82. 2014年3月02日 08:37:38
: esmsVHFkrM
敗戦時に日本政府と軍が組織的かつ徹底的に公文書を焼却し証拠隠滅を行った結果、それが南京虐殺であれ従軍慰安婦問題であれ日本側の公文書を使った実証研究は極めて困難ですが、それでもその証拠隠滅を生き残った公文書や当事者の戦陣日記等を根拠にした実証研究は数多くあります。そのうちでも、わずか一ホームページのコンパクトさでありながら、敗戦時の証拠隠滅を免れて戦後ずいぶん経ってから発見された、陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(1938年3月4日付)に依拠して、それらに関連する外務次官発警視総監・各地方長官他宛文書、関係各県知事発で内務大臣・陸海軍大臣や刑務局長や宛文書、内務省警保局長通牒案、内務省警保局長発各地方長官宛文書、内務省の内偵メモ、在上海日本総領事館警察署長(田島周平)より長崎県水上警察署長(角川茂)に宛てた依頼状の公文書をあわせてそれえを資料批判し、慰安所の設置と管理の実態を実証した永井和京大教授の論文、「日本軍の慰安所政策について」(http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html)を参照するのが適当でしょう。 永井教授はその論文において以下の三点を実証しました、 1. 慰安所を設置するに当たって陸軍、各地警察、内務省、外務省が関与したこと、 2. 慰安所の管理は軍が直接間接行ったこと、 3. さらに、当時から日本政府に慰安所の違法性の認識があったため政府による隠蔽があったこと、 特に慰安所が軍の管理下にあったという基本事実については軍幹部および兵士の以下のような具体的記述があることを強調しておきたいと思います。 上海派遣軍参謀長であった飯沼守の1937年12月11日の項には「慰安施設の件方面軍より書類来り、実施を取計ふ」、1937年12月19日の項には「迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す」とあります。上海派遣軍参謀副長であった上村利通の日記には、1937年12月28日付けで「南京慰安所の開設に就て第二課案を審議す」とあります。山崎正男第十軍参謀の日記には、1937年12月18日に「先行せる寺田中佐は憲兵を指導して湖州に娯楽機関を設置す」とあります。在上海総領事館警察の報告書の1937年12月末の職業統計には「陸軍慰安所」の項目があります。常州駐屯の独立攻城重砲兵第2大隊長の状況報告には1938年1月20日付で「慰安施設は兵站の経営するもの及び軍直部隊の経営するもの二カ所あり」とあります。元陸軍軍医麻生徹男の手記には「1938年の2月には上海郊外の楊家宅に兵站司令部の管轄する軍経営の陸軍慰安所が開設されていた」、「1938年1月に軍の命令を受け、奥地へ進出する女性(朝鮮人80名、日本人20名余り)の梅毒検査を上海で実施した」とあります。 さらに、慰安所が軍の管理下にあったことは、当然のことながら慰安所が酒保と並んで部隊の主計将校が担当すべき管理事項となっていたことからも明らかで、それを実証する文書としては、1937年9月29日制定の陸達第48号「野戦酒保規程改正」、 第101聯隊(上海派遣軍第101師団)の一兵士の陣中日記(荻島静夫陣中日記田中常雄編『追憶の視線』下、1989年)、『初級作戦給養百題』、『陸軍主計団記事』第三七八号附録、清水一郎陸軍主計少佐編、陸軍主計団記事発行部発行(陸軍の経理学校の教官が経理将校の教育のために執筆した演習教材集)等があります。 これで明らかなことは慰安所とは大日本帝国国営の売春宿であり、さらに当時から帝国政府がその不法性を十分認識していたということです。 そうであれば、日本政府が管理する売春宿そのものの違法性はもとより、その設定、運営、管理のすべての局面において慰安所で発生した慰安婦とされた女性に対する不法行為および非人道的非倫理的行為の一切について日本政府が行為責任および監督責任を負うことは自明のことです。まったく議論の余地がありません。 被害者が訴えているのもそのような慰安所における不法行為による被害の認定と日本政府の責任の確認とその適切な補償です。被害者は実際に日本の裁判所に対して被害事実の認定とその補償を求めています。すべて最高裁が日韓条約等を理由に補償そのものの訴えを棄却していますが、地裁高裁においては10件のうちの8件についてまでその訴えられた被害事実(慰安婦になった経緯、慰安所での強要の状態など)を判決において認定しています。それらの訴訟は以下のとおりです。 アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟(1991) 釜山「従軍慰安婦」・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟(1992) 在日元「従軍慰安婦」謝罪・補償請求訴訟(1993) オランダ人元捕虜・民間抑留者損害賠償訴訟(1994) 中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟(第一次)(1995) 中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟(第二次)(1996) 中国山西省性暴力被害者損害賠償等請求訴訟(1998) 海南島戦時性暴力被害事件訴訟(2001) したがって、慰安所が政府と軍の関与によって設定されていること、それが軍の管理下において運営されていたこと、それ自体を当時の政府が不法と認識していてその隠蔽を図っていたこと、実際その政府・軍の管理下において慰安婦にされた女性たちに対する不法行為が存在したことは、被害者の主張であるばかりでなく、隠滅を免れた公文書や私文書で事実として実証され、それ故に日本の裁判所までその被害事実を事実として認定しているのです。 それにもかかわらず、これらの実証研究や裁判所の被害認定の事実を無視して従軍慰安婦問題の存在を否定する主張が日本の右翼保守デマゴークによって行われてきました。自民党政治家もこれに同調して銃銀慰安婦問題を否定する発言を行ったりしています。 それらの主張には以下のトリックがあります。 1.敗戦時に政府・軍の公文書が大量かつ徹底的に償却処分された事実(軍、外務省、内務省は焼却命令を出しています)を無視する。 2.従軍慰安婦問題を20万人の軍による暴力的な強制連行などとことさら厳格に定義してそれを証明する日本側公文書が存在しないから(敗戦時に証拠隠滅が行われたことを利用して)、慰安婦被害者の訴えは嘘だとか従軍慰安婦問題が存在しないと主張する。 3.被害者の証言について遠い過去の記憶であると言うことを無視してその些細な詳細について記憶違いや誤りがあれば、それをもってその被害者の証言は信用できないと主張する。さらにはこれをもってすべての被害者の証言が信用できないと主張する。 4.ある特定の場所の特定のケースで慰安所を単なる売春宿だとみなす第三国の報告書があれば、それをもってすべての場所のすべてのケースの慰安所が単なる売春宿に過ぎなかったと証明されたと主張する。 5.慰安婦が共生されていないすなわち自発的だったと主張するために慰安婦被害者の特定の民族性をふしだらだだから好き好んでやっていたことだと主張する。 6.事実をもって論破されても何度でも執拗に同じ主張を繰り返して論争相手を根負けさせてあたかも反論がないように装う(ニートネトウヨは暇だからふつうの人は最後まで相手が出来ない)。 7.従軍慰安婦否定論は日本の右翼保守の主張に過ぎず決して「日本の主張」でなどないのに、これをことさら日本対韓国のような国家や民族の対決であるかのように主張して日本人のナショナリズムを煽り従軍慰安婦問題否定論へ誤導しようとする。 このようなトリックに基づく主張がこのスレにおいてもxyzxyzを始めとするニートネトウヨによって繰り返し執拗に行われています。 このような不誠実で不公正な右翼保守の主張が、被害者の激昂と関係諸国の憤激さらには第三国の厳しい批判を招かないはずがありません。現在の韓国等被害国からの厳しい批判(日韓関係の深刻化)とアメリカのような第三国における従軍慰安婦問題への注目と日本への批判の高まり(慰安婦像の設立)は最近における右翼保守のこのような不公正で卑怯な主張が引き起こした深刻な事態です。 このまま右翼保守の主張を許せば、さらにそれに支持される安倍自民党政府が従来の政府見解を変更することがあれば、右翼保守ばかりでなく日本と日本人すべてがやったことをほとぼりが冷めたからとやっていないと主張して恥じない卑怯者だと思われてしまいます。これまでの戦後日本がその平和民主主義で築き上げてきた平和国家としての日本の国際的信用と尊敬が、戦後の平和憲法体制転換と戦前体制への復帰を目指しその一環として従軍慰安婦問題の否定する保守右翼により、完全に損なわれてまさに戦前体制がそうであったように世界で孤立することになります。 過去の誤りや失敗まで含めてありがままの日本を愛さずにはいられないのが本当の愛国心です。無謬の「美しい日本」しか愛せないからと歴史的事実を否定して過ちをなかったことと強弁するのは決して愛国的な行為ではありません。 すでに事実は証拠隠滅を生き残った日本側公文書によっても実証されています。日本の裁判所も被害事実を被害認定しています。従軍慰安婦問題を否定しているのは世界中で日本の右翼保守(とネトウヨ)だけです。 議論の余地はないのです。 日本の右翼保守には、一刻も早く本当の愛国主義に目覚めて事実を事実として認め、不誠実で不公正な妄論で日本を貶めるのをやめてほしいものだと思います。 日本の右翼保守には恥を知ってもらいたいものです。
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