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2014年02月21日
国会の状況を眺めていると、政権側を追及する野党の姿勢もパワー不足だし、答える政府側も、時間つぶしの予算委員会で、答えになっていない答えを語り、ついでに我田引水な方向に話を持っていく始末。筆者が知る限りにおいて、まったく反対意見に配慮しない政権を見たのは初めてだ。嘘でも、間違いでも、堂々と力強く言い放てば、テレビの絵面は好印象を与える効果に頼り切った安倍晋三の政権運営である。しかし、国民の7割前後は、首相は自信をもってことに当たっていると云う印象を持つ。
14金曜日からの東京周辺を襲った大雪が、各地域に孤立集落を生み、幹線道路では何百台かの車が身動き取れず、数日を送る羽目になり、水・食糧・燃料等の枯渇が生命にかかわる一歩手前であった。そんな時に、支持者を集めて高級天ぷら屋で歓談をしていたわけだから、叩かれるのは当然だろう。理屈上、担当大臣に「遺漏なきよう命じていた」と言い逃れているようだが、陣頭指揮をとっている姿を見せるのは、安倍晋三の十八番であった筈だ。折角、露出度向上の機会を見逃すとは、官邸のミスである(笑)。「私が最高責任者だ」と云う言行が一致していない。自衛官と一緒に迷彩服を着こみ、雪中行軍の勇姿を見せるべきであった。
衆院予算委で、憲法改正ではなく解釈変更により集団的自衛権の行使を容認できるかとの質問に、内閣法制局の答弁を押しとどめ、自ら立ち上がり「最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上で私たちは選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは内閣法制局長官ではない。私だ」と、完全にお山の大将状態になっている。夜になれば、マスメディア幹部を呼び出し、夕飯その他を振る舞い、“変なことを書くなよ”と、報道機関を統制下に置くことに躍起になっている。こうするのが、マスメディアが望んだ「決められる政治」だとすると、トンデモナイ売国を助長したのは、報道機関と云うことになる。
直近の馬鹿げた話は、首相補佐官を務める衛藤晟一が安倍の靖国参拝に対し「失望した」のコメントを引用、“こちらこそ、同盟国アメリカに失望した”と動画まで添えて、念入りに主張した。集団的自衛権、TPP、原発推進、辺野古移設決定等々、日米同盟の深化の為に、これほど必死で汗を掻いているのに、何という冷たい仕打ちだ、と言いたいのだろう。まさに、官邸内で安倍晋三、菅官房長官らが、常日頃嘆き、訝っている空気をストレートに表現したわけだが、腹の内を晒すのは未だ早い。4月にオバマが訪日すると云うのに、タイミングが悪すぎる。慌てふためいた菅官房長官が、個人的見解程度でお茶を濁すのは無理。全面的に撤回し、動画等々も削除せよ、といきり立った。
この辺、今さら糊塗しようとしても無理だろう。オバマ政権が、安倍自民党政権と大きく距離を置いているのは事実である。当然、そこには安倍晋三と云う政治家への重大なる懸念があるからだ。ただ、アメリカの経済状況は、好調を装っているが、実態は相当病んだままだ。防衛にせよ、経済にせよ、日本に貢献してもらうしか選択の余地が残っていない。下品で厭らしい客であっても、ホステスとしては、作り笑いをしてお酌をしなければならない、とオバマ政権は決めている。オバマは、あんな反知性的政治家に出会ったことがないと、驚嘆しているに違いない(笑)。
NHK人事では、「東京裁判は(米軍の)大虐殺をごまかすための裁判だった」と云う3流作家・百田尚樹や「女は子を産み育てるのが務め」なんちゃっての長谷川某とか云う学者らしき女史を経営委員に送り込み、とどのつまりが会長人事の籾井の出現だ。安倍本人は、何をやってもスンナリ通過、“俺って天才?俺の権力って凄いんだ。やりたかったこと、この際全部やっちゃおう”と云う気分になっても不思議ではない。世界中から顰蹙を買っていることも知らず、右巻きお友達で周りを固め、権力に弱い奴らを掻き集めて夕飯を食う。正直、完璧に井の中の蛙状態であり、井戸の温度が徐々に茹でるべき温度になっている事に気づかないのだろう。
ここまで、民主政治が劣化してしまった以上、どこから手をつけて収拾するのかといった生易しさで補正の効くものではないだろう。官邸にいる教養、感情、徳を劣化させている己を見つめられず、その正体に親密性を感じている支持者の強烈な大声に支えられ、内輪で「俺たちは間違ってない。間違っているのは、一部のはみ出し者だ。そして、日本の繁栄を快く思わない国々の奴らの遠吠えだ」と唯我独尊状態なのだろう。もう打つ手はない。行くべき処に至り、国家もろとも一旦地獄を見るのが早道だろう。そうであれば、安倍政権には、政治の邪道の限りを尽くし、如何に感情に走り、時には政治に無関心でいることの恐怖を味あわせる方が、国益にかなうと云うものだ。
