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「脱原発」候補一本化の失敗のわけ
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2014年02月08日 兵頭正俊 兵頭に訊こう
今日は雪だ。雪のなかで細川護熙と小泉純一郎の最後の訴えが、東京を駆け抜ける。
表舞台に出てこない小沢一郎を含めて、70歳を過ぎた、かれらの「脱原発」は、おそらく最後の巡礼になる。
人間、誰しも間違う。間違って、非を詫びる。それは許されるべきだし、それを許さない社会は、きわめて貧しい社会だ。
個人としても、人の謝罪を許さない人は、それならお前さんは間違わないのか、と問われるだろう。
かれらの先は長くはない。遺言と贖罪の旅にかれらは出た。せめてかれらの最後の言葉を静かに聞きたい。信じる、信じないは各自の勝手だ。しかし、保守の「脱原発」こそが、もっとも有効なのだ。強大な原子力村と闘うには、かれらの力を使うのがいいのである。
日本人の政治的民度は低い。これは残念ながら認めなければならない。
選挙がある。すると、立候補者の政策を見る。ツイッター上でもほとんどこのレベルに留まっている。
これはそれなりのレベルの高い有権者なのかもしれない。しかし、政策だけで投票先を決めてはならないように思われる。
ましてわが国のように政権与党が、公約を反故にするのみならず、公約とは逆のことをやって、何とも思わない劣化した政治文化のもとでは、危険である。
ツイッターで、「細川護熙 応援団」が、1月6日に、細川護熙のこんな発言を紹介していた。
「直下型地震対策や防災・介護・障害者福祉・雇用などさまざまな問題があるが、都の職員の方々がずっと練り上げてこられた『2020アクションプログラム』というすばらしいものがある。さすが都の職員の方々は優秀。ほとんどこれに付け加えることはない。このスピードアップを図りたい」(細川護熙)
「リーダーに求められていることは大きな方向を示すこと。トップが重箱の隅をつつくようなことをいうと、みんな萎縮し組織がうまく回らない。大きなビジョンを示し、職員の方々にやる気をもっていただく。17万人都職員の方々のモチベーションを高め、都庁という組織が都民のために動く」(細川護熙)
つまり、当たり前のことであるが、都政は止まっていて、新知事が決まってから動き出すのではない。石原慎太郎、猪瀬直樹と動き、選挙中の現在も動いている。
細川護熙や小泉純一郎が、「脱原発」以外は誰が知事になってもそんなに変わらない、と至る所で繰り返しているのは、現実を語っているのである。
こんな当たり前のことの、わかっていない人が非常に多いように思われる。
200、300のいかに詳細な政策を掲げても、その多くはすでに都政に組み込まれて機能している。その改革をやろうとしたら、都の与党(自民党と公明党)との交渉・対決になろう。
大切なのは「脱原発」といった大きな政策を実現するための知事の政治力であり、経験、知恵、人脈である。
さて、やはり、というべきか、当然というべきか、ルポライターの鎌田慧(さとし)ら19人でつくる「脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会」による、細川護熙と宇都宮健児の、一本化はならなかった。
細川陣営は「生まれたムーブメントを今後につなげるやり方もある」、「政策の優先順位も異なる」などと説明した。
宇都宮陣営は「告示後であり期日前投票も始まっている」、「原発以外の多くの政策が一致していない」のを理由とした。
まず、鎌田らの善意の仲介をねぎらいたい。
しかし、わたしがメルマガやツイッターで何度も述べてきたように、もともと一本化は無理であり、選挙戦に突入した段階でするべきものでもなかった。
第一 、宇都宮健児の背後にいる共産党が、宇都宮健児に降りることを許すはずもなかった。
その理由は2点ある。
1 ここで宇都宮健児に降りられたら、共産党の党勢拡大の機会が奪われることになる。
共産党にとって「脱原発」は手段であり、目的はこの都知事選をとらえての党勢拡大にある。
