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東西冷戦が「終わりの始まり」を迎える中、フランシス・フクヤマが「歴史の終焉」と自由民主主義の最終的な勝利を謳いあげた1989年。ちょうど日本においても「山は動いた」といわれたように、自由民主党が参議院選挙で追加公認や非改選議席を足しても過半数に達しない大敗北を喫し、1955年からつづいた一党優位制の終わりが始まったのであった。
さらに小選挙区制の導入を中心としたいわゆる政治改革をめぐる対立などで1993年に自民党が分裂し、宮澤喜一内閣に対する不信任案が可決、衆議院の解散・総選挙を経て過半数を失った自民党は、ついに戦後38年たえまなくつづいた政権を手放すこととなった。
こうして、東西対立の構図をそのまま日本国内に圧縮していたかのような「自民党の長期政権」vs.「万年野党としての社会党」に特徴づけられた1955年体制は崩壊し、政党間競争が急速に激化する中、政界再編と連立政権の新時代が幕を明けたのであった。
オルターナティブとしての民主党の形成
小沢一郎らの新生党、武村正義や鳩山由紀夫らの新党さきがけという自民党から分裂したばかりの政党から、細川護煕らの日本新党、民社党、公明党、社民連そして社会党までを含めた7党による連立内閣のもとで小選挙区制の導入がなされると、自民党に対抗するオルターナティブの形成をめざして、合従連衡の動きは加速した。
当初、主導権を握ったのは、小沢であった。1993年の総選挙で大敗し完全に守勢にまわった社会党に次々と政策転換を迫り、ついには排除するかたちで(主として新生党、日本新党、民社党、公明党からなる)新進党の結成に向かっていった。しかし、追いつめられた社会党が新党さきがけとともに自民党と連立政権を組むことを選び、自民党の政権復帰を許すと、新生党の党勢は伸び悩むことになる。
そうした中で、自民党と新進党という2つの保守政党に対抗する「第三極」として社民党(旧社会党)の一部と新党さきがけが母体となって1996年に民主党が結成された。1998年に小沢が新進党を突如解党すると、民主党は旧新進党の保守勢力の一部の参加を得て再結成、小泉純一郎率いる自民党政権と対峙する過程でついには小沢自由党とも合併し、政界再編が本格化してから10年を経た2003年にようやく社民リベラルから新自由主義、そして保守まで含んだ非自民勢力が民主党に集結したのであった。
そして2005年の郵政民営化選挙の挫折を経て、2009年、民主党は悲願の政権交代を実現した。自民党のオルターナティブを作り、日本に政権交代可能な二大政党制が成立することを夢見た政治改革の流れは16年後についに結実し、自由民主主義の貫徹というフクヤマの予言を日本において成就したかに見えた。
民主党の失墜
しかし民主党は政権につくや、ただちにさまざまな内憂外患に苦しむところとなった。
詳細は日本再建イニシアティブ著『民主党政権 失敗の検証』における調査報告にゆずるが、民主党政権は、普天間基地移設問題で迷走、「国民の生活が第一。」とマニフェストで掲げていたはずが、消費税増税や環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加へと根本的な政策転換を行った結果、熾烈な党内対立と分裂を経て、2012年12月の衆議院選挙で惨敗し下野、さらに2013年7月の参議院選挙でも壊滅的敗北を喫したのであった。
自民党のオルターナティブとしての民主党の失敗、分裂、失墜は、政権交代可能な二大政党制どころか、ネオ一党優位制とでも呼ぶべき著しくバランスを欠いた政党システムを後に残した。1955年体制との違いは、いまや野党らしい野党すら存在していないことである。
ネオ一党優位制とその内実
衆議院においては、自公連立で3分の2を超える議席を有するばかりか、みんなの党や日本維新の会など自民党の衛星政党を加えると実に4分の3をうかがう情勢となっている。参議院においても、自公にみ維を足すと議席保有率は3分の2となっている。そんな中、みんなの党は今国会会期において安倍晋三の呼びかけた政策協議に応じる姿勢を示している。
