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2014年2月5日 東京新聞:こちら特報部 俺的メモあれこれ
NHKのラジオ番組で、大学教授が経済学の観点から脱原発について語ろうとして止められた。東京都知事選の最中で、「より公平性」が必要だからという。でも、予定した発言は特定候補を応援するものではなかった。識者がメディアで社会問題を語ることが問題なのか、選挙中の中立報道について考えた。(篠ケ瀬祐司、出田阿生)
◆「政治的公平は工夫次第」
「選挙だからこそ、視聴者や読者に判断してもらうため、多くの情報を伝えるべきだ。話してはいけないというのは、全く逆だ」
NHKのディレクターから発言を止められた東洋大の中北徹教授(国際経済学)は憤る。
NHK第一放送の番組「ラジオあさいちばん」の先月30日の放送で、経済学の視点から「原発の危険性をゼロにできるのは原発を止めることだ」などと解説し、「議論の活性化を望む」と続ける予定だった。原発問題が都知事選の争点となる中、「結論の押しつけではなく、問題を提起後、リスナーにそれぞれの問題意識と関心で判断してもらうのが狙いだった」。
NHKの広報担当は「選挙期間中はより公平性を期す必要がある」とし、禁止ではなくテーマ変更を求めたと説明した。中北氏の発言を容認した場合、別の視点を持つ識者の出演が必要だと考えたが、「出演者は既に決まって」いて無理だったという。
だが、都知事選の後、6日には山口県知事選が告示されて23日まで続く。全国を見渡せば、全く選挙をしていない日はあまりない。中北氏は「NHKの自主規制はおかしな話だ。規制は最小限であるべきだ」と訴えた。
立教大の砂川浩慶准教授(社会学)は「争点の問題を避けるとなると、消費税の議論はどうなるのか。公正・中立の名を借りて、論点にふたをするのは最悪だ」と警鐘を鳴らす。「報道機関は政府広報ではないから、考え方に差が出るのは当然」と言い切る。
都知事選中、インターネットでは原発問題も含め、さまざまな議論が交わされている。論点を公平に扱い、ミスリードばかり気にする既存メディアが取り残されているようにも映る。
砂川氏は「特に放送局は頑張らなければ、ネットの自由にも悪影響を与える」と奮起を促す。
2010年の放送法改正で、放送の定義が「無線通信の送信」から「電気通信の送信」に置き換えられており、ネットも放送法が適用される可能性がある。「放送局が積極的に自由な議論を重ねていかなければ、政府はある日、ネット番組に『放送局と同じように政治的公平を保て』と介入してくることもあり得る」
「公共放送のNHKは政治的公平性は必要だが、報道側の工夫次第だ」と、大阪大の鈴木秀美教授(メディア法)は話す。「司会者が別の視点から話すことや、その日の放送全体でバランスを取ることも考えられるのではないか」
◆米メディアは特定候補支持 「争点避けると選択肢奪う」
鈴木教授によると、メディアが特定候補の支持を打ち出す米国も、以前は「中立」が基本だった。しかし、1987年に「フェアネス・ドクトリン(公正原則)」が廃止されて変わった。規制緩和などでメディアが増え、有権者が多様な報道に接することができるようになったからだ。
鈴木氏は「政権側が『公平』というのは、自分たちの意見を取り入れてくれという趣旨でしかない。米国はそれをマイナスだと判断した」と解説した。「政治的公平をメディア自身が判断して態度を鮮明にすれば、視聴者や読者がそれを踏まえて報道内容を判断できる」という利点がある。
明治大の海野素央(うんのもとお)教授(異文化間コミュニケーション論)も「色を出すメリットはある」と話す。「例えば、各メディアは主義主張を明確にして候補者を厳しく追及するため、有権者は問題を深く学べる。同じ内容でも、報道内容の違いを比較できる。メディアにとっても固定客の獲得につながっている」
FOXテレビはオバマ大統領への反対姿勢を明確にしている。CNNやABCは民主党寄りとみられている。
海野氏は08〜12年、大統領選や下院議員選で、オバマ氏陣営の草の根キャンペーンに密着した。4200軒超の個人宅を戸別訪問し、「米国民は選挙の争点や支持する政党・候補について、明確な意見を持っている」と感じた。「自分の政治的意見を持つことは、他者との議論につながる。選挙への関心も高まる」
原発問題に関する発言をNHK側が止めたことについては、「米国のメディアではあり得ない。選挙の争点を議論のテーブルに載せないのは、有権者の選択肢をなくしているのと同じだ」と批判した。
◆「多様な意見で議論促進を」
日本でもメディアが特定候補の支持を鮮明にすることが、法律で禁じられているわけではない。公職選挙法は「表現の自由を乱用して選挙の公正を害してはいけない」と定めているが、選挙中でも事実に基づく報道や論評を保障している。つまり、選挙報道もメディア側の自主的な倫理に任されている。
青山学院大の大石泰彦教授(メディア倫理法制)は「事実をふまえて主義主張をすることがジャーナリズムの基本だ。事実を偽ったりゆがめたりすることは許されないが、中北氏はデータを示して持論を展開するはずだったのだから何の問題もない」と指摘した。
「事実を解釈して伝える以上、主観が入らない報道はあり得ない。そもそも中立性とは幻想のようなもので、100人いれば100通りの『中立』が存在する。時代の趨勢(すうせい)によっても変化する。偏向という判断も、それぞれの主観に左右される」
大石氏は、「できる限り多くの角度から論点を明らかにする」という放送法の規定を基に、選挙の中立報道の具体的な形をこう説明する。「多様な意見を紹介すること。ある意見が一方的だと思えば、それとは反対の意見を報道する機会をつくるよう考慮する。反論権の制度化も一つの手だろう」
「原発への賛否がどうこうという問題ではない。議論を促進させることがメディアの使命。『中立』という名の下に報道を自粛することは、メディアの自殺行為にほかならない」
[デスクメモ]
「事実に立脚した自信のある報道、評論が期待される」。日本新聞協会編集委員会が1966年に選挙報道について出した見解だ。このころ、中立を重んじるばかり、「(新聞は)ややもすれば積極性を欠いた」と批判があったようだ。現在も変わらない。「事実」を大切に、報道を続けていきたい。(文)
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