このような状況を、宮台真司は「教養の劣化、感情の劣化、徳の劣化」と表現していたが、19日の朝日新聞では、≪ 「反知性主義」への警鐘 相次ぐ政治的問題発言で議論 ≫と云う見出しで語られている。この記事を書くきっかけは「週刊現代」特集記事を引用するかたち、と云うから朝日のオリジナルではない。まぁそれでも、朝日が取り上げたことで「反知性主義」と云う概念に対する認知には、若干貢献しているだろう。朝日のサイトに同記事の抜粋があったので掲載しておく。
≪ 「反知性主義」への警鐘 相次ぐ政治的問題発言で議論
「反知性主義」という言葉を使った評論が論壇で目につく。「非」知性でも「無」知でもなく「反」知性――。政治的な問題発言が続出する現状を分析・批判しようとする意図が見える。
■自分に都合のよい物語 他者に強要
「嫌中」「憎韓」「反日」――首相の靖国神社参拝や慰安婦問題をめぐり日・中・韓でナショナリスティックな感情が噴き上がる現状を、週刊現代は問題視して特集した(1月25日&2月1日合併号)。 元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏は対談で、領土問題や歴史問題をめぐる国内政治家の近年の言動に警鐘を鳴らした。その中で使った分析用語の一つが「反知性主義」だ。この言葉を昨年来、著書などで積極的に使っている。
どう定義しているのか。
「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」だと佐藤氏は述べる。新しい知見や他者との関係性を直視しながら自身と世 界を見直していく作業を拒み、「自分に都合のよい物語」の中に閉じこもる姿勢だ。とりわけ問題になるのは、その物語を使う者がときに「他者へ何らかの行動を強要する」からだという。
反知性主義という概念を使おうと考えたきっかけは、昨年の麻生太郎副総理の「ナチスの手口に学んだら」発言だった。「ナチスを肯定するのかという深刻な疑念が世界から寄せられたが、麻生氏も政権も謝罪や丁寧な説明は必要ないと考えた。非常に危険だと思った」
異なる意見を持つ他者との公共的対話を軽視し、独りよがりな「決断」を重視する姿勢がそこにあると氏は見た。「反知性主義の典型です」。週刊現代の対談では、靖国や慰安婦に関する海外からの批判の深刻さを安倍政権が認識できていない、とも指摘した。
自分が理解したいように世界を理解する「反知性主義のプリズム」が働いているせいで、「不適切な発言をした」という自覚ができず、聞く側の受け止め方に問題があるとしか認識できない。そう分析する。
■「知的」へ憤りと疑惑 背景にポピュリズム
フランス現代思想研究者の内田樹氏も昨年12月、反知性主義が「日本社会を覆い尽くしている」とツイッターに書いた。参考図書を読もうとしない学生たちに、君たちは反知性主義的であることを自己決定したのではなく、「社会全体によって仕向けられている」のだと挑発的に述べた。
同じ月、米国の歴史学者ホーフスタッターの著書『アメリカの反知性主義』の書評をネットの「書評空間」に寄稿したのが、社会学者の竹内洋氏(関西大学東京センター長)だった。ホーフスタッターが同書を発表したのは半世紀前。邦訳されたのも10年前だ。
なぜいま光を当てたのか。「反知性主義的な空気が台頭していると伝えたかった」と竹内氏は語る。 反知性主義の特徴は「知的な生き方およびそれを代表するとされる人びとにたいする憤りと疑惑」であると同書は規定する。米国社会を揺るがした1950年代のマッカーシズム(赤狩り)に直面したことで、ホーフスタッターは反知性主義の分析に取り組んだ。
竹内氏がこの概念に注目したきっかけは、いわゆる橋下現象だった。「橋下市長は学者たちを『本を読んでいるだけの、現場を知らない役立たず』と口汚くののしった。ヘイトスピーチだったと思うが、有権者にはアピールした」
なぜ、反知性主義が強く現れてきたのか。「大衆社会化が進み、ポピュリズムが広がってきたためだろう。ポピュリズムの政治とは、大衆の『感情』をあおるものだからだ」
◇
同じ「反知性主義」に警鐘を鳴らしても、佐藤・内田・竹内氏の主張は力点が違う。だが佐藤氏は、3人には共有されている価値があると語る。「自由です」
反知性主義に対抗する連帯の最後の足場になる価値だろうとも言う。「誰かが自分に都合の良い物語を抱くこと自体は認めるが、それを他者に強要しようとする行為には反対する。つまり、リベラリズムです」(塩倉裕) ≫(朝日新聞デジタル)
しかし、このような記事を読む人々は僅かであり、数行目を通し、「俺の考えとは違う。多分、こいつらはアカに違いない」そういう、それこそ反知性的態度に終始するだけである。昔から、馬鹿につける薬はないと言われていたが、大宅の総白痴ならまだしも、総ゴロツキ化に向かってまっしぐらなのだ。まして、これら総ゴロツキの基礎票に支えられた政権が、あらゆる暴力装置を携えて、国会を占拠しているのだから、何をかいわんやである。NHKが力を込め、マスメディアが煽りに煽った高梨沙羅、カーリング女子、浅田真央の不調は報道の圧力、ある意味で「ポピュリズム報道」の犠牲者と言えるのだろう。
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