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都知事選 終わってないけど総集編
(管理人が依頼を受けて元記事リンク削除)
2014年2月7日
2/9の選挙まで、「選挙活動」できるのは残り1日となりました。情報のスピードが早過ぎて、これまでは主にFacebookで発信してきましたが、その過程でまとまってきた考えを、最後にブログに書いてみたいと思います。(誰が都知事にふさわしいか?という話ではなく、ただの個人的な感想です)
今回は「どの候補を支持」ということを発表しないで来ましたが、それは最後まで変わりません。政策の違い、または政策だけでは分からない、バックグラウンドから読み取れる方向性、そこに賛成、反対はもちろんありますが、全ての意見は尊重されるべきだと思います。とにかく多くの人に、関心を持ってもらいたい。
例えば、自分が支持する「原発ゼロ」の候補者が勝った場合。今回に限らず、仮に国政で優位を占めたとします。その時、「多数決によって民意は示された」と言って、粛々と一方的に進めるのが民主主義でしょうか?私はそうは思いません。原発ゼロによって打撃を受ける職種の人たちは大勢いるはずです。その方々の意見が「少数派」として無視される社会は、それもまた健全ではないと感じます。
知事選の場合は、たった一人しか選ばれない。勝つと言う事はその瞬間、その過程で「目の敵」のように思っていた候補者、その支持者、その全てをまとめて行くということになるでしょう。自らの主張を訴えるだけでなく、自分とは異なる主張の候補が、いったい何を訴えようとしてるのか?せっかくの機会ですから、私は今のうちに耳を傾けてみたいと思いました。
(届け出順)
<宇都宮けんじ氏>
脱原発を第一に掲げていない、と言われるが、前回の都知事選では、私の記憶では第一に掲げていたと思う。それでは多くの支持を得られなかったため、この一年間、何が都民のニーズなのか、徹底的に勉強されたのだと思う。それは、候補者討論会における圧倒的な知識、数字の裏付け、説得力に如実に現れていると感じました。
<田母神としお氏>
確かに、自分の考えとは真逆に見える。しかし、街頭演説、討論会における姿を見ると、その人柄もあり、支持者からとても親しみを持たれている理由が、よく分かる。「戦争をしたいわけではない。戦争を防ぐために軍事力を強化するのだ」という主張は、荒唐無稽とは言えない。これは非常に重要なテーマで、私たちひとりひとりが、これからも考え、議論していくべきことだと思う。
「原発事故で亡くなった人はいない」という主張は、一見感情を逆なでされるような言葉ではあるけれど、彼は典型的な「放射能安全論」に立っている。その立場から、「原発事故で亡くなった人は、放射能の影響によるものではなく、避難によるストレスによるもの。危険でないのに避難させたために、本来失われなくてよい、沢山の人命が失われた」と主張している。本当に放射能が安全ならば、非常に人道的な発言だし、実際、本気でそう思っているのでしょう。彼に限らず、日本全国にそう思っている人の数は、決して少なくないはずです。
彼自身、「自分で調べたり、大勢の学者から話を聞いた」と言っているように、意見の偏った学者の話ばかり聞けば、頭がそう構築されてしまう、というのは、誰にでも起こり得るものだと思います。しかし、「人の命を救いたい」という想いが根底にあるのであれば、それを頭ごなしに非難しようとは、私は思わない。落ち着いて、十分に情報を交換しながら話し合い、互いに理解を深めていけたら、と思う。
<舛添要一氏>
不思議な存在。世論調査では常に支持率のトップを走るが、街頭演説の聴衆の数は、他の主要3候補に比べると、明らかに少ない。少ないと言うより、少な過ぎる。けれど、昨年7月の参院選では自民党の丸川珠代議員が、同じように状況でありながらトップ当選を果たしている。これは組織票と低投票率だけが原因なのだろうか?
彼が開口一番訴えている「企業が儲かれば労働者の賃金が上がる」という、いわゆるトルクルダウン理論は、wikipediaを見てもらえれば分かるように、実証的な裏付けはない、とされている。国家戦略特区とは、かいつまんで言えば、企業が労働者を解雇しやすくし、残業代もゼロにしてしまえる、という制度。
一方、タレント時代が長いせいもあり、テレビ番組や討論会における振る舞いはさすがだな、と思う。声のトーン、表情、話の緩急、話題、視聴者を安心させるツボをたくさん心得ている方だな、と感心する。主観かもしれないが、有権者の多くは普段、政治や社会問題にそれほど関心を寄せてはいないと思う。「選挙が近いから、そろそろ調べてみるか」と予備知識無しにテレビをつけたとき、なんとなく印象が良くなってしまうのは非常に分かる気がする。
難しいことはよく分からない有権者をまとめていくには、それが政治家にとって最も必要なスキルなのかもしれない、とさえも思う。3.11前までは私も、それで世の中上手く回るのなら、それでも良いんじゃないか?と、若干投げやりに思っていた。けれど今は、明らかに上手く回っていない。もう、政治家だけにお任せするわけにはいかない。
<細川もりひろ氏>
そんな世の中にもう我慢ならないと、20年間のブランクを経て政界に再チャレンジした細川元総理。胸を打たれる街頭演説に比べると、会見や討論会は確かに物足りなさを感じる。国家戦略特区やダンス規制などの発言を見ると、素でよく分かってなさそうな様子が伺える。陶芸家時代は「新聞やテレビを、あまり見なかった」とも語っている。情報を毎日のように浴びている立場からすると、あれこれ批判するのは容易だが、隠居をしていた76歳というご高齢の方が、今の日本を憂い、居ても立ってもいられなくなって出馬に踏み切った情熱には、本当に頭が下がります。ブランクにより、足りない部分があるのなら、若い世代がサポートしていけばよいのだと思う。
彼は出馬会見の時から、討論はあまりしたくない旨を表明している。「討論から逃げ回っている」という批判もあるが、私には「物事を討論で決めるの、もう限界があるんじゃないですか?直感や感性を研ぎ澄ませましょうよ」と言っているように聴こえる。これは、私たちの実生活における討論でもよく経験する。
「討論」とは「意見を出し合って議論を闘わすこと」だが、お互いが相手を尊重しておらず、何かの目的のために、自分の意見を押し通すだけの討論は非常に不毛で、疲労感だけが残る。特に男性だけで会議をすると、得てしてこういう状態になる。けれど、お互いが相手を尊重し合ってる者同士だったり、女性が半分ぐらい居るミーティングだと、話が非常にスイスイ進んだりする。
細川氏は原発以外の問題に関しては、他の候補者の言う事をそのまま「その通りだと思います」と言ったり、「良いものは残し、悪いものは変える」「これから考えていけばいいんじゃないですか?」など、非常に雑に聞える時がある。あるネット番組では「候補者選びのコツは?」と聞かれて、「そりゃ、皆さんの直感ですよ」と答えている。やはり一見大雑把だが、私は非常に同感である。
もちろん直感が鈍った人が大多数の場合、会議や議会が正常に機能するとは、到底思えない。一方、1億人ほどの有権者が全員論理的で理性的になれるか?というと、それも中々険しい道のりのように思う。アーティストである細川氏が目指す所は、非常に高い所にあるのだと、私は好意的に解釈している。
他にも家入一真氏、鈴木たつお氏、マック赤坂氏など、多数の興味深い候補者が居るのですが、あまり長くなると読む気が失せると思うので、ここまでにしておきます。
それでは、最後まで選挙を楽しみましょう
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