http://www.asyura2.com/14/senkyo161/msg/904.html
Tweet |
安部晋三(Shinzo Abe)は、どうやら個人的な自身の足場固めをしっかりとしないまま、いきなり全体へと跳ね上がり、愛国主義者になっているらしい(「不道徳で冷酷で非人間的な河合隼雄が作成した『心のノート』の後継版によって日本人のアイデンティティを確立するのか」2月4日付参照)。2013年の年末の靖国神社参拝は、自分がこのように行動すれば他人(他国)はどう感じるか、ということを予測し考慮したことのない人物の行動である。ダボスでの、第1次世界大戦前の英独関係になぞらえた発言は、自分がこれから述べることを他人がどのように受けとめるだろうか、というようなことを配慮し予想したことのない人物の発言である。能天気なものである。精神年齢が子どもの年齢である。実に幸せな人物である。子どもは大体、幸せなものである、のではないだろうか。「心のノート」とか、「私たちの道徳」とか、くそ面白くもない、見ていて頭が痛くなるような、誰かの屁の匂いがそこはかとなく漂ってくるような(「ステーション」2013年10月29日付参照)、偽善的な匂いをぷんぷんさせている冊子を、「読め!」と強制されなければ。これでは、フォアグラを生産するために大量の餌を強制的に食べさせられる鵞鳥と同じである。そうすると、今の子どもは不幸であること極まりない。
自分の言動を近所の人がどのように受けとめるか、ということを考慮し予測しないで振舞う空っぽ頭のShinzo Abeが一国の宰相であることは、日本にとって不幸であり、危ういことである。これでは、台頭してくる中国に対抗できないだろう。このような下敷きがあれば、下手をすれば、不測の事態の発生があると戦争になるかもしれない。偽者の愛国主義者(自身の個人的な足場固めをきちんとしないまま全体へと飛び跳ねている薄っぺらな愛国主義者)が国のリーダーになったら、えてして近隣諸国との摩擦が生じるものである。そして、その摩擦が、のっぴきならないところまで行ってしまうものである。
『ゲド戦記』(翻訳書は岩波書店刊)の「影との戦い」は、影(元型としての影。shadow)は私自身だと言ったとき、それまでの影の激烈さが収まった、というような話であった。つまらぬ書物である。文学性も何もない。内容も、このように空疎である。よくも児童書として出版したものだ。こんな悪書を子どもに与えるのは、実にけしからんではないか。
ユング心理学においては、その個性化の初期段階で、元型としての影を取り入れ、取り込み、同化する。それは、正統派精神分析(フロイトの精神分析)で言うところの、抑圧された感情の意識化とは本質的に異なる。次元が違うのである。正統派精神分析の場合は、自我が抑圧された感情を支配しコントロールするために意識化するのであるが、邪道派精神分析(ユング派、Jungian)の場合は、自我が乗っ取られてしまうのである。自我が、元型としての影を取り入れ、取り込み、同化するのである。悪魔の自我(devil's ego)になるのである。まさに影(心の内なる悪なるもの)に、なりきるのである。Carl Gustav Jungは、とても自我の弱い人間であったと言われている。そのような人間が、悪なるものを自我に同化してしまったら、自我はどうかしてしまうではないか。自我は、ハンドルを制御できない運転手になってしまう。
Jungianは、愛を知らないものばかりである(2月7日付けの「愛を知らずして人生が語れるか、心の問題を論じることができるか」参照)。それなのに、偉そうに心の問題だとか心の教育だとか説いている。本来、Jungianには、このような問題を論じる資格がない。世の中には、偽物の愛が多いから、愛を知らない者が偉そうな顔をして勢いづいているのだろうか。愛を知らない者が、そんな変なことをするな。愛を知らない者に、心の教育を語る資格はない。
現実の生身の人間との交流を失い、愛を知らない者が、集合的無意識や元型などという、ありもしない概念に夢中になり、それにのめり込んでいる。そんなやつらが、影は私自身だ、と叫んでいる。恐ろしいことではないか。河合隼雄(Hayao Kawai)の不道徳で冷酷で非人間的な行動を見るがいい(「愛を知らずして人生が語れるか、心の問題を論じることができるか」2月7日など参照)。悪魔の僕ではないか。このようなやつらを野放しにしておいてはならない。存在することさえ許してはならない。
http://moriyamag.blogspot.com/2013/08/criticism-against-jungian-psychology.html
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK161掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。