それなら選挙戦に突入する前の一本化は可能であったか、といえば、それも不可能だったと思われる。
もし、選挙戦の前に宇都宮が細川との話し合いで降りるとなったら、共産党は別の候補者を立てただろう。
都知事選の後、小泉純一郎が「脱原発」候補を支援に行くといっていた山口県知事選は、2月6日に告示され、投票日は、2月23日である。安倍晋三のお膝元で、ここで自民党が負ければ、安倍の基盤は大きく揺らぐ大切な選挙になる。
ところが、ここでも生活の党推薦の候補者とともに、共産党も立って、「脱原発」を分裂させる。結果として自・公推薦候補が非常に有利になる。
これをずっと共産党はやってきている。つまり勝利よりも党勢拡大の機会として選挙は捉えられているので、一本化などとんでもないのだ。
鎌田らは、その辺の共産党の、理解の仕方が不十分なように思われる。
もともとこの会の名称に首をかしげる。「脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会」というのだが、言葉の本来の意味において共産党推薦の宇都宮健児は、「脱原発」候補ではない。
もっと本質的なことをいえば、細川護熙や小泉純一郎のいう「脱原発」などが実現したら、共産党は困るのだ。
「脱原発」での両候補の一本化は、最初から宇都宮への誤解に基づく要請なのだ。これが次の2番目の理由になる。
2 日本共産党は福島第1原発事故が起きるまでは、核エネルギーの平和利用の可能性を積極的に肯定してきた。
国会等で共産党の議員が、政府に対して原発の安全確保策を迫るものだから、一般に共産党が以前から原発を危険なものとして否定してきたと誤解されがちである。
しかし、これは大きな間違いで、共産党は、日本における原発の存在そのものを否定してきたわけではないのである。
第22回大会第7回中央委員会総会(2003年6月)において、不破哲三議長(当時)は以下のように発言している。
「現在、私たちは、原発の段階的撤退などの政策を提起していますが、それは、核エネルギーの平和利用の技術が、現在たいへん不完全な段階にあることを前提としての、問題点の指摘であり、政策提起であります。
しかし、綱領で、エネルギー問題をとりあげる場合には、将来、核エネルギーの平和利用の問題で、いろいろな新しい可能性や発展がありうることも考えに入れて、問題を見る必要があります。
ですから、私たちは、党として、現在の原発の危険性については、もっともきびしく追及し、必要な告発をおこなってきましたが、将来展望にかんしては、核エネルギーの平和利用をいっさい拒否するという立場をとったことは、一度もないのです。
現在の原子力開発は、軍事利用優先で、その副産物を平和的に利用するというやり方ですすんできた、きわめて狭い枠組みのもので、現在までに踏み出されたのは、きわめて不完全な第一歩にすぎません。
人類が平和利用に徹し、その立場から英知を結集すれば、どんなに新しい展開が起こりうるか、これは、いまから予想するわけにはゆかないことです」
ところが、共産党は福島第1原発事故と、その後の大きな国民の「脱原発」運動に慌て、志位和夫委員長が、2011年6月13日に、「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を――国民的討論と合意をよびかけます」と題した提言を発表した。
ここで、「5〜10年以内を目標に原発から撤退するプログラムを政府が策定することを提案」したのである。
宇都宮の「10年で原発を撤廃」という、のんきな政策はここから出てくる。
10年後など、反対声明を出してお茶を濁すといっているのと同じだ。それに10年後に宇都宮はまだ確実に生きているのか。いや、まだ日本社会はあるのか。細川の「原発は即時停止」とは、現状認識と危機感がまったく違う。
いずれにしても「原発ゼロ」を初めてここで打ち出したのだが、これが非常に問題なのだ。
「原発からの撤退後も、人類の未来を長い視野で展望し、原子力の平和的利用にむけた基礎的な研究は、継続、発展させるべき」としたのである。
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