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以下は 不滅の『谷中村滅亡史』(レイバーネット日本) から転載。
第12回 2014.3.1 松本昌次(編集者・影書房)
不滅の『谷中村滅亡史』
せんだっての1月18日と25日の2回、NHKでテレビドラマ『足尾から来た女』(池端俊策脚本)が放映された。タイトルが示すように、1887(明治20)年あたりから、えんえんとつづいた足尾鉱毒事件を背景にしたドラマである。鉱毒、土地収用法による強制破壊に苦しむ農民の立場に立ってたたかった田中正造をはじめ、福田英子、石川三四郎などの社会主義運動家や、弾圧の側に立つ政府側の原敬などが実名で登場し、主人公の「女」の立場から栃木県谷中村の人びとの悲惨な離散の姿が描かれ、深い印象を残した。たまたま、ある読書会のテキストとして、荒畑寒村の『谷中村滅亡史』(岩波文庫)を再読していたので、感慨はひとしおであった。そして、120年余経た現在においても、政・財・官一体となった国益(嫌な言葉だ)をかかげた支配層たちによる民衆抑圧の構図は、何ひとつ変っていないことをあらためて痛感せざるを得なかった。それにしても、弱冠20歳の荒畑寒村が、ほぼ2か月で書き上げ、出版(直ちに発禁)されたという『谷中村滅亡史』の見事さには、舌を巻くほかない。「解説」で鎌田慧さんがいうとおり、まさに「天が書かせたドキュメント」である。福島原発の爆発で、放射能に追われ、住んでいた村や町が“滅亡”の事態に直面している多くの民衆の苦境をよそに、原発の再稼働どころか、新増設まですすめようとする政・財・官のお歴々よ、この“天”の声を聞け!といいたい。無駄だろうけれども。
寒村は、鉱毒問題の歴史をふりかえりつつ、その惨状を逐一書きとめているが、それらの上に立って悲憤慷慨する文章のいくつかを摘記してみよう。―「田中正造氏が議会における痛憤の怒号も、人民が病躯を駆って哀訴する苦衷も、遂に彼らが一顧に値ひせざりしなり。あゝ愚なるかな彼らや、彼らは実に噴火山頂、長夜の宴を張れる痴人たりしなり。」―「(谷中村の滅亡が)現代の国家と、政府と、法律と、議会とが、悉く資本家権力者の奴隷たり、専有物たるに過ぎずして、平民階級が当面の仇敵たることを、永久にその脳裡に刻み付けらるべければなり。」―「現代の政治機関はこれ悉く盗賊の巣のみ。」―「金力と権力とは、現社会における尤とも強大なる勢力ならむ。されどこれらに増して強きは、実に正義の力なり。」―「谷中村の滅亡は、世人に何ものを教へたる乎。正義の力弱くして、依るべからざる事なる乎。人道の光り薄くして、頼むべからざる事なる乎。否々、資本家は平民階級の仇敵にして、政府は実に資本家の奴隷たるに過ぎざる事、これ実に谷中村滅亡がもたらせる、最も偉大なる教訓にあらずや。」
田中正造の魂がのり移ったような、これらの寒村の言葉は、はたして大仰なものであろうか、また、過ぎ去りし時代にのみ通用するものであろうか。否である。いや、ますます光を増すのではなかろうか。ということは、逆に言えば、現在の状況が寒村の言葉に近づいているということである。はじめにふれたテレビドラマは、むろん、みずからの公の場での失言を取り消したり、どこが悪いと開き直ったりする籾井勝人NHK会長が、会長になる以前に制作・放映されたものである。しかし、安倍政権は、籾井会長の責任を不問に付して、NHKを政・財・官一体の重要な堡塁にしようと、着々と準備している。教育の場においても同様である。それらが“国益”の旗印のもと、かつての“富国強兵”への道につながるものであることは明らかだ。
『足尾から来た女』のようなテレビドラマを、NHKはこれからも放映しなければならない。その勇気を失ってはならない。ドラマは、谷中村の“滅亡”を体験した主人公の村の娘・サチ(尾野真千子がいい)が、怒りをこめて遥かな草原のなかの一本道を、どこまでもどこまでも歩くところでおわる。たたかいの道は遠い。しかし歩きつづけねばならない。
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