これに対していまだにさらなる分裂・解党の危機を乗り越えたとは言い切れない最大野党の民主党は衆参ならして15%にしか達せず、中選挙区制の下ではつねに3割程度の議席を維持していた社共の左派政党に至っては3%にまで落ち込んでいるのである。
こうした国会両院における議席配分が、現実の投票によって示された民意を反映しているならばまだしも、問題は「一票の格差」や選挙制度の歪みによって、実際には得票数上の少数派が議席数上の圧倒的な多数派にすり替えられていることである。 衆参両院で用いられている小選挙区制(参議院選挙では地方区の1人区)が、本稿前編で取り上げたイギリスの事例と同様に「魔法の装置」としての威力を発揮したのだ。
2012年の衆議院選挙で圧勝した自民党は、実際には2009年に民主党に惨敗して下野したときよりも総得票数を大幅に下げており、比例区における絶対得票率(得票数を有権者数=棄権・無効を含む=で割ったもの)に至ってはわずか16%に過ぎなかったのである。つまり、積極的に安倍自民党を支持したのは6人に1人に過ぎず、2013年の参議院選挙でも比例区の絶対得票率は18%弱とほぼ変わっていない。
しかし、民主党への支持が崩壊、投票率が戦後最低レベルにまで落ち込み、さらに分散化した野党間で票が割れた結果、ネオ一党優位制がもたらされてしまった。
選挙独裁制が進める日本の「中国化」
こうして完全に政権に対するタガが外れたかのような政治状況が生まれると、安倍はイギリスで「選挙独裁制」(elective dictatorship)と称されるような政権運営を行い始めた。日本銀行総裁、内閣法制局長官、NHK経営委員人事などに介入、特定秘密保護法を強行採決したあげく、靖国神社を参拝し国内外の反発を受けた。
2014年においても、集団的自衛権をめぐる解釈改憲、共謀罪の新設などを検討していると伝えられている。安倍が施政方針演説で「責任野党」と呼び秋波を送ったばかりの衛星政党がついてくるならば、いったんは棚上げした96条改憲もまた射程に入ってくるだろう。
このようにして、ネオ一党優位制の日本の実態は、自由民主主義の最終勝利からはほど遠い。
それどころかむしろ、国内外の仮想敵を利用しガス抜きをし、強権的な社会統制を図る中国のような国の権威主義モデルを後追いしているかのようにさえ見えるのは、いかにも皮肉なことではないだろうか。
アベノミクスが放置する貧困問題
各種世論調査の示すところによると、このような安倍政権の国家主義的傾向への支持はけっして高いとは言えないが、それでも安倍内閣の支持率が今なお50%程度と比較的高レベルに留まっているのは、ほかにオルターナティブがないという消極的な支持とアベノミクスに託する期待が主な理由だろう。
しかし現実には、日本はかねて雇用の劣化と直結したかたちで貧困問題が深刻になっており、仮にこのまま株価が上がり大企業の収益が上がり続けたところで、グローバル化した経済の実態を考えると、国民全体に広くその恩恵が行きわたる可能性は極めて低い。
日本においても1990年代半ばの小選挙区制の導入を契機にして、つとに政治経済の新自由主義転換は進められてきており、戦後長らく一定の信憑性をもった「一億総中流」神話は、もはやまったくの神話と化しているのである。
1990年に2割だった非正規労働者の比率は、いまや4割に迫るところまで来ており、2002年2月から2008年2月までの戦後最長の景気拡大期間に多くの大企業が史上最高益を更新したにもかかわらず、賃金は下がり続けたのであった。
2010年に政府が発表した貧困率は16%であり、これは経済協力開発機構(OECD)加盟国のうちメキシコ、イスラエル、トルコ、チリ、アメリカに次いで最も貧困が深刻な国に数えられる水準である。しかし、安倍自民党は近年の生活保護予算の増大をモラルの欠如の問題と捉え、生活保護法の一部改正を行った。4月からは消費税増税も実施される。
