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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140224-00000004-sasahi-pol
週刊朝日 2014年2月28日号
2月9日の東京都知事選で圧勝した舛添要一氏(65)。7カ国語を操る自信家は、どんな人物なのか。元側近や友人らが素顔を語った。
1948年に福岡県北九州市で生まれた舛添氏。県立八幡高校では陸上部に所属し、短距離選手としてインターハイにも出場したスポーツマンだった。
恩師の柴田文寿さん(81)が当時を懐かしそうに語る。
「丸坊主で、井戸水を飲みながら日が暮れるまでグラウンドを走っていました。負けん気が強く、ラグビー部の試合に“助っ人”として出てもらったこともあります。成績はとにかく優秀。1学年600人いましたが、3年間トップだったと思います。女子生徒からの人気も凄くて、いろいろ恋愛相談にも乗りました(笑)」
東大法学部では作家を目指すも、政治学者の道に。アメリカのホワイトハウスで安全保障を学んでいた81年、レーガン大統領の暗殺未遂事件が発生する。
「大混乱のハウス内部を見ながら、『政治は命がけ。政策を進めるには強い信念と覚悟が必要』と悟ったようです」(舛添氏の元同級生)
東大助教授だった86年、11歳年下で大蔵官僚(当時)の片山さつき氏と2度目の結婚をする。だが、わずか2年3カ月で離婚。
「片山さんは週刊誌でDV被害を訴えていましたが、舛添さんにとってもつらい結婚生活だったようです(苦笑)。決して多くは語りませんが、一度だけ『ヒステリックで気の強い女はこりごり』とグチるのを聞いたことがある。『彼女は仲間が少ないので政治家には不向き。官僚のままでよかったのに』とも言っていました」(民放スタッフ)
99年の都知事選では落選したが、2001年の参院選に自民党から出馬し初当選。2期目の07年8月には「首相の器でない」と批判していた安倍首相から、厚労相に抜擢される。
「『ここの役所は業務の幅が広すぎる。年金・医療・労働の3大臣が必要』と言いながら、どの分野も次々と理解していきました。政策を記した30ページほどの資料も30分で把握し、会見では自分の言葉でわかりやすく説明する。後任の長妻さんは3時間かかっても理解できなかったですよ(笑)。理解力、説明力は政界随一だった」(厚労省職員)
「部下の体調を気遣い、『休める時はしっかり休め』と声をかけてくれたのも嬉しかったですね。もっとも大臣は睡眠平均4時間。ナポレオンのような人でした」(同省若手職員)
新型インフルエンザや毒入りギョーザ事件、消えた年金問題などが降りかかる中、舛添大臣の息抜きは昼食だったという。
「秘書官には『食は人間の基本。時間を必ず確保するように』と厳命していました。とにかくウナギが好きで、国会や議員会館の食堂でよくかきこんでいました。絶倫の源はこれかと省内でも話題になっていた」(同)
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