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2014年02月06日
4日の日経平均大幅安の反動にしては、翌日5日の株式市場は、171円高とこじんまりした自律反発相場になった。その割に、売買高が3兆3千億円と肥大化している。昵懇のエコノミストに尋ねたら、年金資金が流入して、下値買いの注文を出していると云うことのようだ。年金資金は、中央・地方と様々だが、海外勢の強気相場への出遅れが目立ち、焦りを募らせていたので、1万4千円近辺を下値とみて、出遅れを挽回しようとしているようだ。筆者が、アベノミクスの為の下支え、PKOじゃないのかい?と尋ねたが、むにゃむにゃと言葉を濁していた。
あらゆるシーンで強権的で威圧的な安倍官邸が、今週の兜町で、アベノミクスを汚すような趨勢を見せることはタブーである以上、年金資金が官邸の意を忖度した動きに出たとしても、なんの疑問も抱かない。あと500円は戻したい、官邸は、そのように思っている。木・金の買い出動した年金資金への配慮は当然という、暗黙の了解があるかもしれない。WSJによると、オバマはアジアへの情熱を失っているらしく、TPPも座礁の危機に瀕している、と云うコラムが掲載されている。たしかに、オバマのホワイトハウスの意志力は方向性が定まらず、右往左往している。この調子だと、中間選は共和党の勝利かもしれない。ジャパン・ハンドラーズ巣窟、ネオコンの宿坊共和党政権誕生まで、安倍が生き残っているかどうか、微妙な段階にもなっている。その為には、あと6年やりたいと、安倍は思っているだろう。
まぁこの際、トチ狂った首相の思惑など気にする暇はない。20世紀価値観と21世紀価値観のガチンコ対決が、今回の都知事選である。ただ、都民がそのように感じている様子は皆無だ。些末な議論や、ネガキャンに興じている面がかなり見受けられる。多分、国民の意識も、政治家のレベルも、脱原発か再稼働かで揺れているようでは、話にならない。色々と筆者は細川優勢の予測コラムを書いているが、選挙の事、なにが起きるか、一寸先は闇である。ムサシ、早々お出ましか、と云うこともあるかもしれない。これは半分都市伝説だが、機械に勘定などさせて、疑心暗鬼を繰り返すのも考えものだ。
今回の都知事選が万に一つ、マスメディアの世論調査の通りで、マスゾエが当選した時には、それが現実であり、細川・小泉連合には、何かが不足していた、と真摯に考えるべき点も残される。無論、国民のレベルが低すぎる、と嘯くことも可能だが、もう少し、建設的な考え方も必要だろう。ただ、両氏の都知事選への情熱の掛け具合や年齢を考慮すると、今後数年間、その情熱を持ち続けられるかどうか、大きく期待するのは、酷と云うものだろう。彼らの意思を継ぐ、次なる政治家乃至はリーダーが、どうしても必要になる。これに相応しい人材は、政治家では一人だけいる。小泉の息子、進次郎である。
おそらく、細川・小泉連合の「切り札」だろうから、本日6日の木曜日か7日の金曜日までには、応援に参加するかもしれない。ただし、小泉の息子が参加すると云うことは、勝利が見えかけている時に限られるだろう。つまり、小泉進次郎が細川応援に参加した時は、細川の勝利は固いと云うことだ。参加を見合わせた場合には、世論調査通り、マスゾエの勝利かもしれない。筆者の情報網も混乱を来しており、7:3でマスゾエ有利説が支配的な点、気がかりではある。
正直、今回の都知事選は「20世紀価値観と21世紀価値観のガチンコ対決」の要素を十分に備えた候補の闘いなのだが、マスメディアが、そのような選挙構図を意図的に嫌っている。読売・産経・日経は既得権益死守の立場だし、朝日は米国の立場への忖度が目立つ。いずれの方も、細川が主張する「小さな政府と価値観のパラダイム・シフト(チェンジ)は、既得権温存の国家主義陣営もオバマ政権も、選択肢にはないのだから、忌避しようとする。しかし、ここまで深読みして、政治に携わることはないのが一般的なので、細川の高度な価値観の転換と云う主張は、都民の耳に入らないかもしれない。
必ずしも、都民が、細川の主張の意味が理解できないとしても、愚民と呼ぶのは、やめておこう。それが一般市民の平均値なのだ。平均値に向かって罵っても、何の意味もない。その主張を、言いつづけ、彼らを、気づきにまで至らせるのは、言論人の役目だし、政治哲学や社会学者の仕事でもある。無論、政治家やジャーナリストの中に、それを主張し続ける根気が必要なようである。加藤信朗と云う学者が著書「平和なる共生の世界秩序を求めて」において、以下のように主張している。決して著名な学者ではないが、こういう学者がマスメディアの寵児となることはないのが残念だ。
≪ 日本に政治哲学はあるのだろうか?残念だがわが国には政治哲学が欠如しており、さらに深刻なのは哲学者自身がその反省意識を持たず、政治家や国民も哲学者 にそれを求めてこなかったことにある。自民党による長期政権が崩壊して20年、新しい政治と国家の未来像が見えてこない中、今こそ善き国民と善き国家とは 何かを問う政治哲学が要請されている。著者は古代ギリシャにおいて、プラトン、アリストテレスによって形成された政治哲学の真意を、『ポリテイア』『法 律』『政治学』『ニコマコス倫理学』を通して簡潔に説明し、それが近代デモクラシーや政治の源泉であることを明らかにする。科学技術の目覚ましい進展は、 わが内なる自然と外なる自然に大きな亀裂を生み出している。自然との共生によって育んできたわが国の伝統文化の豊かな知恵をグローバル化する世界にいかに 発信するのか。二十数年に及ぶ業績を集成して世に問う、著者渾身の一書。 ≫(アマゾン・bookデータベースより)
昨日の朝日に同氏を扱う記事があった。同氏が言うには、” 明治以降、日本は政治哲学を失い、欧米列強国の植民地政策に追随した明治体制が、日本人の独自性を、ことごとくスポイルした。如何にも近代化を進めた気分に浸って、侵略やいがみ合いで自己確認する選択しか出来ない国民になった。すべての人間が同等の権利を持つことを認めず。頑なに欧米思考に傾注する。ゆえに、国民も、民族的アイデンティティを欧米思考の中に見出そうとする。簡単に言うと、明治体制移行、日本民族は己の歴史に裏打ちされた価値観を捨て、欧米化することで、その良さを失っていったのだ。いまからでも、戻ることは可能だ。 ” そんな内容の話しだが、非常に納得のいく主張である。本日は、生臭さと固めな話が混在してしまった。”あいば”と云う男の特質と呆れて読んでいただければ幸いである。
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