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舞い上がる安倍首相
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14年02月16日 永田町徒然草
都知事選やオリンピックにかまけている間、国会では空恐ろしいことが毎日のように起こっている。集団的自衛権行使の布石が、着々と打たれている。内閣法制局の憲法解釈について、安倍首相は「内閣の最高責任者は私であるから、私の解釈が政府の正式な憲法解釈である」などと言っている。それならば、内閣法制局など最初から要らないことになるではないか。歴代の内閣は、自らの自制機関として法律の専門家である内閣法制局に、憲法や法律の解釈を委ねてきたのだ。
近代の自由主義は、権力というものに対する猜疑から出発している。三権分立という仕組みは、その現れである。その意味するところは、権力の集中排除、すなわち権力の分散である。そのようにしても、どこの国でも、行政権力が優越的になることを否めないのが実情である。こうした実情に鑑み、各国とも、行政権力の内部に自制機関を設けるようになった。わが国でも、行政管理庁や総務庁が設けられ、いまは総務省が行政の肥大化などを自己規制しているのである。内閣法制局は、憲法や法律の解釈が政府の恣意で勝手に行われないように、法律の専門家で構成される自制機関である。
国民の選挙によって選出される権力といえども、この考えは同じである。大衆民主主義は、時々とんでもない選択をする。ヒットラーもブッシュ・ジュニアも選挙で圧勝して誕生した政権だったが、選出した主権者が、いまやその誤りを認めている。安倍首相や自民党は、選挙というものに対する冷静な認識を持たなければならない。それが、現代に生きる良識と智慧ある政治家の資格である。いまの安倍首相にそのようなことは、望むべくもない。それどころか、安倍首相は完全に舞い上がっている。狂喜乱舞している者は、現実を正しく認識することができない。現実から乖離した政治は過ちを犯し、結果として国民を必ず不幸にする。
権力者が舞い上がり、とち狂っているのを諌める役割を担っているのがジャーナリズムであり、報道機関である。現代ではマスコミがその役割を果たさなければならないのだが、わが国のマスコミは、いまや安倍政権に完全に籠絡されている。戦後の歴史の中で、今日ほど堕落したマスコミを私は見たことがない。政治の世界でこの役割を果たすのは、野党である。野党の役割は、権力への抵抗である。抵抗する勇気も価値観もない政党など、野党とは言えない。責任野党など呼ばれて、安倍内閣にすり寄っていく野党がいるのだから、世も末だ。こういう時こそ、国民は冷静にならなければならない。国民が権力を批判しなければ、この国はダメになる。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。
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