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2014年2月17日
安倍政権が推進する経済政策は小泉政権が推進した「市場原理主義経済政策」と変わらない。
「市場原理主義経済政策」とは、経済活動を市場原理に委ねる経済政策である。
経済は自然と同じで、すべてを自由放任にすれば、必ず弱肉強食になる。
経済政策には歴史がある。
経済学の元祖であるアダム・スミスは自由放任=レッセ・フェールを主張した。
資源配分は市場メカニズムに委ねることにより、もっとも効率的になる。
政府の介入を可能な限り排除して、市場の自由な活動に委ねることによって、もっとも効率の良い生産が実現する。
これが古典派の経済学である。
しかし、自由主義の経済政策運営は問題を引き起こした。
すべてを市場原理に委ねれば、強い者はより強くなり、弱い者は虐げられて消滅してしまう。
他者に損失を与える「外部不経済」が放置されれば、不公正はさらに拡大する。
自由主義的経済政策には修正を加えることが求められるようになった。
また、市場メカニズムが必ずしも万能ではないことも明らかにされるようになった。
市場は不均衡な状態に陥ることがある。
その不均衡が長く続き、しかも、その不均衡の影響が深刻である場合、市場に人為的な力を加えて、市場の不均衡を人為的に修正することが有効である場合が存在することも主張されるようになった。
修正資本主義の流れである。
これは、基本的人権の概念の進化と表裏一体を為すものでもあった。
基本的人権には、
自由権、参政権、社会権
がある。
自由権は18世紀に主張されたことから18世紀的基本権と呼ばれることがある。
同様に参政権は19世紀的基本権、社会権は20世紀的基本権と呼ばれる。
自由権が経済活動の自由などの、自由に活動する権利であるのに対して、社会権は憲法第25条が定める
「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」
に代表される、いわば「弱肉強食」を是正することを正当化する考え方を示す基本権である。
自由主義が行き過ぎれば、社会は弱肉強食化して、弱者の生存の余地がなくなってしまう。
すべての人に生きる権利を付与することが必要であるというのが、歴史の進化の結果として到達したひとつの終着点であり、この点に人間社会の特性が置かれるべきだと考えられるようになってきた。
近ごろはやりの「市自由主義」は、すべての人に一定の生活水準を保証する「福祉社会」を再度見直し、再び社会を弱肉強食の方向に差し戻そうとする考え方である。
社会を構成するすべて人の幸福を追求していたのでは、全体としての効率が低下する。
力の強い者は、巨大な果実を得られるのに、弱者のためにそれを犠牲にしなければならない。
これでは、力の強い者はやる気を失ってしまう。
力の強い者がやる気を失えば、社会全体の成長の力は低下し、全体の効率が低下してしまう。
それを防ぐために、再び社会を弱肉強食化することが必要である。
これが新自由主義の考え方である。
しかし、一言で言って、これは時代の逆行である。
小泉政権の登場以降、日本でも、一部で社会の弱肉強食化=市自由主義化を求める声が強まっているのだ。
その流れをいま推進しているのが安倍政権である。
企業は利潤を追求するあまり、労働者の幸福を考えなくなり始めている。
正規労働を廃絶して、すべての労働力を非正規化できれば、資本の利潤は格段に増大する。
これを実現するには、法規制、行政規制を撤廃して、人間を機械部品のように、消耗品として取り扱えることができる体制を整えてもらうことが有用である。
すべては資本の論理=強者の論理に則った思考である。
安倍首相は国会答弁で、経済が成長するには企業が成長する条件を整えなければならない。
他方、労働者の側でも、派遣労働のように、所得は少なくても、制約のない自由度の高い働き方を求める、働き方の多様性を求める声にも配慮しなければならないとも主張した。
これは詭弁でしかない。
多くの労働者は、安定してある程度の所得を確保できる、正規労働者になることを希望するが、その機会が激減しているために、やむなく派遣労働。非正規労働に従事しているのだ。
このような事実がありながら、現実を見ようとしない詭弁が提示されているのである。
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