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2014-02-23 02:55
これは、『首相補佐官・衛藤晟一のYouTube発言書き起こし+安倍参与・本田悦朗のWSJ発言』の関連記事になるのだが。
文芸春秋の「赤坂太郎」に、衛藤晟一氏のこと&靖国参拝の経緯に関する記事が載っていたので、参考資料にするために、こちらに、それらの記事をアップしたいと思う。
まずは、昨年1月の記事になるのだが。『安倍政権の命運を握る「新・四人組」』から、衛藤晟一氏に関する部分を・・・。
『「安倍晋三君を第96代総理大臣に指名します」――。
自民党・公明党合わせて325議席という圧勝で、「逆」政権交代を果たした第46回総選挙から10日後の12月26日、安倍晋三は、衆院での首班指名を受け、5年3カ月ぶりに総理大臣に返り咲いた。06年に発足した第1次安倍内閣が掲げたキャッチフレーズ「再チャレンジ」を自ら果たした形だ。
だが、安倍の再チャレンジの成否は、5年前に“お友達内閣”と揶揄され、官邸崩壊の引き金となった人事下手を克服できるか、にかかっている。
「来年夏の参院選では公明党の協力を得なければなりません。日本維新の会やみんなの党とは予算案や政策ごとの部分連合で協力をあおいでいきましょう」
すでにマスコミの情勢調査で「自公で300議席超」が明白になっていた衆院選投開票日数日前の12月中旬。自民党幹事長代行だった菅義偉は、携帯電話で、安倍にこう進言した。安倍は当初から日本維新の会と連立して憲法改正を打ち出すことも視野に入れていたが、菅の言葉で、参院選までは自公体制を基軸とした「安全運転」に徹することに落ち着いた。
内閣の司令塔である菅官房長官に対する安倍の信頼は絶大なものがある。菅は秋田県の農家に生まれ、高校卒業後、集団就職で上京した。働きながら法政大学を卒業、故小此木彦三郎元通産相の秘書から、横浜市議となり1996年、47歳で、初当選を果たした「苦労人」。
そもそも、06年の自民党総裁選で候補の座を、同じ森派の福田康夫元首相と争い、派閥分裂も覚悟した安倍の命を受け、衆院当選6回以下、参院当選2回以下の自民党所属議員94人を集めて「再チャレンジ支援議員連盟」を立ち上げ、勝負の流れを決定的にしたのが菅だった。その論功行賞で当選4回にして総務相に就任。ふるさと納税の創設、地方分権改革推進法の成立、NHK受信料値下げなど、お友達内閣の中で、その剛腕ぶりは異彩を放った。
昨年の自民党総裁選に出馬するにあたっても、8月の時点では迷いを見せていた安倍に対して「自民党支持層には安倍待望論があるが、向こうからはやってこない。飛び込んで局面を打開するべきです」と“主戦論”を唱え、出馬の意思を固めさせた。お友達から一歩踏み込んだ盟友に近い存在だ。
その菅より関係の長い盟友が首相補佐官となった衛藤晟一参院議員だ。
衆院選圧勝の熱気が冷めやらない12月18日午後5時、自民党本部。衛藤は記者の目を避けるように、地下駐車場から4階の総裁室裏手へ直行するエレベーターで安倍を訪ね、ある文書を手渡した。それは安倍の指示を受けた衛藤が、中西輝政京大名誉教授、八木秀次高崎経済大教授らと水面下で接触し、とりまとめた安倍政権の“工程表”だった。
この工程表においては、長期的な目標として「国防軍」の創設を柱とする憲法改正を明記。中期的には米国を狙う弾道ミサイルの迎撃など限定的な集団的自衛権の行使容認、例外を設けた環太平洋経済連携協定(TPP)参加を掲げ、項目ごとに具体的な手法も付記した。短期的な目標としては、尖閣諸島への公務員常駐に加え、「河野談話」の事実上の撤回や拉致問題の解決も盛り込まれた。
いずれも戦後レジームからの脱却を唱える安倍の思想を色濃く反映したものだが、実はこうした安倍の思想形成に大きな影響を及ぼしてきた人物こそ衛藤なのである。衛藤は大分大生時代、右派の学生運動家として全国に名をはせた。25歳で大分市議当選後、大分県議を2期務めて、90年に衆議院議員に初当選した。安倍の父、晋太郎の全面支援で大量当選した新人の1人だった。
