているからだ。
◇
切れ味抜群サメ脳炸裂 森喜朗元首相の「名言」30連発 東京五輪は“シンキロウ”か(2)
http://wjn.jp/article/detail/4934368/
政権末期にはさらに加速
'00年5月15日に、神道政治連盟国会議員懇談会の結成30周年記念祝賀会に出席した森氏は−−、
「日本の国は、まさに神の国であるということを国民にしっかりと承知していただくという思いで(神道政治連盟は)活動してきた」などと発言。マスコミや野党から「国民主権や政教分離を真っ向から否定する失言」と袋叩きにあった。
しかも、同発言が思わぬ災いを呼んだことは、いまだ記憶に新しい。
「この発言に、当時連立を組む公明党は真っ青となった。なぜなら、同党の支持母体である創価学会に説明責任が発生したからです。弱り切った公明党は森氏に陳謝を求めたが、騒動はこれで収まらず、内閣支持率が20%前後に急落。野党から不信任案が提出される中、森内閣は解散に打って出なくてはならなくなった。そのため、当時は『神の国解散』と揶揄され、『森首相には応援にきてほしくない』という候補者が続出したのです」(自民党関係者)
ただ、その最中でも森氏のKYぶりが衰えることは、なかった。解散総選挙を迎えた'00年6月20日。新潟県で選挙応援演説に立った森氏は、世論調査で4割近くが政党の投票先を明らかにしなかったことに触れ、こうブチ上げたのだ。
「(無党派層は)そのまま関心がないといって寝てしまってくれれば、それでいいんですけども、そうはいかないでしょうね」
まさに、有権者を愚弄するような発言だが、これが政権末期になるとさらに加速化していく。
'01年2月10日に、ハワイ沖で『愛媛県立宇和島水産高等学校』の生徒らを乗せた漁業実習船『えひめ丸』が、米原潜に衝突され沈没。9人の不明者を出す事件が起きた。事故当時、森氏は休暇を取ってゴルフに出掛けていたが、国の対応を尋ねに詰めかけた取材記者に、こうブチ切れたのだ。
「なぜ、ここまで入ってくるの。ここはプライベート(空間)ですよ」「どうして危機管理(が必要)なのか。事故でしょ!」
その後、森内閣は一気に死に体となり、'01年4月に終焉を迎えるのである。
かつて自民党担当だった記者が言う。
「森さんは、ざっくばらんな性格がNHKの籾井勝人会長と同じで、発言が独り歩きすることを理解できていない。首相辞任後の'03年3月にも、『子どもを沢山作った女性に将来国がご苦労さまでしたといって面倒みるのが本来の福祉』『子どもを1人も作らない女性が好き勝手自由を謳歌し楽しんで齢取って、税金で面倒みなさいというのは本当におかしな話だ』と発言したが、これもその表れでしょうね」
懲りない森元首相の「失言レジェンド」は、まだまだ続きそうである。
- Re: サメ脳ミソ炸裂 が生き地獄を招くシンキロウの君臨による天罰の執行と悲劇の襲来 海野雄吉 2014/3/02 21:02:14
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