http://www.asyura2.com/14/senkyo161/msg/540.html
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(回答先: 憲法の解釈は、憲法の解釈上、オレが決めることができる。ソースはオレ。by安倍晋三/これをもって「独裁者」と称す。 投稿者 gataro 日時 2014 年 2 月 15 日 10:42:50)
日本国内閣総理大臣としての適格性を欠く安倍氏にはやるべきことをやったらできるだけ早く職を辞してもらいたいと思っているが、暴論が跋扈している「憲法解釈発言」については彼を擁護したい。
Gataro氏が引用しているツイッター発信による批判は、「立憲主義を否定する総理大臣」という表現でわかるように、安倍首相の国会答弁が立憲主義から逸脱していると見ることが基礎にあるようだ。
Gataro氏が引用しているツイッターのなかに書かれている「立憲主義の凄みは、選挙で圧倒的なしし支持を得た政治家であっても、憲法には逆らえない点」にあるという考えには強く同意するが、今回の安倍発言はその問題に抵触するわけではない。
安倍首相の衆議院予算委員会での答弁は、内閣が権能上有する憲法条文解釈権の誤った行使という批判は成り立っても、立憲主義を否定するものという批判は的外れになるものである。
左派リベラル系の人たちが橋下氏ともども安倍氏をいたく嫌い排除したい気持ちは理解できるが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的な批判は知的退廃や政治的自滅につながるものであり、支持の拡大にも願いの実現にもつながらない。
先日の投稿でも書いたが、憲法裁判所がないこともあってか、内閣法制局の国会答弁がなにか権威のある重みのある憲法解釈であるかのような扱いを受けてきた。
司法(最高裁判所)が政治的対立を孕む事案について“高度な政治的判断”なる理屈を付けて違憲合憲の判断を避けてきたことが、そのようなおかしな状況を生み出した背景とも言える。
「立憲主義からの逸脱」を批判したいのなら、一行政機構の国会答弁でしかないものがまるで憲法の解釈を決するものであるかのように珍重されてきた経緯と状況こそを問題にすべきである。
Gataro氏のように、憲法解釈を巡る安倍発言について、「これをもって「独裁者」と称す」というのなら、歴代の内閣法制局長官は「独裁者」ということになる。
安倍首相の憲法解釈の是非はとりあえず脇におくが、「最高の責任者は私です。私が責任者であって、政府の答弁に対しても、私が責任を持って、そのうえにおいて、私たちは、選挙で国民から審判を受けるんですよ。審判を受けるのは、法制局長官ではないんです」と答弁した安倍首相は、憲法解釈権行使の奇妙な実情を踏まえ、脱官僚という政治的表明にとどまらず、立憲主義に則った正常化を表明したと言うことができる。
内閣に憲法解釈がつきまとうのは、内閣が法律案を国会に提出すること自体が憲法で認められているわけではないと考えているが、内閣に法律案を作成し国会に上程する権能があるためである。
内閣法制局は、内閣が作成する法律案が合憲で矛盾も抜け穴もないように助言する行政機関であるが、そのような機能でしかないある行政機関を抽象的な憲法解釈権保持者であるかのように扱ってきたのがこれまでの日本なのである。
歴代の内閣総理大臣の罪は、内なる一行政機関である内閣法制局に対し立憲主義に背く“権威”を付与し、そのような内閣法制局の憲法解釈を支えに違憲の対米従属政策を遂行してきたことにある。
安倍首相の国会答弁は、内閣法制局を隠れ蓑にするような奇妙な慣行(政治的マヌーバ)を否定し、一身が責任を負うと表明したことに意義がある。
※ 参照投稿
「安倍首相、憲法解釈の見直しの判断について「私が最高責任者」:内閣法制局は立法上の助言者:首相の解釈も争う解釈のただ一つ」
http://www.asyura2.com/14/senkyo161/msg/398.html
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