晋太郎が志半ばで病に倒れ、晋三が後を継ぐと、衛藤は「晋太郎の夢を晋三に果たさせる」と心に期す。今や、安倍の有力なブレーンとなっている右派のシンクタンク「日本政策研究センター」の伊藤哲夫代表を、若き日の安倍に紹介したのも衛藤だった。伊藤と衛藤は学生運動の同志の関係である。
衛藤は、保守政治家としての安倍晋三の「生みの親」とも言える。(文芸春秋、赤坂太郎13年1月10日)』
<ちなみに、「新・四人組」のあとの2人に挙げられていたのは、加藤勝信官房副長官と今井尚哉政務秘書官だ。mewとしては、ここに萩生田総裁特別補佐も加えておきたいところかも。>
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そして、その衛藤氏が深く関わっていたあ首相の靖国参拝に関する記事を。
衛藤氏自身、ネット番組で語っていたように、安倍首相は、自分の靖国参拝に理解を得るために米国に衛藤氏を派遣。
衛藤氏が会った政府+αの関係者は、首相の靖国参拝が日本と中韓の関係のさらなる悪化につながることを懸念し、一様に慎重な行動を求めたのであるが。果たして、衛藤氏はその反応をどのように安倍首相に伝え、2人はどのような判断をしたのか・・・。
首相は、菅官房長官らが反対したにもかかわらず、衛藤氏の後押しを受けて、首相参拝を決意するに至ったのである。(~_~;)
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『靖国参拝、知られざる官邸の暗闘
“同志”と参拝を強行した安倍。しかし、同盟国の「真意」は計れなかった。
「今年は第一次大戦から100年を迎える年である。当時、英独は大きな経済関係にあったにもかかわらず第一次大戦に至ったという歴史的経緯があった」
スイスで開かれた世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に参加した安倍晋三首相が1月22日、外国メディアに向けて述べた発言が、国際的な波紋を呼んだ。現在の日中関係を第一次世界大戦で対決する前の英独関係に例えたことから、安倍が「日中戦争」の可能性を認めたと受け止められたのだ。
もちろん安倍に中国と軍事的にことを構える考えは毛頭ない。しかし、国際社会がそう受け止めた背景には、尖閣諸島をめぐる日中の応酬、そして昨年末、安倍が踏み切った靖国神社参拝の生々しい記憶があった。
靖国参拝をめぐっては、官邸の「奥の院」でも暗闘が繰り広げられていた。
「総理が私の意見を聞き入れなかったのは、これが初めてのことです」
?安倍が靖国参拝に踏み切った12月26日の夕刻、首相官邸。菅義偉官房長官は衛藤晟一首相補佐官(国政の重要課題担当)に問わず語りにそう漏らした。
中韓関係や経済への影響を懸念して参拝に慎重な菅と、大分大生時代から右派活動に身を投じ「他国に干渉されるべきではない」と参拝に積極的な衛藤。靖国参拝をめぐる2つの水脈は、安倍が2度目の首相に就任した一昨年12月26日夜に、いきなり表面化していた。
?就任翌朝の参拝を推すのは衛藤と小泉政権で首相政務秘書官を務めた飯島勲内閣官房参与。これに対して、今井尚哉首相政務秘書官が「私が体を張って阻止する」と猛反対し、菅は今井を支持した。
菅―今井ラインは経済を最優先し、靖国参拝に否定的な世論を重視する。衛藤や飯島も同じ考えだが、いつまでも参拝を封印できないとの思いも持っていた。安倍は、衛藤―飯島ラインに心情的には共鳴しながらも、この時は菅―今井ラインに軸足を置き、参拝を見送った。
この抑制的な対応は、昨年4月の春季例大祭、8月の終戦記念日まで続いた。次のヤマは10月17日から20日まで行われた秋季例大祭だった。飯島が靖国参拝を強く進言したのだ。結局は、台風26号への対応に万全を期すことを理由に見送ったとされたが、実態は異なる。
安倍と衛藤は、沖縄県の仲井眞弘多知事が米軍普天間飛行場の移設予定地である名護市辺野古沿岸部の埋め立てを年内に承認するのかどうか、その一点を見極めて参拝を判断する方向に傾いていたのだ。というのも、仲井眞の承認を得られれば、辺野古移設に向けた米国との約束実現へ大きく歩を進めることになり、オバマ政権は靖国参拝に異を唱えにくいと読んだのである。
