12. 2014年3月10日 19:08:33
: Un6heX4IUI
GHQは認めなかった朝鮮学校が認可された経緯がマジキチ。朝鮮学校は7000人以上動員したテロの成果だった‥ 694: 可愛い奥様 2014/01/01(水) 10:53:00.82 ID:pF1I55ju0 共産党と朝鮮人がやったこと↓↓
■阪神教育事件(1948年4月23日〜25日 @@戒厳令(国家非常事態宣言)と、在日朝鮮人 大阪市および神戸市において、朝鮮人学校問題をめぐって在日朝鮮人連盟系約2500名が府県庁を取り囲み、知事以下の上層部を軟禁して暴行脅迫し、多数の器物毀棄行為に出た。 このため進駐軍神戸地区司令官より、「非常事態宣言(戒厳令のこと)」が布告された騒擾事件で、検挙者1800名および、首謀者は軍事裁判に付され、一部は国外追放となった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AA%E7%A5%9E%E6%99%E8%B2%E4%BA%8B%E4%BB%B6 >阪神教育事件 −朝鮮人学校問題をめぐってGHQは、戦後唯一の非常事態宣言を布告した− ↑ 期限を区切って、 外患誘致団体の民団・総連・日教組・共産党・犬HK、 変態毎日、朝日新聞は解散させるべき 692: 可愛い奥様 2014/01/01(水) 10:06:52.37 ID:2UpbhKPg0 在日が全員しねばいいのに http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1388108055/ ※補足 阪神教育事件wikiより概要 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E6%95%99%E8%82%B2%E4%BA%8B%E4%BB%B6 阪神教育事件とは、1948年4月14日から4月26日にかけて、大阪府と兵庫県で発生した在日朝鮮人と日本共産党による民族教育闘争、大規模テロ、逮捕監禁・騒乱事件のこと。 大阪の事件は大阪朝鮮人騒擾事件(大阪事件、朝鮮人府庁乱入事件)と呼ぶ。 神戸の騒乱事件は、神戸朝鮮人学校事件(神戸事件)と呼ぶ。 GHQは、戦後唯一の非常事態宣言を布告した。 ■事件の発端 1947年、GHQが日本政府に対し「在日朝鮮人を日本の教育基本法、学校教育法に従わせるよう」に指令した。 在日朝鮮人の子供は日本内地の教育で朝鮮語ができなかった。 ↓ 日本語が分かる在日朝鮮人が勝手に先生になり、教材も勝手に作って講習会を開きはじめた。 ↓ 講習会は朝鮮学校という名前になった。 1948年、文部省が各都道府県知事に対し通達を出し、 朝鮮人学校の閉鎖と生徒の日本人学校への編入を指示(朝鮮学校閉鎖令) ↓ 在日本朝鮮人連盟(朝連)が、朝鮮学校閉鎖令に対し反対表明 朝鮮人主観の「民族教育を守る闘争」を全国で展開するように訴えた。 ↓ 大阪府と兵庫県が通達に基づき朝鮮学校を閉鎖 ↓ 大規模テロ、逮捕監禁・騒乱事件が起きる =大阪事件・神戸事件 694_01 △写真 デモ隊を鎮圧する大阪市警 ■大阪事件 1948年4月23日9時 大阪城前の大手前公園で、朝鮮人学校弾圧反対人民大会が開催 在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余が集結 16人の代表が選出され、大阪府庁舎で大阪府府知事との交渉を行うことになった。 12時30分 大阪府庁知事室において、副知事(知事は当日不在)と朝鮮人代表16人が交渉開始、 合意に至らず。代表者はしばしば威圧的、脅迫的な言動を行った。 15時 大手前公園にいる7000人余の中から、シュプレヒコール。 50人余の青年が行動隊を編成し、スクラムを組んで大阪府庁前の阻止線を組織的な暴力で突破。 15時30分 行動隊に続いて、7000人余も大阪府庁に暴力で突入。 3階までの廊下を暴力で占拠。 副知事は警察官の誘導により、戦時中に作られていた地下道を通って脱出。 17時 群衆、知事室になだれ込みドアや調度品を破壊するといったテロ活動。 夜 大阪城周辺の各所で在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人がかがり火を焚く。 アメリカ軍や武装警官が到着。 在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人らと乱闘。 在日朝鮮人の1人死亡、20人負傷。警官側は31人負傷。 騒擾罪で179人検挙。 4月25日 朝連や日本人約300人が大阪南警察署に押しかけ、逮捕者の釈放を要求、脅迫。 警官隊は威嚇射撃を行い追い返す。 4月26日 朝連は大阪東成区や旭区などで「朝鮮人学校弾圧反対人民大会」を開催。 午後 朝鮮人代表と大阪府知事で再度交渉。 15時40分 別室に待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と大手前公園に集結していた在日朝鮮人2万人の解散を指示。 在日朝鮮人1600人のデモ隊が再び大阪府庁に向かい、武装警官隊の阻止線で投石を開始。 武装警官隊は消防車に放水をさせ、デモ隊に突入し拳銃で発砲。 在日朝鮮人1人死亡。 ■神戸事件 1948年4月10日 兵庫県県知事が朝鮮人学校の封鎖命令を出した。 4月14日 朝連が兵庫県庁を訪れ知事との交渉を要求。 言動はしばしば威圧的、脅迫的になった。 4月23日 警官隊とMPは、朝鮮人学校灘校と東神戸校を封鎖。 4月24日 2校の封鎖に抗議する在日朝鮮人や日本人が、兵庫県県庁前に集結。 9時30分 兵庫県庁知事室で、知事、神戸市長、検事ら15人が、朝鮮人学校閉鎖仮処分執行問題と、在日朝鮮人の抗議集会対策を協議。 朝連がその協議の内容を入手し、約100人の在日朝鮮人や日本人で兵庫県庁内に突入。 知事応接室を占拠して備品などを破壊するテロ行為をした後、壁を打ち破って知事室になだれ込み、知事やMPを拉致監禁。 約100人は電話線を切断し、「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などを、自由を奪った状態の知事に強要。 17時 知事は暴力的な威圧の下でそれらを全部誓約。 22時 知事、副知事、検事、警察長、古山神戸市警察局長らが、占領軍兵庫県軍政部に集められた。 23時 兵庫県軍政部は「非常事態宣言」を発令。 全警察官はアメリカ軍憲兵司令官の指揮下に入る。 兵庫県庁への乱入者の徹底検挙が命じられ、暴力的な威圧下で誓約させられた「学校閉鎖令の撤回」などは、すべて無効とされた。 4月25日早朝 アメリカ軍憲兵や日本警察官が、兵庫県庁への乱入する集団テロの関係者の検挙を開始。 4月28日 非常事態宣言解除。 4月25日から4月29日までに、7295人(公安資料)が検挙された。 日本共産党神戸市市議会議員・堀川一知も検挙された。 ■結果 同年5月5日、朝連教育対策委員長と文部大臣との間で、「教育基本法と学校教育法を遵守する」「私立学校の自主性の範囲の中で朝鮮人独自の教育を認め、朝鮮人学校を私立学校として認可する」との覚書が交わされた。 |