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2014年02月28日
長谷川幸洋氏が、「集団的自衛権の行使容認めぐり安倍首相を批判する政治家は「さっさと本質論を議論せよ!」と題して、安倍晋三の憲法解釈の閣議決定の正当性を屁理屈でもって擁護している。同氏のジャーナリストとしての立ち位置を、政治的ウィングを固定化するような最近の振る舞いは、非常に残念な印象を持つが、一人の人間の人生の選択なのだから、敢えて非難するのは、やめておこう。ただ、同氏がこのコラムを書くにあたって、重大なヒントは、NYTの社説において、語り尽くされている。謂わば、NYTの社説の長谷川バージョンに過ぎない。
同氏のコラムを引用した上で、NYTの社説も連続で引用しておくので、その趣旨が同じであるが、その最終結論で望んでいることが異なる点は、明瞭だ。まぁ、一応いっぱしの書き手なのだから、卑近な実例を引っ張り出し、政治的非難もつけ加えるあたり、商売人としては、見習うべき点も多い(笑)。読者にもっとらしさを印象付ける。しかし、今さら機能してもいない三権分立の原理を主張しないと、国家の意思決定が正当化できない、という事こそが問題なのだろう。屁理屈ではなく、なぜ、安倍政権においてのみ、憲法解釈の閣議決定が筋論になってしまうのか。この部分の掘り下げが稚拙だ。
仮に、安倍内閣の憲法解釈閣議決定が、正当なものであるなら、内閣法制局長官の人事を弄繰り回したり、最高裁長官の健康的理由と云う、疑問を挟みにくい理由づけで、早期退職を決意させているような出来事は、何のために起こっているというのだ。上述のような人事が合法的であるが無理筋で行われている事実は、そもそも、安倍内閣が、憲法違反となり得る、内閣による閣議決定を行おうと確信的に決意している表れだろう。その上で、憲法違反なら、最高裁が裁きなさい。
しかし、最高裁における判断が、予定調和な流れで「事情判決」を出すことは判り切っているのだから、やはり、現実的な論争の対応は、理屈に関係なく、国会の議論が初めにありき、と云う選択が、現実には則している。長谷川の言説は、最高裁の事情判決を前提で語っているし、NYTはそこまで、日本の司法が腐っていないという認識で語っている。同じような論旨でありながら、長谷川氏は、安倍内閣の好き勝手がまかり通ることを望んでいるし、NYTは、最高裁で歯止め掛けられると、未だ日本の三権分立に、一縷の望みを抱いている。
≪ 集団的自衛権の行使容認めぐり安倍首相を批判する政治家は「さっさと本質論を議論せよ!」
集団的自衛権の行使容認を目指す安倍晋三首相の憲法解釈手続きをめぐって、与党である公明党の漆原良夫国対委員長が自分のメールマガジンなどで痛烈な批判を展開している。ポイントは次の部分だ。
「ある日突然総理から『閣議決定で憲法解釈を変えました。日本も今日から集団的自衛権を行使できる国に変わりました』などと発表されても国民の皆さんは、 到底納得されないと思います」「『なぜ変更する必要があるか』『変更した結果、何が、どのように変わるのか』など、国会で十分議論をして国民的合意を得る 必要があると思います」(いずれもhttp://urusan.net)。
■与野党の議員から似たような「安倍批判」
同じような批判は野党である民主党の岡田克也元代表も、国会質問や自分のブログで次のように展開している。 「内閣で決めるときに与党との調整、そして何よりも国会での議論が必要だ。内閣で決めてから議論するのではなく、案を固め、それを示し、国会でしっかり議論すべきである」(http://blogos.com/outline/81186/)。
安倍は憲法解釈の変更手続きについて、政府の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇、柳井俊二座長)が4月に出す報告書を受けて、内閣法制局を中心にまず政府内で議論し、それから与党とも協議して、最後に政府が閣議決定するという段取りを想定している。 漆原と岡田の批判は「政府が閣議決定する前に国会で議論せよ」という主張だ。
これをどう考えるか。 まず予備知識として閣議決定について説明しておきたい。そもそも「憲法解釈を閣議決定する」などという話がこれまであったのか。 民主党政権時代に私も加わった超党派議員・有識者による「憲法円卓会議」で事務局長役を務め、いま慶応義塾大学大学院法学研究科講師の南部義典によれば 「憲法解釈を閣議決定した例はありません。とくに憲法9条をめぐる解釈は、これまで内閣法制局長官の国会答弁や答弁書などによって定まってきました」という。 そうした国会答弁や答弁書の積み上げによれば、いまの政府解釈は「集団的自衛権を保有しているが行使は認められない」となっている。
たとえば次のようだ。 「我が国は主権国家である以上、国際法上、集団的自衛権を保有しているが、憲法第9条の下で許容される自衛権の行使は自国を防衛するため必要最小限度の範 囲にとどまるべきことから、集団的自衛権の行使については、この範囲を超えるため、憲法上認められない」(1981年5月29日「稲葉誠一衆院議員の質問主意書に対する答弁書」など。参議院憲法審査会ホームページ) つまり、これまでは実質的に内閣法制局が憲法解釈を示し、それを歴代の内閣が追認してきた。それで内閣法制局の解釈が定着した。これが実態である。言い換えれば、官僚が憲法を解釈し、首相を含む政治家が後で認めてきたのだ。