この先、さらに国家戦略特区を用いた雇用規制緩和(いわゆる解雇特区)や派遣労働の期間制限撤廃(無期限化)などの労働規制緩和が進められることになれば、ワーキングプアの問題は底が抜けたように拡大していくことだろう。
自由民主主義にとっての悪夢のシナリオ
もし格差社会の深刻化が再び取り沙汰されるようになったとすると、安倍はいっそうナショナリズムを煽るような言動をとり、中国や韓国との対立を使い、国民の目を反らそうとすることが考えられる。イギリスのサッチャーなどに始まった「強い国家と自由な市場」を標榜する「新右派連合」(New Right)の常套手段だからである。
日本におけるこれまでの新右派首相といえば、中曽根康弘、橋本龍太郎、小泉純一郎だが、新自由主義の改革派と広く認識される彼らがいずれも首相在任中に靖国参拝を行い、対中関係を悪化させたのは偶然の一致ではない。
しかし日本にとって、さらには世界にとっての問題は、いまや中国を挑発してナショナリズムを煽る手法が、尖閣諸島をめぐる緊張とあいまって、あまりに危険すぎるものとなってしまっていることである。
従来であれば、規制緩和や市場開放を進め、自衛隊により多くを肩代わりさせるための対価として、首相による靖国参拝を黙認してきたアメリカが、今回、異例の「失望」表明を行なった背景にはこうした変化がある。
日中武力衝突の危険性をいたずらに高め、アメリカを巻き込むようなことになれば、それはグローバル経済を牽引してきた世界第1位、第2位、第3位の経済大国の相互依存関係に甚大な損害を与えることになり、ひいては世界経済全体へ深刻な影響を及ぼしかねないだろう。まさに自由民主主義にとって悪夢のシナリオである。
「新右派連合」のオルターナティブを再生できるか
このようにして、新右派連合の牛耳るネオ一党優位制の危険と行き詰まりはすでに見えている。
もはや、グローバル経済に参画しつつ国民生活をはぐくみ、市民の政治的自由を守るために国内外の権威主義勢力の拡大に対抗できるオルターナティブを再興することなくして、日本の民主主義の未来を展望することはできないのではないだろうか。
そのための第一歩は、四半世紀前に始まった政治改革の長い道程で、行き先を間違えたところに戻り、そこからやり直すことなくしてあり得ない。まずは、得票における少数派を議席における多数派にすり替えてしまう魔法の装置、小選挙区制と決別することである。少数派が多数派の装いで専制的な支配を行うことは民主主義とおよそ相容れない。小選挙区制が導入されてからこの間の政治の質の劣化は目を覆うばかりである。
小選挙区制や中選挙区制のように、投票者自ら選挙区レベルで個々人の候補者を選ぶ要素を加味した比例代表制としては、ドイツなどで用いられている比例代表併用制が参考になるだろう。実際、グローバル経済の中で民主国家を運営することの世界的な困難を振り返っても、ドイツは政治と経済の両面で大きくバランスを失うことなく比較的健闘している注目すべき事例と言えるだろう。
しかし選挙制度改革を待つばかりでなく、グローバル経済のもたらす貧富の差の拡大とその目くらましのように切られるナショナリズム・カードに対抗するためには、一刻も早く国民統合の実質を取り戻すような社会保障制度の再構築が欠かせないことも指摘しておきたい。
市場原理の導入や規制改革がさまざまな分野に及ぶのであれば、それに対応するだけのセーフティーネットがなければ、もはや少子高齢化で多くもない労働力がムダに使い捨てられるだけで、長期的には日本の誰の利益にもならない。
かつてのような「国民経済」の再来を望むことはできないが、国家と企業と労働者の間に新たな社会契約を結びなおすことなくして、自由民主主義の健全な基盤を築きなおすことはかなわないだろう。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140204/259306/?P=1
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