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[永田町インサイド]首相、ロシア重視は父譲り
5度目の首脳会談へ 領土問題の進展、糸口は経済協力
安倍晋三首相は8日、ソチ冬季五輪の開会式に合わせてロシアを訪れ、プーチン大統領と会談する。2012年12月の第2次内閣発足から5度目の会談となり、懸案である北方領土問題の進展を目指す。中国や韓国と領土や歴史認識を巡って激しく対立する一方、ロシアとは積極的に対話を進める首相の外交戦略の背景を探った。(秋山裕之)
「よく育ったな」。13年4月30日、モスクワ市内のロシア科学アカデミー付属植物園の日本庭園。日本の首相として10年ぶりにロシアを公式訪問した安倍首相は、1986年5月に中曽根内閣の外相だった父・故晋太郎氏の秘書官として同行した際に植えた桜の木を感慨深げに眺めた。
晋太郎氏は当時、旧ソ連との平和条約締結と北方領土問題の解決を目指して関係改善に努めていた。対ソ外交への傾倒は竹下登、宮沢喜一両氏ら首相の座を競うライバルたちに対して独自性と存在感を打ち出す狙いがあった。
晋太郎氏が桜を植えたころのソ連は85年に共産党書記長に就いたゴルバチョフ氏がペレストロイカ(改革)やグラスノスチ(情報公開)を唱え始めた時期。振り返ればソ連が崩壊へ向かう、領土交渉には千載一遇の好機だった。
86年の会談で晋太郎氏が北方領土問題を持ち出すと、ゴルバチョフ氏は「提起してはならない問題を提起している」と反発した。しかし、90年1月に自民党代表団団長として訪ソし「英知をもって解決するしかない」と訴えるとゴルバチョフ氏は賛同した。
経済や人的交流など幅広い日ソ間の協力と並行して領土交渉を進める――。こんな姿勢がソ連の軟化を促した。
ゴルバチョフ氏がソ連の元首として初来日したのは91年4月。その翌月、晋太郎氏は病気で亡くなった。病院を抜け出してゴルバチョフ氏と会談したのが、最後の晴れ舞台だった。首相は秘書として父の姿を見つめていた。ソ連はその年の暮れに崩壊した。
首相は政治家として祖父の岸信介元首相を強く意識しているといわれる。しかし、祖父が取り組んだ60年の日米安全保障条約改定で対ソ関係は悪化した。56年の日ソ共同宣言で平和条約締結後の引き渡しをうたった歯舞、色丹2島についてソ連は「外国軍基地が撤去されない限り引き渡さない」と通告。北方領土問題の解決は大きく後退した。
中国の台頭を踏まえ、首相は日ロの経済協力を深めながら領土問題の解決を目指す。対ロ交渉の姿勢は晋太郎氏から息子の首相に引き継がれた。06〜07年の第1次内閣では当時の谷内正太郎外務次官を前面に出し、政治や経済に関して幅広く話し合う日ロ戦略対話の枠組みをつくった。
晋太郎氏とゴルバチョフ氏のように、首相とプーチン氏との関係も深まってきた。
昨年9月にサンクトペテルブルクで開いた20カ国・地域(G20)首脳会議。首相はオバマ米大統領から支持を求められたシリアへの軍事介入に明確な賛同を与えず、武力行使に反対するプーチン氏との会談で「ロシアを含む国際社会と緊密に連携する」と強調して「貸し」をつくった。
直後に20年夏季五輪の東京開催が決定。プーチン氏は首相に電話で祝意を伝える心遣いで応えた。外務省関係者は「プーチン氏の笑顔が首脳会談を重ねるごとに増えている」と領土交渉の進展にも期待を膨らませている。
[日経新聞2月2日朝刊P.4]
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