■「手続き」的には安倍首相の主張に問題なし
今回の問題は解釈を官僚ではなく、行政府としては最終的に「政治家である首相と大臣たちが閣議で決める」という話である。それに何か問題があるか。ない。 当然だ。もしも官僚が憲法解釈を決めてしまって、首相も閣僚も異論を唱えられないとなったら「この国の政府で一番エライのは、内閣法制局長官=官僚だ」と いう話になってしまう。とんでもない事態である。 念のために言えば、憲法解釈を最終的に決めるのは行政府でも国会でもない。もちろん最高裁判所である(憲法81条)。 これまでは内閣法制局が憲法解釈を示して、それに内閣も異論を唱えなかったから、政府全体として整合性がとれていて、何も問題はなかった。しかし今回、安倍政権は内閣の責任において解釈を変えようとしている。それは行政府のふるまいとして問題はない。
問題があれば、最終的には最高裁で決着をつける。それが三権分立である。 従来は政府の解釈を国会答弁で示してきただけなのに、今回は念を入れて閣議決定しようとしている。国会答弁より閣議決定のほうが重みがあるのはもちろん だ。憲法解釈を「官僚まかせにせず政治家で構成する内閣が責任をもとう」という話なのだから、民主主義統制の観点からみても、閣議決定で明確にするのは結 構な話である。
■国民に誤解をまき散らす「批判」
そこで漆原・岡田の批判になる。2人は「内閣が閣議決定する前に国会で議論を」と言っている。それは妥当か。私はおかしいと思う。国会で議論するのは当然だが、そのとき政府が自分たちの方針を決めていなかったら、どうやって質問に答えるのか。 内閣が首尾一貫した答弁をしようと思ったら、まずは自分たち内閣が方針を決めていなければならない。そうでなかったら、答えようがない。答えたとしても支離滅裂になりかねない。そういう方針決定こそが閣議決定である。 岡田は国会質問で「(政府が閣議決定で方針を決めて)既成事実が積み重なってから国会で審議するわけにはいかない」と述べているが、こうなると、何をか言わんやだ。 政府が決めた方針について追及するのが野党の役割である。
「政府が決めたら追及できない」などと言い出すのは、自分たちの責任放棄そのものではないか。岡田の議論を聞いていると、民主党はここまでダメになったか、とあぜんとする。 漆原は「政府が解釈を変えたら、集団的自衛権を行使できる国になる」とも言っている。これも、とんでもない勘違いだ。 政府が憲法解釈を変えたところで、肝心の法律が変わらなければ、集団的自衛権は行使できない。たとえば自衛隊法とか、もっと大事なのは自民党が用意してい る国家安全保障基本法案である。そういう既存の法律を変えたり、新たに作るかどうかを決めるところが国会である。そこにこそ与党と野党の出番がある。
問題があれば、政府が出してきた法律を変えればいい。そもそも憲法解釈は根本思想のようなもので、具体的に物事を動かすのは、あくまで法律だ。漆原は政府 が解釈を変えたら何でもできるようになる、と思っているのだろうか。政府と国会の役割を根本的に誤解していないか。あるいは国民に誤解をまき散らしてはいないか。
■「集団的自衛権の見直し」そのものをすぐに議論すべき
そこで本題である。漆原と岡田の批判のポイントは「政府が決める前に国会で議論せよ」という点にある。これはあくまで政治の手続き論にすぎない。なぜ政策の本質を議論しようとしないのか。 安倍政権の政策はまず「北朝鮮や中国の動向から東アジア情勢が緊迫している」という現状認識が出発点にある。それに対応するには、日本の安全保障体制を見 直す必要がある。その一環として集団的自衛権の解釈を見直して、関連法制を整える必要がある、と考えている。
現状認識から対応策へ、という当たり前の政策展開だ。 国会で議論が必要だというなら、こういう安倍政権の考え方こそを真正面から問い質せばいいではないか。たとえば、東アジア情勢をどう考えるのか。それに対応するには何が必要で、何が必要ではないのか。政権はどう考えるのか、自分たちはどう考えるのかを正々堂々、ぶつけるべきだ。 そういう本質論を避けて「政府が決める前に国会で議論を」などという手続き論に逃げ込むのは、はっきり言えば、自分たちこそ方針が定まっていないからだろう。
民主党も公明党も集団的自衛権とその先にある憲法改正について、党としての方針が決まっていない。だから本質論を展開できないのである。 それで「議論を、議論を」などと言っている。そんなセリフは、どこかの新聞の社説にまかせておけばいい。国民が政治家に託しているのは、はっきりした方針とそれに基づく論戦である。 東アジア情勢は緊迫している。つまらぬ手続き論はいい加減にしてもらいたい。そんなことより、なぜ集団的自衛権の見直しが必要なのか。具体的な中身の議論をさっさと始めてほしい。それができないようなら、与党だろうが野党だろうが、国会議員の資格はない。
≫(現代ビジネス:長谷川幸洋)
≪ 憲法を個人の意のまま変えようとする安倍首相を最高裁で裁けと警鐘!
