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2014年02月09日
安倍首相のソチ五輪出席を報じるきょう2月9日の各紙の記事の中で私は朝日新聞の掲載されていた次のような記事に注目した。
すなわち朝日新聞は、開会式に見せた習近平主席と安倍首相の態度の違いを観察してこう書いている。
「・・・二人は貴賓席中央のプーチン大統領を挟んで40席ほど離れた場所に座った。声を掛け合うような機会はなかった。二人は選手の入場行進でも対照的な姿を見せた。習近平氏は中国と香港の選手団の入場の際には立ち上がって手を振って激励。台湾選手団の入場時には座ったまま拍手を送った。ところが日本の入場がアナウンスされると、硬い表情で両手を膝の上に重ねたまま、身動き一つしなかった。一方、安倍首相は、中国選手団の入場の際も拍手を送っていた・・・」
この描写をどのように理解すればいいだろうか。
一言でいえば歴史認識をめぐる日中両国の指導者の胆力の違いである。
習近平主席は安倍首相がその誤った歴史認識を改めるまでは徹底的に安倍首相と対決していくと言っているのだ。
たとえ日本国民を敵に回しても構わない。
もはや間違った歴史認識に固執安倍首相を許す日本国民もまた中国の敵だと言っているのである。
これはかつて中国の指導者が、悪いのは対中戦争を始めた日本の軍国主義であって、日本国民もまた中国人民と同様に日本軍国主義の犠牲者だ、と言っていた頃の寛容な中国とは様変わりしたということだ。
このような習近平主席の胆力の前に、安倍首相もそれに負けない胆力が必要だということだ。
しかし安倍首相にはそれが見えない。
口では強がりを言っているが、何とかして中国との関係を改善したいという弱気が見える。胆力の違いだ。
そんなことでは習近平主席に勝てるはずはない。
自らの歴史認識を貫き、それを批判する中国政府や中国国民を敵に回しても譲歩しないという胆力か、それとも歴史認識の誤りを認めて謝罪し、そこから正しい対中関係を構築して再出発するという胆力を、土力を持たなければいまの日中関係の打開は望めない。
習近平主席に勝てる正しい胆力とはどちらか。ちろん後者である(了)
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