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「暴走・安倍ネオリベ路線は「ひのもと」を地獄に叩き落とす
若い人たちは、我々が生まれ育ったこの日本の異称を「日の本(ひのもと)」と呼ぶことを知らない人が多い。
タイトルにある「ひのもと」というのは「日本」の雅語である。
通説としてよく知られているが、飛鳥時代(7世紀)のはじめごろ、聖徳太子が「日出ずる處の天子、書を日沒する處の天子に致す。恙なきや」が含まれる書簡を遣隋使・小野妹子に託し、この文面を見た隋王が激怒したとある。(「隋書」倭国伝)
隋の王が、この書簡の「日出ずる處」にカチンと来たのか、あるいは「天子」に僭称(せんしょう=身分を越えた称号を名乗ること)と感じたのか分からない。
そのことはさておいて、我々日本人が日本のことを「ひのもと」「にほん」「にっぽん」と呼ぶようになったのは、この書簡にある「日出(い)ずる處(ところ)」が元になっている可能性が高い。
その時代、覇権大国・隋(古代中国)は、日本を「倭(わ)」と呼び、日本でも「大倭(ヤマト)」などと名乗っていたようだ。
だが、7世紀後半になると朝廷はこれをいつの間にか「和(わ)」という文字に置き換え、「大和(ヤマト)」になっていて、日本の国号は現在の「ひのもと」という意味の「日本」になっていた。
先祖たちがどういう思惑で日本という国号を定めたのか分からないが、少なくとも前述の小野妹子が隋王に渡した書簡にある「日出ずる處」が国号「日本」の下地になっているように思われる。
「日出ずる處」とは太陽の出没という意味ならば、単に地理的に東の場所にあるというほどの意味であり、「日沒する處」とは西の場所ということになり、両国の相対的な位置関係である。
これを国家総体の国力や品格という意味でとらえれば、常識的には、「日の出」はこれからの勢いであり、「日没」は没落を示すから、隋王が小国の「倭」風情が何という大それたことを言うのかと感じたのも無理はない。
もしも聖徳太子が「日出ずる場所」と「日没の場所」という対置表現に、我が国だって中国(隋)に負けず劣らず一人前の国家であり、対等な立場で臨んでいるのだよという意味を込めているのなら、当時の華夷秩序を考えるともの凄い根性だと言わねばならない。
(※華夷秩序:かいちつじょ=中国一辺倒のパラダイムのこと)
福岡県のあまりにも有名な民謡である「黒田節」にも「日本一(ひのもといち)のこの槍を」という歌詞が出てくる。
今から千年以上も前のわが国の為政者たちは、周辺諸国を冊封(さくほう)体制に置いて、全てにわたって睥睨していた巨大国家に対しても、ひるむことなく対等に渡り合おうとしていたようだ。
それに比べて、戦後の歴代政権のトップにある為政者の矜持のなさ、自存自立心のなさは目に余るものがある。(田中角栄は例外的。)
1990年代の橋本政権の金融ビッグバン辺りから日本はグローバリズムの潮流に押し流され、それは小泉政権で完全に表層化した。
日本が新自由主義に付け込まれるということは、逆説的には日本らしさを喪失していることになるので、国家・国民のアイデンティティの部分でも崩壊の危険が迫っている。
この話は、戦後の日本人がアメリカの自由主義に憧れるとともに、伝統的なアイデンティティが薄れてきたという素地があり、そこへ米国的な新自由主義(ネオリベラリズム)が付け込んできたという見方がある。
もう一つは、GHQ統治以来、マスコミを中心とした東京裁判を基調にした報道や戦後教育などの刷り込みが、日本人の精神から徐々に伝統的な心性を解体していった。
その結果、三島由紀夫が憂慮したように日本人の心の隙間に無国籍状態が蔓延し始めた。
そこへ米コーポラティズムの新自由主義が浸透してきたという見方もある。
戦後日本人に生じた精神位相の変遷を眺めると、おそらく両者の要素があるのだと思われる。
安倍首相の最大の自己矛盾は、戦後レジームからの脱却と言いながら、対米従属を強化していることにある。
戦後レジーム(体制)とは、米国の直接・間接統治状態であるから、脱却するというのであれば、米国の支配力からの脱却以外にはありえない。
簡単に言えば、米国の直接統治とは米駐留軍がいる現実であり、間接統治とは米政府関係者や軍関係者による内政干渉である。
この現実に向き合わず、安倍政権のやっていることは、対米隷属を日米同盟の強化と言い換えて自家撞着し、やっていることは宗主国の命令通りに国政を運営しているだけである。」
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2014/02/post-c277.html
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