一方、菅は、安倍が「首相としての参拝は国民との約束なんです」と漏らすようになった心情を理解はしていた。しかし当面、アベノミクスによる経済再生に集中すべきで、外交、経済など様々な領域で対応が必要となる靖国参拝は可能な限り見送った方がいいと考えていた。
特に、中国は、秋季例大祭直後の10月24、25両日に共産党最高幹部7人が「周辺外交工作座談会」を開き、習近平国家主席が「(相手国の)感情を重んじ、常に顔を合わせ、人心をつかむ必要がある」と融和姿勢とも取れる異例の重要講話を発表。日本政府では「強硬な対日外交が行き詰まり、距離を縮めるシグナルかもしれない」との見方がささやかれた。さらにその見方を裏付けるようなメッセージが習、さらには韓国の朴槿恵大統領の周辺から届いていたことも大きかった。
「まず中国と、第一次安倍内閣の実績である『戦略的互恵関係』を再構築する。そして、日中の急接近に遅れまいとする韓国とも関係を修復する」というのが、菅の描く東アジア外交の正常化シナリオだ。「戦略的互恵関係」の大前提は、靖国参拝について有無や時期を明確にしないことだ。靖国参拝は首相の任期が終わる間際に行うことで、外交的利益と「国民との約束」の両立を図ってはどうかと安倍に進言していた。政権の弱体化を招きかねない事態を避けたい菅が、靖国参拝を「悲願」とする安倍と衛藤に配慮した妥協案だった。
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米国への密使派遣
菅、衛藤がそんな神経戦を繰り広げる中、事態が動いた。秋季例大祭を見送った直後、衛藤が安倍と首相官邸で対峙した。仲井眞サイドから埋め立て承認の感触を得た時期だった。
「次のタイミングは、就任1年の節目ではないですか。任期は残り2年ほど。2014年4月にはオバマ大統領の訪日が検討され、秋には北京でAPECが開かれる。翌年春には統一地方選を迎えます。ベストではないが、ベターな選択は1周年だと思います」
衛藤の進言に安倍は答えた。
「中韓は首脳会談を呼び掛けても頑なな姿勢は変わらないので、靖国参拝しても同じでしょう。むしろ米国にはしっかりと事前に説明しなければいけないと思います。衛藤さん、行ってもらえますか」
安倍が就任1年での参拝を決断した瞬間だった。このタイミングを逃せば「なぜ1年目は行かなかったのか」と保守層から不満が出かねない。参拝に批判的な勢力からも「筋が通らない」と非難される懸念があった。就任1年は安倍にとって無視できない時機だった。
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衛藤は、ワシントンのシンクタンク「ランド研究所」で開かれる北朝鮮崩壊シナリオのセミナー出席を表向きの理由として訪米することになった。菅が靖国参拝への布石と感じ取り、「セミナーの報告書を取り寄せれば、米国まで行かなくとも構わないでしょう」と難色を示すと、衛藤は「実は、靖国参拝について米側に説明してきたい。総理も了承しています」と打ち明けた。菅が事後承諾する形で密使の派遣計画が固まった。
衛藤は11月20日から23日まで訪米、ラッセル国務次官補(東アジア・太平洋担当)ら米政府高官、アーミテージ元国務副長官と相次いで会談した。
「安倍総理は近く靖国神社を参拝する。参拝を支持する日本国民のほとんどは日米同盟の強化を歓迎している。一方、参拝に否定的な人は親中国派が多い。靖国参拝と日米同盟強化は矛盾しない」
衛藤の説明に対し、ラッセルは「中国や韓国との関係を悪化させるような挑発的行為は控えてほしい。慎重に対応すべきだと考えている」と異論を唱えた。アーミテージも「オバマ大統領はリベラルだ。この民主党政権が終わるまで靖国参拝を控えることはできないか」と自粛を求めた。衛藤はワシントンの日本大使館を通じて一連の会談内容を安倍と菅に報告した。この時点の米側の反応は、衛藤にとってさほど驚きではなかった。
さらに衛藤が米国を発つ直前、中国は尖閣諸島を含む防空識別圏(ADIZ)の設定を発表した。この一方的な通告に国際社会は反発し、米国も戦略爆撃機B52を、中国の設定したADIZに飛行させる対抗措置を取った。結果、中国が孤立する形になったことも、靖国参拝への弾みを付けた。
