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吉本隆明と小沢一郎
http://m-hyodo.com/ozawa-8/
2014年02月15日 兵頭正俊 兵頭に訊こう
都知事選が終わって、舛添要一が当選したことで、安倍晋三は自分の原発維持推進政策が信任されたとみて、これから再稼働へと動く。
原発は、これまでに人類が生み出した、もっとも愚かな生産物である。最終処分場がないのに、再稼働させて、さらに核のゴミを増やす。明日なき、その場しのぎの、無責任な政治が続く。
これを許した一点をもってしても、今回の都知事選の敗北は重いものがある。
細川護熙はなぜ敗れたか。
細川選対の惨状が、現場を実際に見た鎌田慧によって書かれている。「「地上戦なしの空中戦」が、選挙責任者の方針だった」など、読むと細川が気の毒になってくる。
『朝日新聞デジタル』の記事であるが、『大木春子のページ 明日も晴れ』に全文が掲載されている。
http://bit.ly/MicsZi
今回の教訓を挙げると、候補者の一本化は、どうしたら可能か、ということに尽きる。
何よりも、共産党に党勢拡大のための候補者擁立をやめてもらわなければならない。
そのためには、早い段階に、少なくとも宇都宮健児のような「降ろされぬための早出しジャンケン」を防ぐために、市民団体による候補者選定を宣言するのである。そして一本化を市民団体で行い、それを政党が推薦あるいは支援する。
政党に任せておいたら、同じ間違いを延々と繰り返すだろう。
さて、5日ほど経つが、まだ都知事選の論争がツイッターでは続いている。
それも細川陣営と宇都宮陣営の論争だ。
それを「世に倦む日日」が、こうツイートしていた。
2月11日
「ネットの中を見ると、宇都宮健児の選挙で熱狂している粗暴な左翼が、鎌田慧の著書をゴミ箱に棄てよと扇動している。遂に焚書運動にまで発展した。恐ろしい。獰猛な野獣のように目を血走らせ、鎌田慧に「総括」を迫っている。澤地久枝や瀬戸内寂聴にまで「焚書」と「総括」が及ぶのだろうか」
2月13日
「新自由主義者の脱原発は信用できんと、宇都宮健児を支持した左翼は言うのだが、例えば、米国での脱原発の動きは、きわめて市場原理主義的な論理と動機に媒介されている。事故時のコストが大変とか、福島の影響で保険金が高騰してとか。新自由主義と脱原発が併存する形もあるかも。古賀茂明とか見ても」
2月14日
「ネットの中の宇都宮健児支持者の声というのは、まるで新興宗教の信者のようだ。すべて、仲間から伝え聞いた断定フレーズ(それはデマだとか、こいつは反共だとかの宣伝文句)を、自分で検証もせず、鵜呑みにして、TWで拡散しまくっている。拡散ロボットの左翼工作員。文革の紅衛兵そのもの」
状況が見事にくっきりと切り取られている。「拡散ロボットの左翼工作員」とはうまく表現したものだ。ただ、「文革の紅衛兵そのもの」というのは褒めすぎだろう。紅衛兵は本気で信じ、本気で行動していたが、現在の古い左翼を信じている者たちは、「左翼もどき」であり、一過性のものだ。
「拡散ロボット」がやっていることは、この者たちの思い込みとは違って「赤狩り」であり、放っておけば、すぐに静かになり、ナショナリズムに迎合して、いずれ右翼と一体化する。
右翼は、安倍晋三や田母神俊雄が引っ張るのは荷が重すぎるだろう。
いずれ、もっと若い、冷静で頭のいい、魅力的な右翼が出てきて、対米自立、格差社会の解消、「脱原発」、安保条約の廃止などを訴えたとき、4月からの消費税増税で飢餓との闘いに追い込まれた国民は、なだれ込む可能性が高い。
そのときが、ほんとうに日本が滅びに向かって走り出すときだ。
最近、ツイッターのTLに、わたしを誤解して、決めつける「拡散ロボットの左翼工作員」のツイートが出てきたので、ここでわたしの思想的立場を明らかにしておきたい。
わたしは右翼でもなければ、左翼でもない。
このあたりは、わたしの書くものによって、誤解は少ないものと思われる。
また、わたしは生活の党の党員でもない。これも誤解は少ないと思われる。
誤解があるのはここからだ。わたしは生活の党のサポーターでもない。現在もそうでないが、過去にそうだったこともない。
さらにわたしは小沢一郎の信者でもない。過去、吉本隆明の主義者だったこともない。
吉本隆明と小沢一郎。このふたりは似ているところがある。
ふたりとも原理原則、論理への嗜好が強いこと。商業ジャーナリズムを信じていないこと。強力な味方と敵に囲まれていること。そして強者のイメージで語られることが多いが、実はとても繊細な人物であること。
わたしは、若い頃に吉本隆明の『試行』誌に寄稿していた。若い皆さんはご存知ないと思うが、『試行』に作品を載せただけで、通用するという時代があった。それで載せたとたん、わたしは吉本主義者のひとりに見られ、多くの敵に囲まれることになった。
わたしの側にいる人間は、わたしが吉本を評価もすれば批判もすることを知っていたので、主義者などという存在でないことをわかっていたが、『試行』の寄稿者はほとんど主義者扱いされたのではないかと思う。
それだけ吉本隆明が大きな存在だったということだ。
ただ、『試行』誌の寄稿者は、ひとりも主義者といわれるような表現者はいなかった。
