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2014-02-27 19:21:03
「集団的自衛権」容認に向けて突っ走る安倍首相は、ネックとなっている憲法改憲が当面不可能と判断して、憲法解釈で集団的自衛権の行使容認に向けた環境整備を目論んでいる。
小松法制局長官は国会答弁で、安倍総理が目指す集団的自衛権の行使の容認に向けた憲法解釈の見直しについて、「最終的には私の責任で判断する」と述べたらしい。
どうせ総理の意向を汲んだみえすいた「こじつけ解釈」だろう?こういう重要問題を「私の責任で」などと軽々しく言うなと言いたい。
現憲法をどんなに都合よく解釈したとろで、「集団的自衛権を容認する解釈は生まれない」ことは法律の専門家でなくとも素人でも明白てある。
憲法9条は、
”・・・、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
この目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。”となっている。
主権国家である限り、固有の自衛権までも否定するつもりはない。だが、憲法第9条の下で許される自衛権の行使は、わが国を防衛する必要最小限度にとどまるべきである。
集団的自衛権の行使はどういう「こじつけ解釈」をするのだろうか。
集団的自衛権とは、はっきり言えば同盟国アメリカが起こす戦争に日本が参加するということである。恐らくそれだけではあるまい、アメリカの手先になって(米側の命令に従って)日本の自衛隊が派遣されるってことになるだろう。
アメリカではしばしば正義、正義と声高に叫ぶ、自分達は正義の味方であるかのように装う。
アメリカは、実際にはありもしなかった大量破壊兵器が存在するとしてイラク戦争を起こした。テロとの戦いだというが、戦争目的のはっきりしないアフガン戦争はガキ大将の火遊びにしかみえない。
アメリカが戦争を始めるときは、必ず戦争の大義(実はインネン)をつくって戦争を始める。米西戦争、太平洋戦争、ベトナム戦争、イラク、アフガン戦争などなど・・・さすがにアメリカも手の内がばれている、戦争を単独では始めづらくなったのだろうか。
蛇足だが、第一次世界大戦のきっかけとなったサラエヴォ事件:オーストリア皇太子夫妻がボスニアでセルビア人に暗殺された事件から始まった。当時、欧州列国間の複雑に絡んだ文化・経済の緊張した利害関係と軍事的同盟関係が世界大戦へと発展した。
戦争へのリスクは避けなければならない。それこそが積極的平和主義だろう?
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