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2014/02/27 23:12
今日、テレビ朝日のモーニングバードの「そもそも総研たまペディア」を何気なくに見たら、玉川氏が非常に面白いテーマを取り上げていた。そのテーマは、今話題の「集団的自衛権」の話であった。
歴代内閣が憲法9条の下では集団的自衛権は認められないという立場を取ってきたが、安倍首相はそれを内閣法制局長官を腹心の人物に替えて、内閣の閣議で解釈を変更できるようにするものである。
この解釈変更の意味を、(名前を控えるのを忘れたが)、第一次の安倍内閣のとき防衛省からの内閣参事であったひとと、内閣法制局長官を退任した人物に聞いていた。
その2人に別々に、集団的自衛権は必要かという質問を行った。この質問に彼らは二人は、第三国から自国を攻撃される場合は、個別自衛権の発動で十分に対応可能で、集団的自衛権は必要ないと述べた。
元内閣法制局長官の人は、解釈論で集団的自衛権を認めたら、憲法9条の縛りは全く無くなり、歯止めが無くなると言い切った。さらに、自国の戦争ではなくて、米国の戦争に自衛隊も参加し、自衛隊員が死を覚悟しなければならないし、日本の自衛隊員が他国の将兵を殺すかもしれないと述べた。そんな事態になった時、国民はそんなはずではなかったと言っても、もう遅いと述べた。国民はそれだけの覚悟があって集団的自衛権を認めるのか?と問うた。それだけ重い話だから、だからこそ憲法という縛りがある。それだけ重い話だから、それを変えるには国民投票というものがあるのだと述べた。
玉川氏がさらに、安倍首相は「何故ここまで集団的自衛権にこだわるのか?」と質問を行った。この問いは、二人に対して、全く独立のインタービューにも関わらず、二人とも、安倍首相は「観念的」にそうしたいだけではないかと述べた。これを聞いた時は、あまりに同じことを言うので正直驚いた。
元長官は、安倍首相は今まで「美しい国」とか言っているが、非常に「抽象的」、「観念的」であると述べた。安倍首相は、日本がかつてのように、米、英、露に伍して同じような軍隊をもちたいのではないか?と述べた。
集団的自衛権の行きつく先にある、自衛隊員の死、国民の死ということを考えていないのではないかと述べた。
集団的自衛権は、他国の戦争の中で、日本の自衛隊員の死、国民の死ということまで覚悟して決めなければならないということを意味している。ここまで覚悟して解釈変更したいのかということである。玉川氏もここまで突き詰めて考えたことはなかったと述べた。日本の国民も、安倍首相を含めて、最悪人の「死」まで考えている人はそうそういないだろう。
憲法解釈変更に足を踏み込めば、鍵の無い金庫のように、出鱈目な事が何でも在りになってしまう。憲法解釈はそれだけ重い内容ということだ。こんなことを「観念」でやられては国民は堪らない。
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