http://www.nytimes.com/2014/02/20/opinion/war-peace-and-the-law.html
戦争と平和と法 2014年2月19日 論説委員会
日本の安倍晋三首相は、正式な修正によらず、彼自身の再解釈をもって、日本国憲法の基本理念を改変するという暴挙に出ようとしている。
日本国憲法では日本の軍隊(自衛隊)の活動は日本の領土内での防衛に限り許されているというのが一般的理解だが、これに反して安倍氏は、同盟国と協力し日本の領土外で攻撃的な活動を可能とする法律を成立させたがっている。これまで何年にもわたって削減されてきた自衛隊を増強するため、彼は精力的に動いてきた。そして他の国家主義者たちと同様に、彼は日本国憲法の条文にうたわれた平和主義を否定する。
憲法には「日本国民は…、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と記されている。日本がより広範な役割を果たす前に、憲法の修正がまず必要とされることを、歴代の政権は合意してきた。総理府の内閣法制局は、権力の乱用を防ぐため新しい法律の合憲性を監視する機関だが、これまでこの解釈に同意してきた。
法制局に立場を反転させるよう圧力をかけるため、安倍氏は8月に通常の手続きを踏まず、法制局長官に部外者の小松一郎を指名した。小松は集団的自衛という考えに同調する外務省官僚であった。安倍氏の選んだ専門家の一団[訳者注:「安全保障の法的基盤 の再構築に関する懇談会」のこと]はこの問題に対する報告書を4月に発表し、安倍氏を後押しするであろうと見られている。安倍氏は先の国会で、国民は次の 挙で彼に審判を下すこともできると暗に示したが、それは立憲主義の誤った見方である。安倍氏は当然、日本国憲法を修正する動きに出ることもできるはずである。そのための手続きが面倒すぎるとか、国民に受け入れられないといったことは、法の支配を無視する理由にはならない。
最高裁は日本国憲法の平和主義的な条項について見解を示すことを長らく避けてきた。安倍氏がもし自らの見解を日本の国に押し付けることに固執するのなら、最高裁は安倍氏の解釈を否定して、どんな指導者でも個人の意思で憲法を書き替えることはできないことを明らかにすべきである。
≫(NYT社説: @PeacePhilosophy (翻訳:酒井泰幸)
多少蛇足になるが、米国軍事産業勢力やネオコンは、安倍内閣が早期に「戦争のできる日本」の実現を待ち望んでいるだろう。オバマは、望むべきものではないが「背に腹は変えられぬ」心境で、その方向性を利用するだろう。ウクライナにおけるネオナチ的動きは明らかで、憎きプーチンを世界の政治シーンから追い出すためなら、「悪魔とでも手をつなごう」とアメリカと云う国独特の発想に至っている筈。北アフリカ、シリアにおけるアルカイダの利用と云い、ウクライナのネオナチ利用と云い、アメリカと云う国は、そういう策略で生きている国だ。
早晩、ウクライナは内戦になる可能性が強いが、安倍内閣の集団的自衛権解釈閣議決定後、ウクライナ内戦に、準NATO軍として、ネオナチ性を帯びるEU加盟支持軍に加勢させられる可能性は大いにある。イスラム勢力の抬頭に、真っ当に対峙する能力・気力を失った西側陣営の戦略は、アルカイダであれ、フセインであれ、ファシズム安倍であれ、西側に住むネオナチであれ、あらゆる悪魔を利用しようというわけだが、そんなに戦略がズバリ的中と云うことはありえず、日本が酷い目に遭うだけではなく、西側陣営そのものが大混乱と崩壊に突き進むリスクを包含しているようだ。
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