吉本隆明には論壇の敵が多く、毎月、雑誌に吉本批判の載らない月はなかったといっていい。そのうち、わたしは面白いことに気付いた。反吉本主義者が実は吉本主義者なのだ。
反吉本主義者は、吉本の、一挙手一投足を、毎日追い続け、実によく知っていた。誤解を怖れずいえば、わたしよりよく知っていた。
かれらの吉本批判を読んで、何日前にどこで講演して、吉本がどういうことを喋った、と知ることも少なくなかった。
小沢信者なるものの実態もそうではないかと思う。小沢のまわりには多くの政治家がいるが、信者はひとりもいないのではないか。
それぞれ自立しており、知られているように小沢と袂を分かつ政治家も少なくない。
小沢の政敵や論敵が、実は小沢の一挙手一投足を追い続ける信者であって、生活の党の政治家たちは、自立しているのだと思う。
現実とは得てしてそういうものだ。わたしは、ひとりの人間を信仰にまで深める(貶める)ことができない種類の人間である。
学生時代に多くの宗教書を読んだが、信仰心にまでいたることはなかった。バイブルも初めから文学として読んでいた。
それではなぜわたしが小沢一郎を支援するのか、ということだが、それは、なぜ小沢一郎を支援しないのか、と切り返した方が、問題の核心に早くたどり着く。
◇
都知事選、脱原発派は敗れたのか 鎌田慧氏が寄稿 朝日新聞デジタル記事。
http://seiko-jiro.net/modules/newbb/viewtopic.php?viewmode=flat&order=DESC&topic_id=2001&forum=1
2014-2-13 1:01 大木春子のページ 明日も晴れ
(写真は、経産省前テントひろばでの鎌田慧さん。撮影:大木晴子)
ここから朝日新聞デジタル記事です。
東京都知事選挙で脱原発を掲げる候補の一本化を呼びかけたルポライターの鎌田慧さんに選挙結果をどう受け止めたか、寄稿してもらった。
◇
東京都知事選は結局、自民と公明の与党が支援した舛添要一氏が逃げ切ったかたちで当選を果たした。「原発ゼロ」を最大公約に掲げ、自民党の原発推進政権に歯止めをかけようとした細川護熙氏は敗れた。細川氏は起ち上がりの遅さを最後まで挽回(ばんかい)できなかった。
街頭演説では、「原発ゼロで日本を再生しよう」と訴え続けた小泉純一郎氏と細川氏との元首相コンビが、圧倒的な人気をみせていた。どこでも千人を超す人垣ができた。
それが票となって表れるなら、細川氏が舛添氏に圧勝していたはずだ。が、東京の地下深くに延びている、保守的な岩盤、自公の組織票を崩すことができなかった。
今回の都知事選は、自公が舛添氏を支援し、共産、社民が宇都宮健児氏を推薦、細川氏は民主などが支援という三派鼎立(ていりつ)の構図だったが、民主を支えている連合東京は舛添氏を支援した。東電労組や電機メーカーなど原発関連産業の労組は、原発とその再稼働に賛成だから、労使一体となって、脱原発の「細川不支持」だった。
都知事選は、米軍基地建設反対を掲げて当選した沖縄の名護市長選挙、同じ日にやはり自民の国会議員に支援された候補が敗北した福島県南相馬市長選挙に続いて、安倍政権のきわめて右派的な重要政策(原発推進、秘密保護法実施、集団的自衛権容認)にストップをかける、重要な選挙だった。
細川氏と小泉氏は原発ゼロの経済効果を説くばかりではなく、政治の流れを変える、とも語った。保守派からの「安倍右傾化」批判でもあった。自民党から除名された舛添氏を、安倍首相が担いで選挙を戦ったのは、ほかに勝てそうな候補がいなかったからだ。
舛添氏の公約は「東京世界一」「史上最高のオリンピック」というものだった。日本の将来よりも当面の利益を保証する、という公約が、原発依存と建設ブームに期待する大企業や、不況と失業に打ちひしがれている中小業者や若者たちの期待感を引きつけたのは事実だった。
選挙戦がはじまったとき、細川選挙事務所にいってみると、運動員はいない、ビラはない。街宣車のマイクが小さい。指揮系統がはっきりしない。集まってきたボランティアは、仕事がなく、すごすご帰るありさまだった。「地上戦なしの空中戦」が、選挙責任者の方針だった、という。
態勢を組み直されたのは、当初の運動責任者が一掃されてからである。そのときは、もうすでに一週間がすぎていた。つまり、「舛添が勝った」というより、細川選対の準備不足の敗北だった。
せっかく、二人の元首相が、「原発を認めたのは無知だった。間違いだった」と公衆の面前で重大な告白をしても、宇都宮氏を推す共産、社民の陣営はかつての小泉政治を批判して聞く耳をもたず、共倒れとなった。日本の政治の未成熟さだった。
原発が再稼働に向かおうとする前夜に、原発の危険性を叫び続けた細川氏の功績は大きい。経済もオリンピックも、もう一度原発の事故が起きればゼロである。
「原発ゼロでオリンピックを迎えよう」は、いまも有効な警世の叫びである。
◇
かまたさとし 1938年青森県生まれ。ルポライター。早稲田大学を卒業後、業界紙、雑誌記者をへてフリーランスに。労働問題、公害など社会問題に取り組み、1970年代初めからは原子力発電の危険性を鋭く指摘してきた。著書に『自動車絶望工場』『日本の原発危険地帯』『六ケ所村の記録』など。
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