12月18日夜、安倍は森喜朗元首相や麻生太郎副総理、下村博文文科相らと東京五輪をめぐり公邸で会食した。新聞各紙によると、安倍にその後の来客はない。だが人目を避けて、公邸の食堂で待機していたのは、衛藤その人だった。すでに、1周年での参拝は2人の暗黙の了解となっていた。安倍は「アメリカには改めて連絡できる態勢を取ってほしい。齋木(昭隆外務事務次官)さんとも緊密に連絡を取ってください」と指示した。
衛藤は翌日、東京・赤坂の米国大使館にカート・トン首席公使を密かに訪ねている。そして「総理が靖国に行く前にきちんと連絡します。米政府として反対しないでほしい」と説いたが、「慎重に対処すべきだ」との応答は変わらなかった。
* * * * *
「アメリカは何なんだ……」
そして、26日午前11時過ぎ、安倍は靖国神社へ向かったのだ。
参拝直後、安倍は記者団に力説した。
「靖国神社の鎮霊社にもお参りした。諸外国の人々も含めて戦場で倒れた人々の社だ。中国、韓国の人の気持ちを傷つける考えは毛頭ない。戦場で散った英霊の冥福を祈り、リーダーとして手を合わせることは世界共通のリーダーの姿勢だ」
だが米国大使館と国務省は相次いで声明を発表した。「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米政府は失望している」
「アメリカは何なんだ……」
米国の反応を聞いた安倍はこう漏らした。賛成してくれとは言わない。だが同盟国に対して「失望(disappointed)」という表現まで使って批判するのか。自らの行動を理解してくれない米国に対する苛立ちが、安倍のひと言に凝縮されていた。
しかし、苛立っていたのは米国側も同様だ。米国からみると、靖国参拝は多くの若者の血を犠牲にして民主主義を守り抜いた栄光の戦いと、その後の国際秩序に対する「異議申し立て」に映る。靖国には米国が主導した「東京裁判」のA級戦犯、東條英機元首相らが合祀されているからだ。
また米政府は、昨年3月の衆院予算委員会で、安倍が第二次大戦の総括をめぐって「日本人自身の手によることではなくて、東京裁判という、いわば連合国側が勝者の判断によってその断罪がなされたということなんだろう、このように思うわけであります」と述べたことに着目していた。
「わが国としてはサンフランシスコ講和条約第11条により極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、国と国との関係においてこの裁判について異議を述べる立場にはない」と事実関係にとどめるのが、それまでの政府答弁。「不公正」というニュアンスを伴う「勝者による断罪」という表現は、これまでの見解と異なっていた。さらに安倍はこの前後、衆参両院の予算委員会や米外交専門誌で「首相の靖国参拝は米大統領のアーリントン国立墓地参拝と同様だ」と述べ、米国を念頭に参拝の正当化を図っている。
安倍の主張に業を煮やした米政府は行動に出ている。10月3日、東京で開かれた外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)に出席するため来日したケリー国務長官とヘーゲル国防長官が千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れ、献花、黙とうを捧げたのだ。同行した国防総省高官が一部記者団に、墓苑はアーリントン国立墓地に最も近い存在だとブリーフする念の入れよう。安倍の主張に対する反論であり、靖国参拝に対する警告でもあった。
首相在任中、参拝を重ねた小泉純一郎元首相には表立って抗議しなかったのは、小泉が歴史認識に踏み込まなかったからだ。ケリーらの墓苑訪問後も参拝に意欲を見せる安倍に米政府は直接、間接の忠告をしたが、参拝は現実化した。
米政府関係者によると、安倍の参拝に備えて米大使館が事前に用意したコメント案では「disappointed(失望した)」の前に「deeply(深く)」が付いていたという。『同盟国』に対する配慮で、最終的には削られたが、米側の苛立ちは尋常ではなかったのだ。そんな米側の真意を安倍は見誤っていた。(文芸春秋・赤坂太郎14年2月10日)』
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